【J#32】長崎・佐賀(1)〜軍艦島と出島
2015年5月14日(木)と15日(金)は、友人の野村謙次さんと一緒に長崎に向かった。世界一周から東京に戻ってきてから1ヶ月。久々に首都圏を出ての国内への旅だった。
午前5時半近く家を出発。渋谷駅から羽田空港に向かった。午前7時20分、羽田発、スカイマーク航空に乗るためだ。おそらく日本で初となるLCC(格安航空会社)体験。ちなみに運賃は約11,000円。神戸経由という便だったが全く問題がなく、昼頃には長崎に到着した。
昼食は、長崎駅前の金龍でちゃんぽんを頂くことに。さすがは本場の味、美味しかった。
午後2時頃からブラックダイヤモンド社の軍艦島上陸クルーズに乗り込み軍艦島へ。
私も今回の旅で初めて知ったのだが、長崎港から南西の海上約18.5kmに軍艦島がある。正式名称は、端島(はしま)。旧日本帝国海軍の軍艦、土佐に似ていることからこのように呼ばれたそうだ。ちなみに、下の写真は高島港に隣接する博物館で見ることのできた軍艦島の模型。
軍艦島で、石炭が発見されたのが、1810年。当初は1/3のしかなく、草も生えていなかったらしい。この島がある長崎市高島町は、三菱財閥の発祥の地としても知られている。最初に上陸した高島港付近には岩崎弥太郎像や石炭博物館があり、当時の様子をみることができる。
その縁もあり、軍艦島を三菱が買い取る。1890年に炭鉱として本格的に始動。1916年に日本初の鉄筋コンクリートが建立。最盛期(1950年代〜60年代)には、313世帯、100%のテレビ保有率という奇跡的な数字を誇り、雀荘、パチンコ屋、葬儀屋、映画館などがあり、人口密度が東京の9.5倍近くに及んだそうだ。
軍艦島が閉鎖されるのは、1974年1月10日。4月には軍艦島への船の運航も中止したため、無人島と化す。2005年までは三菱マテリアルの所有物であったが、長崎県へ譲渡。2009年に「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産のの一つとして、リストアップすることでこの年以降に一般人の上陸を解禁することになった。
軍艦島の近辺は海域が荒れることが多く、年間で上陸出る日は100日と少ない。今回も波が荒れていて残念ながら上陸することができなかった。明治時代から第二次大戦の前の歴史的遺産をこういった形で出会うことができたのは、興味深かった。長崎は原爆投下やグラバー邸も有名だが、ここは一見する価値のある場所。もし、機会があったら是非とも訪れて欲しいと思う。
午後4時半には下船。次に、出島へ。午後6時まで(最終入場は午後5時半)開館しているとのことで向かった。前回4年以上も前に長崎を訪れた際に出島がなんでないだんろう?と不思議に思っていたのだが、現在段階的に出島を復旧させているとのこと。今回、一部を見ることができた。
江戸時代に鎖国政策をとるなか、オランダと清国のみに窓を出島を介して開いていた江戸幕府。その出島の様子が忠実に再現にされていることが面白かった。
博物館の中に展示されているものも多数あり、陶器や江戸時代に杉田玄白らによって翻訳された解体新書の複製、大阪大学の前身の適塾にあったと言われている日蘭辞典などが資料が豊富に揃っており、びっくりした。
夜は福来魚(ふくらぎ)という居酒屋で、夕食。長崎はどこで食事をしても美味しいという印象を強く持った。
その後、佐賀県の武雄温泉に移動。武雄温泉以降のことについては次の回に譲りたい。