【W#146】リスボン(3)〜カスカイスとシントラ
リスボンの郊外への観光について書く前に、ポルトガルの近代史について触れたい。
この旅を通じて初めて知ったことは、第二次世界大戦にポルトガルは、参戦しなかった上、中立を保っていたところにあった。モロッコのカサブランカの時(【旅コラムVol.139】参照)、映画「カサブランカ」はドイツの支配から逃れてきて、カサブランカに辿りつた人たちが、中立国のポルトガルを経由してアメリカに渡ることを夢みていたことを描いたものだったことを紹介した。ポルトガルは、ヨーロッパ大陸の最も西に位置しており、海岸沿いからみることができる。
今回は訪れる機会がなかったが、ヨーロッパの最西端に位置するロカ岬は、カスカイスからのアクセスで訪れることができる。カスカイスはリスボンから電車で40分。バスでは1時間以内で到着することができる。中世から地理的な位置づけにより軍事都市的な色を持っていたが、19世紀後半のルイス1世によって観光地化へと進む。晴れが約260日続くといわれるこの土地を夏の邸宅として国王が選ぶことによってリゾート化された。
また第二次大戦時、スペイン、イタリア、ハンガリー、ブルガリアの王族の避難先として、カスカイスが選ばれた。街並みは素晴らしく美しい。
ここでは、ポルトガル料理を試してみたいと思い、地元の料理屋で昼食を。
実際、イワシの塩焼きをいただいたのだが、日本に戻ったような味がして本当に美味しかった。
その後、シントラへ向かった。
完全に観光地化されている街だったが、ポルトガル王室の離宮やムーア人の城跡が残っており、イスラム文化の影響をみることができる。シントラでは、離宮について少し紹介する。この離宮は、15世紀初頭、当時の国王ジョアン1世によって建設。夏を過ごすための離宮として作られた。実際に、ポルトガルに共和制が成立する1910年まで王家の離宮として使われた。ここでは、マヌエル1世によるバスコ・ダ・ガマの航海開拓の決定も行われたそうだ。
外から見ると、離宮のように見えないような質素さがあるのだが、中を覗いてみると豪華さを感じることができる。ここでもイスラム文化の影響を感じる。
白鳥の間では、天井に白鳥がたくさん描かれている。実は、この白鳥の間。日本は戦国時代に天正遺欧少年使節団としてヨーロッパに派遣された4人の日本人もここを訪れたらしい。ここは、日本との接点があり興味深い。
建物の中にはタイルが多用されているのと同時に、天井の装飾がイスラムのモスクのデザインにキリスト教の文化が色濃く融合されたようなデザインになっている。
最後に豪華な王室の間。天井のみならず、壁にはタイルに物語が描かれている。
駆け足で、2つの都市について紹介したが、ポルトガルは予想外に見るところがあり、今回見ることのできなかったポルトを含め、もう一度戻って来たい国の一つだ。
ポルトガルの滞在の全日程を終え(2015年4月8日〜10日)、次に向かった先はスペインのサラマンカ。残りはサラマンカとマドリードとなった。次回はサラマンカについて紹介する。