心をコンピュータに喩えたとき、何が棄てられたのか──『生成と消滅の精神史』を読んで
シリーズ「現象学と認知科学──心をどこまで捉えられるか」第1回
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はじめに
友人からの紹介で知って拝読したのが、下西風澄『生成と消滅の精神史』(文藝春秋、2022年)だ。

この本を読み始めたときに、前回取り上げた『チューリングの大聖堂』の続編と感じた(「『チューリングの大聖堂』──2026年の前半に出会った本の中で、最も面白かった一冊」参照)。実際、その予感は的中した。そこで、今回のブログで何回かに分けて、その内容を紹介したいと思う。

この本の第1部は、西洋哲学の起源──超自然的原理と「反哲学」の系譜でも取り上げた内容だが、哲学者・木田元さんの『反哲学入門』の考え方に近いのが興味深かった。

似ているのには、理由があると思う。どちらも、哲学の歴史を現象学の側から読んでいるからだ。
以前の記事で紹介したとおり、木田さんは哲学を、何らかの超自然的原理を設定し、それを参照しながら存在するものの全体を見る、という西洋に固有の思考様式として捉えていた。プラトン以前のギリシャ人は、人間を自然の一部と考えていた。そこへイデアという原理が立てられ、神になり、理性になる。そしてニーチェ以降、その原理が解体されていく。木田さんが行き着いた先が、フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティだった。
下西さんの第1部も、同じところで終わる。ホメロスの時代には自然の一部として語られていた心が、やがて魂になり、理性になり、そしてフッサールで経験そのものへ戻ろうとする。終わりが同じなら、通る道も似てくるのだろう。
本は二部構成で、第1部が西洋、第2部が日本である。西洋編はホメロスから始まり、ソクラテス、デカルト、パスカル、カント、フッサールと進む。その第4章が「認知科学の心」だった。前の記事が終わったところから、この章が始まっていた。
最も自明なものが、科学の外に出された
読んでいて手が止まったのは、この章の前半だった。
心をコンピュータのメタファーとして理解し、脳による情報処理だとみなす考え方が初期の認知科学の中心であった。このような20世紀の心の思想が、心の本質を言語であり神経であると捉え、また同時に主観性という異物を彼岸として科学の対象から排除したのだ
彼岸として排除した、という言い方が強い。向こう岸ということである。手が届かないところへ送り出した。
そして、もう一箇所。
主観性こそ、意識経験にとって最も自明なものであり、主観性や自己主体感を感じない人間などそもそもいないのではないか
最も自明なものが、外に出された。この逆説が、この本を読み進める理由になった。
本質だけを抜き出して、あとは棄てる
なぜ、そんなことになったのか。ここで、以前読んだ小室直樹さんの『論理の方法』が頭に浮かんだ。
論理を自由自在に使いこなすためにはどうしたらよいか。その秘訣はモデルを自分自身で作ってみることです。モデルは論理の結晶だからだ。(略)モデルとは本質的なものだけ強調して抜き出し、あとは棄て去る作業です。
抜き出して、棄てる。棄てるから、使えるようになる。

心を計算機になぞらえる捉え方には、わかりやすい絵がある。カメラである。世界があり、光が入り、中に像ができる。心の仕事は、その像を正しく作ることだ。目はレンズ、脳はフィルム、ということになる。
この絵は、実際よく働く。実験ができる。計算もできる。そのかわりに、赤いものを見たときのあの赤さが棄てられる。棄てたものは、その捉え方の内側からは見えない。外に出したのだから、当然である。
そして、棄てられたものに気づいた人が、次の捉え方を作る。
足場は、時代ごとに入れ替わってきた
これは認知科学に限った話ではない。冒頭に書いたとおり、この本の第1部は木田元さんの『反哲学入門』に沿って哲学史を辿っている。私も以前、その本を手がかりに西洋哲学の成り立ちについて書いた。木田さんは、哲学をこう定義していた。
何らかの超自然的原理を設定し、それを参照しながら、存在するものの全体を見る
プラトン以前のギリシャ人は、人間を自然の一部と考えていた。やがてポリスが崩れ、何を頼りにすればいいかがわからなくなる。そこでイデアという、自然を超えた足場が作られた。近代の宗教戦争で神という共通の足場が使えなくなると、誰の中にも同じようにある理性が、新しい足場になった。
20世紀半ば、戦争の中で計算機が生まれた。人間より速く正確に計算する機械が、目の前に現れた。心とは何かを説明するのに、これほど手近な手本はなかった。
どれも、その時代に説明を必要とする何かがあったから出てきている。真理に近づいていったのかどうかは、私にはわからない。古いものが消えたわけでもない。理性を足場にする構えは、今のビジネスや医療の現場にそのまま残っている。わかるのは、棄てられたものを拾いに行く人が、そのつど現れたということである。
心に生命を取り戻す
第4章は、認知科学の誕生を描いたあと、一人の人物へ進む。フランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)である。1946年チリ生まれの生物学者だった。
ヴァレラの使命は、これを総合して回復することにあったといえるであろう。それは、心に生命を取り戻すという思想であり、具体的には、認知科学に主体の身体性を導入することであり、現象学との協力的な関係性を再設定することでもある
回復、という語が使われている。失われたものがある、という前提である。
下西さんは、カントの考えた意識を、人間にあらかじめ入っているアプリケーションのようなものだ、と喩えている。
カント的意識は、人間にプリンストールされたアプリケーションのようなもので、そのアーキテクチャ的な意識はAIという認知科学思想と共鳴するものであった。ヴァレラは、これに現象学を取り込むことによって、意識の身体性、他者性、環境との相互作用といった要素をモデル化した
あらかじめ入っている作りがあって、そこを情報が通っていく。この形が、人工知能という発想とそのまま響き合っていた。ヴァレラはそこに現象学を入れることで、身体や、他者や、環境とのやりとりを扱えるようにした。
現象学というのは、エトムント・フッサール(Edmund Husserl)が始めた流れである。理論で組み上げた世界像から出発するのではなく、経験そのものに立ち戻って考え直す。そこからハイデガー(Martin Heidegger)が出て、メルロ=ポンティが出た。ヴァレラが手を伸ばしたのは、この系譜である。
細胞一個から始める
ヴァレラは心の研究から入った人ではない。生命とは何か、という問いから入った人である。
師であるウンベルト・マトゥラーナ(Humberto Maturana)とともに彼が作ったのが、オートポイエーシスという考え方だった。
生命(オートポイエーシス)とは、自己による運動システムではなく、運動による自己形成システムである。したがって、生命の運動行為による境界生成こそが、生命の自己を存在させ、それが同時にその生命にとっての環境世界を存在させる。またその自己・環境の区別の運動そのものが、同時にシステムにとっての原初的な認知として機能する。
先に自分というものがあって、それが環境の中を動くのではない。それでは生命の始まりが説明できないからである。
私がここで止まったのは、最後の一行だった。境界を作る運動が、そのまま最初の認知だという。認知が、生命とは別に後から足されるものではなくなっている。
そうなると、認知は外から内への入力ではありえない。内と外が、認知と同時に生まれているからである。入力も出力もない。区切りの運動があるだけである。
主体が環境の中で行為するのではない。行為によって主体と環境が同時に存在を開始する。したがって、行為がなされる以前には主体も環境も存在しない。
一読して、受け入れがたい話だと思った。先に自分がいて、先に世界がある。それが普通の感覚である。
しかしヴァレラにとって、これは奇妙な話ではなかった。細胞一個を見ていれば、実際にそうなっているからである。膜が自分を作り、その膜が内と外を区切る。膜より先に内側があったわけではない。
リンゴの赤は、どこにあるのか
この考え方を人間の知覚まで持ってくると、どうなるか。この本で、いちばん長く立ち止まったのがここだった。
主観的な経験は脳という情報処理システムに大量をデータを放り込めば生成されるものではない。主観的な経験は、身体を持った主体が環境の中で能動的に行為し、情報を積極的に意味付け、好意と情報の関連性を学習していく歴史的なプロセスの中で生成する。リンゴの赤い色合いは、世界の側に赤という情報が客観的に存在し、それが脳が表象するのではなく、私がリンゴを手に取りながら目の前で動かし、光の反射の変化パターンを学習し、それを何度も反復していく過程の連続として、認知システムと環境のカップリングに基づいて歴史的に形成された、固有の情報量と関係性から知覚された質感である
赤さは、脳が作っているのでも、リンゴが持っているのでもない。手に取って動かしてきた、その反復の歴史のほうにある。
先ほど、カメラの絵が赤さを棄てた、と書いた。ヴァレラは、その棄てられたものを拾いに行った。そして拾い上げてみたら、それは脳の中にあるものではなく、身体が世界と関わってきた歴史のほうにあった。
私はロルファーとして、人の身体に触れる仕事をしている。この箇所を読んで、自分の仕事の説明をもらったような気がした。
半世紀前に、同じことを書いた人がいた
第4章は、ヴァレラのあと、モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)へ進む。
読みながら、順番が逆だと気づいた。『行動の構造』は1942年、『知覚の現象学』は1945年である。ヴァレラが生まれる前年までに、両方出ている。ヴァレラにとってメルロ=ポンティは同時代人ではなく、出発点だった。
そしてメルロ=ポンティは、ヴァレラが細胞から辿り着いた結論を、半世紀前に書いていた。行動こそあらゆる刺激作用の第一原理である、と彼は書く。対象から来る刺激によって認知が可能になるのではない。その刺激さえも、行動によって生まれる。だとすれば、行動する当人も行動より前にはいない。行動によって、当人と、その当人にとっての環境が、同時に生まれる。
ヴァレラが細胞から言ったことと、同じである。
メルロ=ポンティは、赤ん坊の知覚を考え、幻影肢を考え、最晩年には、右手で左手を触るという場面を考えた。そこで、心をカメラに喩える絵が崩れる。カメラは、写される側にならない。入口と出口が決まっているからである。ところが触覚では、感じる器官が、そのまま感じられるものになってしまう。
彼が何を考え、どこまで行ったのかは、次回に書きたい。
世界は、目録ではなく海である
下西さんの本に戻る。第4章の中で、いちばん印象に残った一文を引いておきたい。
世界は意味を実在させて認知主体に発見されることを待っている存在の目録ではなく、個々の認知の独自の行為の介入によって巻き取られて意味が生成されることを可能にする海なのだ
棚ではなく、海。棚なら、名前のついたものが先に並んでいて、こちらはそれを見つけにいく。海は、そうではない。
カメラの絵では、外に世界があり、内に像があった。この一文では、内と外の区別がない。
まとめ
一冊の本が、別々に読んできたものを一つにまとめてくれることがある。
哲学の成り立ち、論理とモデルの作り方、コンピュータの誕生。違う棚にあった本が、心をどう捉えてきたか、という一本の線の上に並んだ。
その線の上で、最も自明なものが一度は外に出され、それを拾いに行った人たちがいた。拾い上げられたものは、脳の中にはなかった。リンゴを手に取って動かしてきた、その手のほうにあった。
ただ、読み終えて二つの問いが残った。
ひとつ。メルロ=ポンティが半世紀前に同じことを書いていたのなら、ヴァレラは何をしたことになるのか。
もうひとつ。ヴァレラは認知科学に現象学と仏教を入れた。現象学だけでは足りないと考えたからである。では、なぜ足りなかったのか。
この二つを、次の二回で書いてみたい。


