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【J#42】長崎・佐賀(3)〜出島と小浜温泉:江戸時代にどのように日本人は外国と接したのか?考えてみた

2015年5月14日(木)と15日(金)に長崎を訪れてから2年(前回の模様については「長崎・佐賀(1)〜軍艦島と出島」「長崎・佐賀(2)〜武雄温泉と川棚」参照)。
知人から誘われる形で、いつのまにか6人となった旅仲間たちと共に、2017年6月2日と3日に再度長崎へ。目的地は、小浜温泉にある温泉宿「小浜温泉・國崎」と「4次元パーラーあんでるせん
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6月2日の早朝に羽田空港を出発、長崎空港に到着後、市内へと移動した。
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小浜温泉へ行く前に、長崎市内観光をするということで、出島へ。出島は、2年前も訪れた。内容の濃いものが展示されておりが、現在復元に向けた建設が進んでいる。
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前回はそれほど時間がなく、軍艦島へと向かったので、今回は再確認するいい機会だった。
長崎駅から歩いて10分以内に、出島が見えてくる。周囲が埋め立てられていて、一部のみ水が残っている。ホームページを覗くと、今後四方に、堀を作り、復元して行くとのこと。本当に楽しみだ。
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司馬遼太郎氏の作品を夢中に読んだのが、1990年代。日本の歴史の面白さを司馬氏を通じて学ぶことができたのだが、出島に興味を持つようになったのは、同作者による「胡蝶の夢」との出会いが大きい。
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「胡蝶の夢」によると、徳川幕府の創始者、徳川家康は、当時普通の医師では太刀打ちできないほど、医師としての知識が豊富だったという。異様に医学の知識を持っており、医師に対する評価が厳しかった。
家康の下記の遺訓にそれが現れている。
「効き目を見せる医者がいれば、高を多く与えるな。代わりに身の名誉を与えよ。高が多いと子孫を下手にする」
その背景から、徳川時代、医師の地位が飛びっきり高くなり、大名に匹敵する地位が与えられている。典薬頭(てんやくのかみ)、奥御医師(法印)の順番で階級があり、びっくりすることに、この医師たちは、将軍以外の患者を診ることが許されなかったそうだ。法印の下に法眼があったのだが、いずれも世襲制であったため、地位が下に行けば行くほど、能力が高いという身分制度内の矛盾があるのだが、僧侶と同じで、医師というのは、身分の低い人でも、能力次第で、養子という形で、医師の中である一定の地位を得られることができたという。
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江戸時代の医学の知識の基本は漢方。後述するように、ヨーロッパの体系的な医学の知識=蘭学が制限されていたというのが大きい。
江戸幕府は、1633年に日本を鎖国。対外の窓口を長崎のみに絞る。オランダ人と清国(現在の中国)にのみ限り、オランダ人の貿易官に対して、長崎市内を歩くことを許さず、海浜の一部を埋め立てて、出島を作った。長崎奉行所が絶えず監視し、一般人との接触も禁止。
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ただし「出島ヒストリア・鎖国の窓を開く〜小さな島と大きな世界」によると、江戸幕府で将軍に挨拶するため、オランダ人のうち、商館長、医師、書記を含めた随行員は3ヶ月かけて、江戸へ向うことが許されたという。
交渉のための通訳という形で、通詞(つうじ、人数は百十数人)がおかれ、オランダ人と話をすることができるのは、通詞のみ。しかも通詞自身も活動が制限。通詞が蘭書を読むことも一部を除き限られていた。
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興味深いのは、通詞を通じて、オランダから持ち込まれた、地図、地球儀、望遠鏡、顕微鏡、人体模型などから、医薬、外科、物理、地理の知識が断片的に入ってきて、江戸時代の人々に影響を与えるようになる。
そして、長崎に博物館という形で残るシーボルトが登場。長崎奉行の好意で、長崎の郊外の鳴滝で鳴滝塾を開講。日本人医師に対して、講義をするということが許され、蘭学が飛躍的に進むことになる。そして、医学を組織的に教えることになるポンペが幕末に登場し、「胡蝶の夢」でのテーマとなる。
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出島を歩いてると、どのようにして医学の知識が入ってきたのか?「解体新書」の複製版や日蘭辞典(ドゥーフ・ハルマ)、シーボルトの活躍など、顕微鏡や時計等とともに展示されている。それだけではなく、砂糖を含めた食物、陶器、食肉の文化など、ヨーロッパの思想を含めても入ってきており、カステラの由来等、意外と外国文化の影響の強い日本の姿が見えるのと同時に、どのように外国文化を消化して吸収して行くというプロセスがおぼろげながら理解できた。
また、オランダ人の出島内での生活も畳の上で行われたことなど、現地に行かないとわからないことも盛りだくさん。興味の尽くせぬ2時間となった。
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その後、長崎駅から諫早駅へ移動。諫早バスターミナルから小浜温泉へ。温泉に浸かる時間となった。
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本コラム「九頭竜神社と氷川神社:リフレッシュを図る取り組みの一つとして」で取り上げたように、恒例の2ヶ月に一度の掛け流しの温泉に入り、気分転換を図った。ここの温泉宿は、「日本秘湯を守る会」推薦だけあって、気の流れも良く、露天風呂、檜風呂を含め3種類の風呂がある上で、Wifiも完備。食事も、素材一つ一つこだわりがあって、胃に優しくリラックスすることができた。
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小浜温泉で一泊。
いよいよ、川棚駅から徒歩圏内の「4次元パーラーあんでるせん」へ。次回その模様を取り上げる。
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