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タロットの心理学的源流──ユング・キャンベル・メルロ=ポンティから読み解く『認識のOS』

【タロット心理学シリーズ】──認識のOSへの4つの源流

タロットGateway 第1回(v0、未公開・2026/05/07作成)


Table of Contents

序章

タロットを「占い」ではなく「認識のOSのツール」として読み解く

2010年6月、私は初めてタロット・カードを手に取った。きっかけは、CTI(Coaches Training Institute)でコーチングを学んでいた時に出会った友人・吉田結妃さんから占ってもらったことだった。彼女は西洋占星術師でアートセラピスト。一度のセッションで、タロットの絵柄が私の中の何かを動かす感覚があった。

そこから16年。100人無料セッションから始まり、世界一周(2014-2015年、26カ国65都市)を経て、講座を9期開催し、3000人を超える方々のセッションを行ってきた。

その過程で、タロットは私の中で大きく姿を変えていった。

最初は「未来を当てる占い」のように見えた。しかし回を重ねるごとに、タロットが本当に映し出しているのは、未来でも過去でもなく、その人が今、世界をどう見ているか──つまり「認識のOS(Operating System)」だということが見えてきた。

OSというのは、私たちが世界を見るときの前提・フィルター・枠組みのことだ。コンピュータのOSがソフトウェアの動作を規定するように、認識のOSは「何を当然とし、何を疑い、何を見えないものとするか」を無意識のうちに決めている。

タロット・セッションで起きていることは、この認識のOSが一時的に揺らぎ、書き換えの余地が生まれる、ということだ。

タロットの心理学的源流──ユング・キャンベル・メルロ=ポンティから読み解く『認識のOS』

【タロット心理学シリーズ】──認識のOSへの4つの源流・第1回|全4回

※本シリーズでは、議論の流れと構造の把握を優先するため、文中の敬称は適宜省略している。


序章

タロットを「占い」ではなく「認識のOSのツール」として読み解く

2010年6月、私は初めてタロット・カードを手に取った。きっかけは、CTI(Coaches Training Institute)でコーチングを学んでいた時に出会った友人・吉田結妃さんから占ってもらったことだった。彼女は西洋占星術師でアートセラピスト。一度のセッションで、タロットの絵柄が私の中の何かを動かす感覚があった。

そこから16年。100人無料セッションから始まり、世界一周(2014-2015年、26カ国65都市)を経て、講座を9期開催し、3000人を超える方々のセッションを行ってきた。

その過程で、タロットは私の中で大きく姿を変えていった。

最初は「未来を当てる占い」のように見えた。しかし回を重ねるごとに、タロットが本当に映し出しているのは、未来でも過去でもなく、その人が今、世界をどう見ているか──つまり「認識のOS(Operating System)」だということが見えてきた。

OSというのは、私たちが世界を見るときの前提・フィルター・枠組みのことだ。コンピュータのOSがソフトウェアの動作を規定するように、認識のOSは「何を当然とし、何を疑い、何を見えないものとするか」を無意識のうちに決めている。

タロット・セッションで起きていることは、この認識のOSが一時的に揺らぎ、書き換えの余地が生まれる、ということだ。

Gatewayで示した4つの源流──本記事で扱うのは「心理学的・現象学的源流」

このシリーズは、タロットGateway記事で示した4つの層を、それぞれ一つの記事として深掘りしていく構成になっている。

  • 第1層:心理学的・現象学的源流(本記事)── ユング、神話学、現象学
  • 第2層:神経科学的源流(第2回)── ポリヴェーガル理論、DMN、社会脳
  • 第3層:実践としての源流(第3回)── コーチングとしてのタロット
  • 第4層:東洋思想的源流(第4回)── カバラ、陰陽五行、禅、メルロ=ポンティ晩年「肉」

本記事(第1回)は、その第1層を担当する。

なぜ最初がユング・キャンベル・メルロ=ポンティなのか。この3人は、20世紀の人間理解における3つの大きな転換点を示している。

ユングは「個人の意識の奥には、人類が共有する集合的無意識がある」と言った。キャンベルは「世界中の神話には共通の構造があり、それは人間が辿る物語のテンプレートである」と言った。メルロ=ポンティは「私たちが世界を見るとき、その見方は身体に組み込まれている」と言った。

この三つの問い──深層構造はあるのか、物語は普遍的か、知覚は身体に依存するか──は、すべてタロットというツールが映し出すものと深く重なっている。

個人史的なきっかけ──なぜ今、源流を辿るのか

タロットの実践を始めて16年が経った今、改めて源流を辿りたいと思ったのには理由がある。

3000人を超えるセッションを通じて見えてきたのは、タロットが「変化を起こすツール」というよりも、「変化が起きる場を整えるツール」だということだった。これは、私が並行して学んできたロルフィングやコーチングと、深いところで共鳴している。

そして2025年4月から7月にかけて、私はロルフィングのアドバンスト・トレーニング(AT)を24日間受講した。そこで講師のRay McCallと田畑浩良さんが繰り返し説いていたのは、「変化を起こす(Making)」と「変化が起きる場を整える(Letting)」のバランスだった。これはまさに、フッサールの現象学が言う「志向性(intentionality)」の概念であり、メルロ=ポンティが言う「身体図式」の働きそのものだった。

15年間別々の場所で学んできた──タロット、ロルフィング、コーチング、ヨガ、瞑想、世界一周──これらがすべて「認識のOSの書き換え」という一点に収斂していく実感があった。

その実感を、心理学・神話学・現象学という3つの言葉で整理し直したい。それが本記事の動機である。

なお、私のタロット基礎講座を受講した関田啓佑氏は、講座についてこう書いてくれている──「タロットカードの知識よりも直感を意識するという内容は素晴らしく、そこがこの講座の売りだと思う」。本記事は、彼が現場で感じ取った「直感」の心理学的源流を辿るものでもある。


第1層 ユング──集合的無意識と原型から見たタロット

タロットは「個人の運命」を超えて「人類の物語」を映す

タロットを引いたとき、よく聞かれる問いがある。「どうしてランダムに引いたカードが、自分の状況に重なるのか?」「偶然なのか、それとも何かが働いているのか?」

この問いに対して、20世紀心理学の中でもっとも本質的な答えを示したのが、カール・グスタフ・ユング(1875-1961)だ。

フロイトとユングの決別──個人的無意識から集合的無意識へ

ユングは元々、ジークムント・フロイトの最も期待された弟子だった。1907年の出会いから1913年の決別まで、二人は精神分析の発展のために共に働いた。

しかし二人は、無意識の捉え方で大きく分かれることになる。

フロイトにとって無意識とは、個人が抑圧した記憶や欲望が蓄積する場所だった。性的衝動や幼少期のトラウマが、本人の意識から押しのけられて溜まっている層──それが無意識だった。

ユングはこれに異を唱えた。患者の夢や神話を比較研究するうち、個人が一度も体験していないはずの神話的イメージが、複数の患者に共通して現れることに気づいたのだ。エジプトの太陽神話を知らない患者が、太陽神を象徴する夢を見る。中世錬金術を学んでいない患者が、錬金術的な変容のイメージを描く。

ユングはここから、「人類が長い進化の過程で蓄積してきた、もっと深い層の無意識がある」と考えるようになった。それが「集合的無意識(collective unconscious)」である。

集合的無意識と原型(archetype)──人類が共有する深層構造

集合的無意識の中には、ユングが「原型(archetype)」と呼ぶイメージのテンプレートが存在している。母なるもの、父なるもの、英雄、賢者、影(シャドウ)、トリックスター──これらは個別の文化を超えて、世界中の神話・宗教・物語に繰り返し現れる。

原型は具体的な内容ではなく、「枠組み」だ。具体的な「英雄像」は文化ごとに違う。日本の英雄とギリシャの英雄は、衣装も振る舞いも違う。しかし「困難に立ち向かい、変容する人物」という原型は共通している。

ユングは言う。原型は遺伝子のように受け継がれているのではなく、人類の心の構造そのものに組み込まれている、と。

タロット大アルカナ22枚と原型の対応

ここでタロットに戻ろう。

タロットの大アルカナ22枚は、0番の「愚者(The Fool)」から始まり、21番の「世界(The World)」に至る一連の旅を描いている。途中には、魔術師、女教皇、女帝、皇帝、教皇、恋人、戦車、力、隠者、運命の輪、正義、吊られた男、死神、節制、悪魔、塔、星、月、太陽、審判が並ぶ。

これらのカードを見たとき、ユング派の心理学者ニコルズ・サリーは、原型との対応を見出した。私自身、2016年にタロット講座を始めるにあたって、参考図書としてこの本を取り上げている:

本書は、タロットとユング心理学との関連性で語った一冊となっているが、ユングの心理学のうち原型の考え方に焦点を合わせて書いているという印象。「レイチェル・ボラック著:タロット・バイブル・78枚の真の意味」でも捉えきれない場合には、こちらの本を辞書がわりに使うのもいいと思う。集合的無意識との関連についても示唆の富むことが書かれている。

──【T#28】タロット・カードを読むにあたって参考となりそうな本の紹介

ニコルズの著書『ユングとタロット──元型の旅(Jung and Tarot: An Archetypal Journey)』は、22枚のカードそれぞれに、ユング派分析の視座から光を当てている。彼女はタロットの大アルカナ全体を、ユングの言う個性化(individuation)のプロセスを描く「魂の旅の地図」として読み解き、各カードに登場する象徴を、ユング派の概念──影(シャドウ)、アニマ/アニムス、老賢者(Old Wise Man)、自己(Self)など──と結びつけて解釈する。

例えば「悪魔」のカードは、自分の中に押し込めてきた影の側面(シャドウ)と対峙する場面として読まれる。「塔」は偽の安心感や閉ざされた構造から強制的に解き放たれる、解放の一撃として描かれる。そして最後の「世界」のカードは、個性化の旅がたどり着く照らし出しの状態──完成と統合の象徴として位置づけられる。

ここで重要なのは、これは「タロットの絵柄が偶然ユング心理学に似ている」のではない、ということだ。ユング自身が、タロットを集合的無意識の流れの表現として直接言及している。

1933年3月1日、ユングはVisions Seminar(1930-1934)の中で、active imagination について語る文脈でタロットを取り上げた。そこで彼は、タロットの絵柄を「心理学的な像であり、無意識がその内容と戯れるのと同じように、人がそれと戯れる象徴」として位置づけた。さらにタロット自体を「無意識の流れの構成要素を表現する試み」と捉え、生命の流れを理解する直観的な方法、現在の状況を読み解くツールとして適していると述べている。

タロットを単なる占いではなく、心理的・象徴的なツールとして位置づけたこの言及は、その後のユング派心理学とタロットの接続点となった。

つまり、タロットの大アルカナとユングの原型論は、独立に発見された二つの体系が偶然似ているのではなく、人類の心の深層構造を別の角度から記述した、二つの言語である。

active imagination──象徴と対話する技法

ユングが患者の治療の中で発展させた技法に、active imagination(能動的想像)がある。

これは、夢やイメージや象徴を「分析する」のではなく、「対話する」技法だ。出てきたイメージに語りかけ、その応答を聞き、必要ならまた語りかける。意識と無意識のあいだに、対話の場を作る。

タロット・セッションで起きていることは、active imagination に非常に近い。引いたカードのイメージに、「これは何を映しているのか?」と問いかけ、その応答を待つ。応答は言葉ではなく、感覚や気づきとして立ち現れる。

セッションを受ける側にとって、タロットの絵柄はランダムに引いた紙片ではなく、自分自身の無意識との対話の窓になる。これがユングの言う「象徴は経験するものであって、解釈するものではない」という姿勢と重なる。

私自身の出会い──2009年CTIから2010年のタロットへ

CTI受講中に出会ったユング的視座

私が初めてユング心理学に正面から触れたのは、2009年、CTI(Coaches Training Institute)でコーチングのコースを受講していたときだった。

CTIのカリキュラムは、ユング心理学そのものを教えるわけではない。しかし15日間のコースの中で、繰り返し出てきた言葉がいくつかあった。Authenticity(自分自身であること)、Wholeness(全体性)、そしてindividuation──個性化。

individuationという言葉は、ユング心理学の中心概念のひとつだ。それは「自分自身になっていく過程」を指す。社会の期待や両親の願いや教育で形成された仮の自我(ペルソナ)の奥に、その人本来の固有の核がある。それを発見し、統合していく一生のプロセスがindividuationだ。

CTI受講中、私はこの言葉に強く引き寄せられた。それまで私は、研究者として、製薬会社の社員として、「外側から与えられた役割をどう果たすか」を中心に生きてきた。しかしindividuationという言葉は、「与えられた役割を果たす自分の奥に、別の何かがあるかもしれない」という可能性を示していた。

このときの感触が、その後のタロット、ロルフィング、世界一周、そして今に至るすべての選択につながっている。

なお、individuationそのものをコーチング技法と結びつけて深掘りすることは、本記事ではしない。それは別途、コーチングを正面から扱うGateway記事で展開する予定だ。本記事では、individuationが「私とユングの最初の接点」だったという個人史的事実だけを記しておきたい。

2010年6月、吉田結妃さんからのセッション

CTI受講中、同じクラスに西洋占星術師でアートセラピストの吉田結妃さんがいた。彼女が主催するタロット練習会のクラスの中で、私は彼女から占ってもらう機会を得た。

そのときの感触を、私はタロットを始めて間もない2011年5月、ブログに書き残している:

昨日の朝、タロット練習会に参加してきました。タロットの先生は、CTIコーチングを受けたときの受講仲間で、吉田結妃先生。最初占いを見ていただいたのですが、そこで非常に面白いと思った。是非自分でも覚えたい!ということで、2度にわたるタロット講座へ参加。タロットの奥深さを知ることが出来た。

その後、30人近く、タロットで実際にいろいろな人の人生を見ましたが、よくあたることにびっくり。どんどん興味が増すばかりといった状況です。

一枚一枚のカード単独でもストーリーを作りことが出来るし、大アルカナと呼ばれる22枚のカードが0〜21を順番に並べると、ひとつの大きなストーリーが作れる。そこには、人間がたどるであろうストーリーを読み取ることできる。

──【T#1】練習会へ参加:ストーリーと右脳

この時の私はまだユングの著作も、ニコルズの本も、ジョセフ・キャンベルの神話学も体系的には読んでいなかった。にもかかわらず、「22枚を順に並べると人間が辿るストーリーになる」という直感が、タロットを始めて1年もしないうちに芽生えていた。

この直感は、後にユングの原型論、キャンベルのヒーローズ・ジャーニー、そしてメルロ=ポンティの身体図式という3つの理論的言語によって、私の中で確かなものになっていく。本記事で辿りたいのは、まさにその過程である。


第2層 神話学──ヒーローズ・ジャーニーが照らす「人間が辿る物語」

ジョセフ・キャンベルの発見──世界中の神話に共通する構造

ユングが「集合的無意識」という形で人類の深層構造を捉えたとすれば、ジョセフ・キャンベル(1904-1987)は、その深層構造が「物語」という時間軸上にどう展開するかを明らかにした。

キャンベルはアメリカの比較神話学者で、世界中の神話を体系的に研究した人物だ。代表作は『千の顔を持つ英雄(The Hero with a Thousand Faces)』(1949)と、晩年のテレビ対談を収めた『神話の力(The Power of Myth)』(1988)。後者は彼の死の翌年に出版され、世界的なベストセラーになった。

キャンベルが発見したのは、文化や時代をまたいで、世界中の神話には驚くほど共通の構造があるということだった。ギリシャ神話のオデュッセウスの旅、仏陀の悟り、キリストの受難、アーサー王の聖杯探求、日本の桃太郎、メソポタミアのギルガメシュ叙事詩──これらすべてが、ある一つのテンプレートを共有している。

このテンプレートを、キャンベルは「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」と呼んだ。

ヒーローズ・ジャーニーの8段階

私は2011年6月、製薬会社で働いていた時期に、キャンベルの『神話の力』を読み、ヒーローズ・ジャーニーの構造を初めてブログに整理した:

実は、神話、キリスト教の聖書や日本昔話など、人間の周りには面白い魅力的なストーリーがたくさんある。その世界各地の神話を分析し、どのように構成しているのか?研究した神話学者がいる。その名を、Joseph Campbell(ジョセフ・キャンベル)という。彼が発見したのは、魅力的な神話、ストーリーには、共通の構造があるということ。それは、以下のような構造のことである。

Calling 天命
Commitment 旅の始まり
Threshold 境界線、敵が現れる(人とは限らない)
Guardians メンター
Demons 悪魔
Transformation 変容
Complete the task 課題完了
Return home 故郷へ帰る

実は、スターウォーズ、マトリックス、ロード・オブ・ザ・リングなど世界的にヒットしている作品はすべて、この構造を踏襲している。

──【B#4】個性はどのようにして「発見」できるのか?〜ストーリーの構造を知る

この8段階は、ハリウッドの脚本家クリストファー・ヴォグラーによって『The Writer’s Journey』(1992年)として実用化され、現代映画の物語構造の中核になっている。スター・ウォーズのジョージ・ルーカスは、キャンベルの著書から直接インスピレーションを得たと公言している。

しかし、キャンベル自身が言いたかったのは「物語を書く技術」ではなかった。彼が見ていたのは、「人間が成長するとき、人類はずっと同じ道筋を辿ってきた」という事実だった。

天命を受け、慣れ親しんだ世界を出て、境界を越え、守り手と出会い、悪魔と対峙し、変容し、課題を達成し、変わった姿で元の場所に戻る──この道筋は、神話の登場人物だけでなく、私たち一人ひとりが人生のあらゆる転機で繰り返し辿っているものだ、とキャンベルは言う。

転職、結婚、独立、移住、病、別れ。これらすべてに、ヒーローズ・ジャーニーの構造が見える。

タロット大アルカナと「愚者の旅」

22枚を順に並べると人間が辿る物語が立ち現れる

ここでタロットに戻る。

タロットの大アルカナ22枚は、0番「愚者」から始まる。愚者は崖の縁に立ち、犬を連れ、軽装で、まさに「旅立ち」の姿勢を取っている。

この旅の構造を、ヒーローズ・ジャーニーと並べてみると、対応関係が見えてくる。

旅立ちの段階:

  • 0 愚者(旅の始まり、Calling/Commitment)
  • 1 魔術師(自分の道具を確認する)
  • 2 女教皇(内なる声に耳を傾ける)

試練と師匠との出会いの段階:

  • 3 女帝、4 皇帝、5 教皇(社会的な構造との出会い)
  • 6 恋人(最初の重要な選択)
  • 7 戦車(自分の意志で進む)

深い試練の段階:

  • 8 力、9 隠者、10 運命の輪(内的な力の発見、孤独、運命との対峙)
  • 11 正義、12 吊された男、13 死神(裁き、犠牲、終わり)
  • 14 節制、15 悪魔、16 塔(バランス、シャドウ、崩壊)

帰還と統合の段階:

  • 17 星、18 月、19 太陽(希望、無意識、明晰さ)
  • 20 審判、21 世界(再生、完成)

これは、Calling(愚者の旅立ち)からReturn(世界の完成)までの、ヒーローズ・ジャーニーの完全な構造そのものだ。

タロット研究者の中には、この対応を「タロットの愚者の旅」と呼び、リーディングの中核に置く人もいる。アーサー・エドワード・ウェイトが20世紀初頭にライダー・ウェイト版タロットをデザインしたとき、彼はすでに大アルカナを「魂の旅」として構成していた。

つまり、ユングの原型論とキャンベルの神話学は、独立に進化しながら、同じ深層構造──人類が共有する「変容のテンプレート」──を、それぞれの言語で記述している。タロットの大アルカナは、その両方に重なる象徴体系として、20世紀以降、心理学的・神話学的読解の対象になってきた。

なぜ脳は物語を欲するのか

ストーリーを生み出す脳

ここまで、深層構造(ユング)と物語の構造(キャンベル)の話をしてきた。では、なぜ人間の脳は物語を欲するのだろうか?

私は2011年5月、タロットを始めたばかりの頃に、この問いについて書き留めている:

興味深いことに左脳は、ストーリーを作り上げる能力に長けている。ということは、このように脳は、外の断片的な情報と脳内部の記憶断片をもとに、絶えず、ストーリー(物語)を作り上げる。宗教や神話でのストーリー作りはこのような働きによるものでしょう。

──【T#2】脳はストーリーを欲している。〜構造から見た場合

これは現代神経科学が裏付けている事実だ。脳の左半球には「インタープリター(解釈者)」と呼ばれる機能があり、断片的な情報をつなぎ合わせて、一貫したストーリーを生成する。マイケル・ガザニガが分離脳患者の研究で明らかにした働きである。

さらに最近の神経科学では、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる脳のネットワークが、「自我物語」を生成し続けていることが分かっている。私たちが何もしていないとき、ぼんやりしているとき、脳は休んでいるのではなく、過去の記憶を呼び戻し、未来を予測し、「私という物語」を編集している。

物語は、脳が生まれつき持っている認知のフォーマットなのだ。だから、神話やタロットが私たちの心に響くのは、単なる文化的な趣味ではない。それは、脳の根本的な動作様式と共鳴しているからだ。

なお、DMNと自我物語の詳細については、本シリーズ第2回「神経科学から見たタロット」で正面から扱う予定なので、ここでは触れる程度にしておく。

河合隼雄と村上春樹──物語の臨床的力

物語の力を、心理療法の現場から証言した臨床家がいる。日本のユング派分析家、河合隼雄(1928-2007)だ。

河合隼雄は、日本人として初めてユング研究所(チューリッヒ)でユング派分析家の資格を取得した人物で、京都大学の名誉教授であり、後に文化庁長官も務めた。彼が一貫して説いていたのは、「人は物語によって癒される」ということだった。

作家の村上春樹は、河合隼雄との対話を通じて、自分が小説家として降りていく場所と、河合隼雄が臨床家として降りていく場所が、同じ「魂の奥底」であることを語っている。

私はこの対話を読んで、自分のしているタロット・カード・リーディングやロルフィングが、同じ場所への入り方であることに気づいた。2015年9月、こう書き残している:

タロット・カード・リーディングやロルフィングは、人と対面で接することである。それはすなわち一緒になって過去にその人が体験した奥底にあるものを懐中電灯で照らしながら入っていくようなもの。手段がカードと身体といった違いがあるにしても、私がタロットとロルフィングが同じように感じるのは、一緒になって物語を再生していく(違った視点で見る、もしくは違った気づきをもたらす)というプロセスがあるからだと思う。

──【B#27】「物語」と「心のリセット」について

タロットが映し出すのは、その人が今いるヒーローズ・ジャーニーの段階であり、そこに必要な原型である。これはユングとキャンベルが、心理療法と比較神話学という別々の場所から指し示した、同じ場所だ。

私自身の検証──2011年の読書から2014-2015年世界一周へ

2011年、製薬時代に『神話の力』に出会う

私が最初にキャンベルの『神話の力』に出会ったのは、2011年。製薬会社で多発性硬化症治療薬の日本立ち上げに関わっていた時期だ。

その頃の私は、CTIで学んだコーチングの考え方に強く影響を受けていた。「相手のbeing(在り方)に向き合えば、doing(行動)は自ずと現れる」という観点から、人を見るようになっていた(このBEING/DOINGの視座は、別途コーチングを正面から扱う記事で深く展開する)。

そんな中、キャンベルを読んで衝撃を受けたのは、「個性は独自性ではなく、普遍的な物語の中で立ち現れるパターンだ」という発想だった。

自分が今まで生きていた人生をうまく他人に説明できるストーリーを持っている人こそ、個性をもっている人だと考えている。つまり、自分のストーリーを語れるかどうか。。。

──【B#4】(前掲)

それまで「個性」を、他者と違うことだと考えてきた私にとって、これは認識の枠組みを変える発想だった。個性は、人類が共有するヒーローズ・ジャーニーの中の、その人ならではの位置に立つこと──そう捉え直すと、自分の人生の軌跡が、急にちゃんとした物語に見えてきた。

2014-2015年、26カ国65都市を巡って物語の普遍性を身体で検証

2014年7月、私は製薬会社を辞めた。新薬の日本発売を見届けたタイミングだった。1年間の長期休暇を取り、ロルフィングのトレーニング、アーユルヴェーダの体験、そして世界一周旅行に出た。

この旅の途中、私はキャンベルが本当に正しかったのかを、身体で検証することになった。

モンゴルの草原で遊牧民のゲルに泊まったとき、家族の年長者が囲炉裏端で語る昔話の構造に、ヒーローズ・ジャーニーが見えた。ペルーのマチュピチュへの山道を歩きながら、インカ文明が太陽神の旅として作り上げた都市建築に、変容の段階を読んだ。モロッコのフェズのメディナで道に迷い、結局現地の人に助けられて宿に戻ったとき、自分自身がCalling→Threshold→Guardian→Returnの一巡をしていることに気づいた。

文化が違っても、人々が語る物語、信じる神話、生きる人生のリズムには、あの8段階が繰り返し現れた。キャンベルが述べた普遍性は、知識ではなく、身体を通じた実感として確認された。

この旅の全体像については、別途まとめている:世界一周Gateway──26カ国・65都市の旅が認識のOSを変えたを参照していただきたい。

旅から戻った2015年、私は本格的にロルフィングのトレーニングを開始した。そこで出会うのが、本記事第3層の主役、メルロ=ポンティの現象学である。

タロットとキャンベルが私の中で繋がった瞬間

世界一周中、ペルーを旅していたとき、同行した仲間に対してタロットでセッションをする機会があった。標高3400メートルのインカ帝国の旧都・クスコ。歴史が層をなして積み重なった土地で、相手のためにカードを並べ、絵柄を観ながら、その人の物語を一緒に辿った。

慣れ親しんだ東京の部屋でセッションをするときとは違う感触があった。文化も気候も時間軸もまったく違う場所で、それでもタロットの大アルカナは確かに、相手の物語に寄り添う応答を返してきた。場所が変わってもタロットが機能するということは、タロットが映しているのが特定の文化に依存する何かではなく、もっと深い、人類が共有する層であることの証拠だった。

そのとき、はっきりと分かった。タロットの大アルカナとキャンベルのヒーローズ・ジャーニーは、別々の言語で同じものを言っている。ユングが集合的無意識と呼んだ深層構造、キャンベルが英雄の旅と呼んだ時間的展開、そしてタロットの22枚という象徴体系──これらが私の中で初めて一つの線で繋がった瞬間だった。

この実感が、後のタロット講座(2016年〜、9期開催)の出発点になった。


第3層 現象学──身体図式と「観る」こと

「知識で見る」と「直接見る」──西洋と東洋の二つの目

鈴木俊隆「ビギナーズ・マインド」

ユングが原型を、キャンベルが物語の構造を語ったとして、では私たちはタロットのカードをどう「観る」のか? ここで第3の源流、現象学が登場する。

私は2024年1月、ロルフィングを通じた「世界の見方の変化」について、こう書いた:

どちらかというと、知識を覚えて、そのレンズで物事を見る教育を受けている人の方が多いのではないかと思う。

鈴木俊隆さんの「禅マインド ビギナーズ・マインド(サンガ新書)」には、以下の文言がある。

In the beginner’s mind there are many possibilities, in the expert’s mind there are few.
初心者の心には多くの可能性があるが、専門家の心には可能性がほとんどない。

As soon as you see something, you already start to intellectualize it. As soon as you intellectualize something, it is no longer what you saw
何かを見ると、知性が働き始める。知性で考えると、見るものと違うものになる。

全世界的に言えることだが、小学校と中学校では、科学的なものの見方を学び、そのレンズで世界を見ることを身につける。対照的に、東洋では、瞑想、公案、身体の動き(ヨガ、呼吸法)を使って、直接、正解を見ることを大事にする。

要は、「東洋は直接モノを見ることを大事にする」のに対し、「西洋は知識でモノを見ることを大事にする」と考えていいかもしれない。

──【R#282】世界に対する見方を変える〜身体から心へのアプローチ

タロットを「観る」というのは、まさにこの「直接見る」モードに近い。カードを「分析」しようとした瞬間、カードは情報処理の対象になり、目の前にあるイメージそのものから遠ざかる。

しかし、20世紀に入ると、西洋哲学の中にも「直接見る」を取り戻そうとする運動が現れた。それが現象学(phenomenology)である。

20世紀の現象学が東洋に近づいた理由──マッハからフッサールへ

現象学に至る道を準備したのは、19世紀末の物理学者にして哲学者、エルンスト・マッハ(Ernst Mach, 1838-1916)である。マッハは「外部から物理的刺激が来て、私がそれを受け取って知覚する」という従来の図式そのものに疑問を投げかけた。彼の主張はこうだ──私たちが直接体験しているのは、五感(マッハは「感性」と表現した)を通じて立ち現れる感覚要素そのものであり、それを「主観」と「客観」に分けて捉えること自体が無意味である。色・音・熱・圧・空間・時間といった感性要素が相互に結合し、それに気分・感情・意志が結びついて、初めて「物体」と呼ばれるものが現れる。

マッハのこの発想は、後にアインシュタインの相対性理論にも影響を与えると同時に、現象学への道を開いた。マッハ→フッサール→メルロ=ポンティという思想史的な流れについては、姉妹記事である「主観・客観の破綻から身体図式へ──現象学とロルフィングの接点」(哲学シリーズ第3回)で詳しく論じている。

20世紀初頭、エトムント・フッサール(Edmund Husserl, 1859-1938)は、マッハの問題意識を引き継ぎながら、自然科学が当然視していた「客観的世界」という前提そのものに疑問を投げかけた。

私たちは常に、何かを意識している。コーヒーカップを見る、音楽を聴く、誰かを思い出す。これらの体験のすべてに共通するのは、「意識は常に何かに向けられている」ということだ。

フッサールはこれを「志向性(intentionality)」と呼んだ。そしてこう問うた──私たちは「意識を向ける前の客観的世界」について語ることができるのか? 知覚される前の世界は、本当にあると言えるのか?

フッサールの問いから始まった現象学は、ハイデガー、メルロ=ポンティと展開していく中で、東洋的な「直接体験を重んじる」姿勢に近づいていった。

「対象を分析する前に、まず体験そのものに戻る」──これが現象学の中心的な姿勢である。

フッサールの現象学──意識と対象の関係を問い直す

志向性(intentionality)と意識の二重構造(ノエシス/ノエマ)

フッサールは意識を分析するにあたって、二つの側面を区別した。

  • ノエシス(noesis):意識の作用(向ける働き)
  • ノエマ(noema):意識の対象(向けられた対象)

この両者は分離できない一つのペアとして存在する。「カップを見る」という体験は、「見る」という作用(ノエシス)と「見られているカップ」(ノエマ)が同時にあるということだ。どちらか一方だけでは成立しない。

これがタロット・セッションでなぜ重要か?

セッションの場では、引いたカードという「対象」だけがそこにあるのではない。それを「観る」という作用と一緒に、初めてカードが意味を持って立ち現れる。同じカードが、その日の自分の状態によって違って見える。それは「観る側」と「観られる側」が、不可分な関係性として存在しているからだ。

INTENTION(意図)vs INTENTIONALITY(志向性)

私はこの志向性の概念に、2025年4月から始まったロルフィングのアドバンスト・トレーニング(AT)で、改めて深く触れることになった。

意図(もしくは意念)を使った物事の捉え方とは、自分の中でクリアな状態で「身体で何が起きているのか?」わかっており、「クライアントよりもプラクティショナーの方が賢い」だから「全ては因果関係で説明できる」「変化を説明できる」という立場に立つ。

一方で「志向性」は、現代哲学者の一人、エトムント・フッサール(Edmund Husserl)が創始した現象学(Phenomenology)の用語として知られている。

現象学によると、意識には、作用する側(プラクティショナー、ノエシスと呼ぶ、意識作用)と対象(クライアント、ノエマ、意識対象)の二重構造を持つことを前提に世界を捉える。

私たちの意識は常に何か対象に向けられていることから、「意識」と「対象」には、切り離せない「関係性」(「志向性」と表現)があると考える。

──【R#331】意図と志向性の違い〜セッションに臨む2つの「在り方」

意図(INTENTION)と志向性(INTENTIONALITY)の違いは、ロルフィングだけでなくタロットのセッションでも本質的に重要だ。

意図でセッションに臨むと、「このカードはこういう意味だから、こう解釈する」という、施術者中心の知識ベースのリーディングになる。これは段階的(Developmental)な変化を生むが、相手の独自性が見えづらい。

志向性でセッションに臨むと、「このカードは今、この人にとって何を映しているのか?」という、関係性ベースのリーディングになる。これは創発的(Fruitional)な変化を生む。予想外のことが起きる。クライアントの方が、施術者よりも、自分の答えを知っている。

タロットを16年実践してきて私が辿り着いたのは、後者の姿勢だ。カードに「答え」を求めるのではなく、カードという媒介を通じて、その人自身の中にある答えが立ち現れる場を整える。これがフッサールの言う「志向性」を、タロットの場に翻訳したものだと言える。

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』──身体図式という発見

身体図式(schéma corporel)とは何か

フッサールが現象学を哲学として打ち立てた後、それを身体論として展開したのが、モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)である。

メルロ=ポンティの代表作『知覚の現象学(Phénoménologie de la perception)』(1945年)の中心概念のひとつが、「身体図式(schéma corporel)」だ。

身体図式とは、私たちが自分の身体をどこに、どう位置づけているかの、無意識的な地図である。

例えば、目を閉じても、自分の右手がどこにあるか、左足がどう曲がっているかが分かる。これは、視覚で確認しているのではなく、「身体図式」が常に更新されているからだ。

身体図式は、皮膚、筋肉、関節、内臓、平衡感覚、視覚など、身体のあらゆる感覚チャンネルから情報を集めて、脳が無意識に編集している。

メルロ=ポンティが画期的だったのは、この身体図式が「自分の身体の輪郭の中だけにある」のではなく、「身体を通じて世界に開かれている」と捉えたことだ。

熟練した運転手が車を運転するとき、車のサイズが自分の身体図式に組み込まれる。狭い道で「通れる/通れない」を瞬時に判断できるのは、車を含めた身体図式が機能しているからだ。

タロットのカードに触れ、絵柄を観るというのも、ある種の身体図式の拡張である。カードは単なる印刷物ではなく、観る側の身体図式に組み込まれた瞬間、別の意味を持ち始める。

身体図式は「世界に対する見方」=パソコンのOS

私はR#282の中で、メルロ=ポンティの身体図式を、「パソコンのOS」というメタファーで捉え直している:

人間というものは、主観や客観で分けられない「身体図式」(ボディスキーマ、スキーマとはフレームワークや図式のこと)という世界を見る目を持つため、一人一人、個性を持つことができる。

身体は、「視覚情報」「筋骨格系」「触覚情報」から絶えず情報収集を行なっているが、その情報を「脳」に伝えることで、「世の中に対する見方」=「パソコンのOS」の情報が更新される。

「世の中に対する見方」のことを、メルロ・ポンティは「身体図式」(別の言葉で言えば「身体地図」)と表現した。

──【R#282】(前掲)

このメタファーが本記事の主題「認識のOS」と直接繋がる。

メルロ=ポンティの言う身体図式は、まさに「認識のOS」のもっとも根底にある層だ。私たちが世界を見るとき、その見方は中立な眼差しではなく、身体に組み込まれた特定のフレームワークを通じて構築されている。

このフレームワークは、育った環境、文化、トラウマ、職業、習慣など、あらゆる経験によって少しずつ形作られる。そしてほとんどの場合、本人はそれが「特定のフレームワーク」だとは気づいていない。「世界はこういうものだ」と思っている。

タロットがそのフレームワーク(認識のOS)を一瞬揺らがせるのは、カードという象徴が、普段の論理的な意味処理の経路を迂回して、身体図式そのものに直接働きかけるからだ。

身体図式と認知スキーマ──同じギリシャ語 skhema から

ここで興味深い言語的事実を指摘したい。

メルロ=ポンティの「身体図式(schéma corporel)」と、現代認知科学の「スキーマ(schema)」は、同じギリシャ語の skhema(形・枠組み)を語源としている。

私は2025年5月、AI時代の脳の使い方について書いた記事で、認知スキーマに触れている:

アブダクション的推論が可能になるためには、何らかの土台が必要である。それがスキーマ(schema)である。語源はギリシャ語の “skhema”(形・枠組み)であり、経験によって形成された「意味づけの雛形」を意味する。

(中略)スキーマは「フレームワーク(framework)」あるいは「認知の枠組み」とも訳され、私たちが新しい情報をどのように解釈し、既知とどのように結びつけるかを方向づける基礎となっている。

──【B#197】仮説を立て、世界に働きかける──AI時代に「脳をどう使うか」②

メルロ=ポンティが20世紀半ばに哲学的に提唱した「身体図式」と、現代認知科学が分析的に研究している「スキーマ」は、同じ概念の別名である。両者は別々の経路で発展しながら、人間が世界を意味づける枠組みの構造を、それぞれの言語で記述してきた。

タロットのリーディングとは、見方を変えれば、相手の身体図式/スキーマを揺さぶることだ。普段の意味づけの枠組みでは見えなかったものを、カードという別の象徴体系を媒介にして、見えるようにする。

なお、メルロ=ポンティには中期『知覚の現象学』の身体図式とは別に、晩年の『見えるものと見えないもの』で展開された「肉(chair)」という独自の存在論的概念がある。これは身体と世界の境界を問い直す、より深い議論だ。本記事第1回ではここまで踏み込まないが、本シリーズ第4回「タロットと東洋思想」で、東洋思想(特に non-dual awareness)との接続点として正面から扱っている。

タロットを「観る」とは何か

カードを「分析する」のではなく「観る」

ここまでの3層を踏まえて、タロットの実践に戻ろう。

カードを「観る」というのは、英語のseeingに近い。見る(see)は受動的に視覚情報を受け取ることだが、観る(seeing)はもっと能動的・全身的な働きだ。日本語の「観察する」「観じる」「観想する」などにも、この語感が残っている。

タロットの大アルカナを「観る」とき、私たちは:

  • カードの絵柄(視覚)
  • カードを引いた人の表情・呼吸・姿勢(視覚+触覚的な感じ取り)
  • 場の雰囲気(聴覚的・空間的感覚)
  • 自分自身の身体感覚(内受容感覚)

これらすべてを、同時に受け取っている。これがメルロ=ポンティの身体図式の働きそのものだ。

「カードはこう意味する」という知識ベースの読みは、ノエマ(対象)だけを切り取って、ノエシス(観る作用)を切り捨てている。これでは現象学的な「観る」になっていない。

ロルフィングのSeeing/Auditing──Ida Rolfの観察論

私が「観る」ということを身体で理解したのは、2015年のロルフィング基礎トレーニング、Phase IIIだった。

ロルフィング創始者のIda Rolf(1896-1979)は、身体の観察を教えるとき、「Auditing(観察者の段階)」というステップを設けていた。施術を一切させず、ただ観察し続ける訓練だ。

Ida RolfがRolfingを教え始めた当初、カルキュラムを2つの段階にわけていたらしい。すなわち、それはAuditing(観察者(知覚する)の段階)とPractitioner(施術者(施術経験)の段階)。Auditingは、どのように観察するのか?を教える段階で、身体を観察するところに力点がおかれている。施術することを一切しないところが面白い。そして、実際に施術者を繰り返し観察し続ける。そして、「Rolfingについて何を観察するのが大事なのか?」を身につけるまでそれが続くのだ。

このような手法をSaturation method(Saturation=情報が飽和する)と呼ぶらしいが、目が身体に対する見る目を養うまで情報を与え続けることで見る目を身につける。

──【R#60】Phase III(6)〜Seeingと知覚すること(1)

Phase IIIで先生(Jörg先生)が見せてくれた図がある。一見、抽象的な図形が並んでいるだけの絵に見えるのだが、「ここにキリンがいる」と言われると、突然キリンが浮かび上がってくる。図形には何も線が加えられていないにもかかわらず。

何が変わったのか? 自分の中にキリンという「概念・意味」が呼び込まれたから、キリンとして観ることができるようになったのだ。

これがまさに、現象学が言う「ノエシス(観る作用)が変わると、ノエマ(観られるもの)が変わる」という事態である。

タロットのリーディングも全く同じだ。同じカードを、原型(ユング)として観るか、物語の段階(キャンベル)として観るか、身体図式の揺らぎ(メルロ=ポンティ)として観るか──観る側の枠組みが変われば、カードが映し出すものも変わる。

そして3000人以上のセッションを経て私が確信しているのは、これらは「どれが正しいか」ではなく、「どれも同時に観られる」ということだ。タロットの大アルカナは、原型/物語/身体図式の3つを同時に映し出すツールなのだ。

私自身の身体化──2015年Phase IIIから2025年ATへ

2015年ロルフィング基礎トレーニングPhase III──現象学が身体に降りた瞬間

世界一周から戻った2015年、私はミュンヘンで欧州ロルフィング協会主催の基礎トレーニングを受けていた。Phase III(後半)で、Jörg先生から先述のキリンの図を見せられたとき、私は「観る」とは何かを身体で理解した。

それまでの私は、知識で世界を見ることに慣れすぎていた。製薬会社で論文を読み、データを分析し、戦略を立てる──これは典型的な「知識で見る」モードだ。

ロルフィングのトレーニングは、このモードに依存していた私に、別のモードを開いてくれた。身体全体で受け取り、判断する前に感じ取る、というモード。

このとき初めて、メルロ=ポンティの本に書かれていたことが、文字情報ではなく身体感覚として理解できた。「身体図式は世界に開かれている」というフレーズが、身体感覚として腑に落ちた。

2018年Rolf Movement──「身体地図」が更新される体験

2018年、私はミュンヘンでRolf Movement(ロルフ・ムーブメント)のトレーニングに参加した。動きを通じて身体図式に働きかける手法を体系的に学ぶ場だ。

このトレーニングで、視覚(visual)、内耳感覚(vestibular)、筋感覚(kinesthetic)の3つのバランスが、身体図式をどう構築しているかを実感した。片目を閉じるだけで、空間の感じ方が大きく変わる。耳の感覚を活性化させると、視野が広がる──こうした実験的な体験が連続した。

身体図式は固定されたものではなく、絶えず動的に書き換えられている。これがロルフ・ムーブメントが教えてくれた事実だった。

タロットのセッションでも、同じことが起きている。カードを引いた瞬間、相手の身体図式は微細に変化する。それまでとは少し違う方向から、自分の状況を観るようになる。これは「気持ちが変わる」という心理的な現象ではなく、「観る枠組みが変わる」という身体的・現象学的な変化だ。

2025年Advanced Training──フッサール志向性が「在り方」として深化

2025年4月から7月にかけて、私はAdvanced Training(AT)を24日間受講した。10年ぶりのトレーニング参加で、講師はRay McCallと田畑浩良さん。

ATで学んだのは、技術ではなく「在り方(Being)」だった。Rayが繰り返し説いていたのは、INTENTION(意図)とINTENTIONALITY(志向性)の違い──まさにフッサールの志向性の概念を、施術者の在り方として実践化した内容だった。

意図でもってセッションに臨むと、段階的な変化(Developmental、段階的)が期待できる。対照的に、志向性で持ってセッションに臨むと、相手のプロセスに委ねる、創発的(Fruitional)変化が認められる。

──【R#331】(前掲・再引用)

これは私が16年タロットを実践してきて、徐々に身につけてきたモードと、完全に同じものだった。違う場所で、違う名前で、同じことが指し示されている。

そして2025年7月、私はAdvanced Rolferとして認定を受けた。15年に及ぶロルフィングの学びがひと段落したタイミングで、改めてタロットGatewayシリーズを書き始めている──それが今、私が辿り直している源流の旅である。


第4層 三者の合流──タロットが照らす「認識のOSの書き換え」

ユング・キャンベル・メルロ=ポンティが交差する場

三つの源流の関係:原型(深層構造)/物語(時間軸)/身体図式(知覚軸)

ここまで3つの源流を辿ってきた。整理すると、それぞれは異なる軸から人間理解を提示している。

源流何を捉えるか
ユング(原型・集合的無意識)深層構造人類が共有する深い心の構造
キャンベル(ヒーローズ・ジャーニー)時間軸個人と人類の物語が辿る共通の段階
メルロ=ポンティ(身体図式)知覚軸世界をどう観るかの身体的フレームワーク

これら3つは別々の理論ではなく、同じ事態を別の角度から記述している。

ユングが「集合的無意識」と呼ぶ深層構造は、メルロ=ポンティの言葉で言えば「人類が身体を通じて共有してきた、世界に対する開かれ方の蓄積」だと言える。キャンベルが「ヒーローズ・ジャーニー」と呼ぶ物語の構造は、その深層構造が時間軸上で展開するときの典型的なパターンだ。そしてメルロ=ポンティが「身体図式」と呼ぶ知覚のフレームワークは、その深層構造と物語が、いま・ここで個人の身体に降りてきたときの形である。

タロットセッションとは、この三つが同時に動く場

タロット・セッションで起きていることを、この3つの軸から読み直してみる。

クライアントがカードを引く。その瞬間、3つのことが同時に動く:

  1. カードの絵柄が 集合的無意識の原型 を呼び起こす(ユング)
  2. クライアントが今いる 物語の段階 に光が当たる(キャンベル)
  3. クライアントの 身体図式 が一瞬揺らぎ、新しい観方の余地が生まれる(メルロ=ポンティ)

優れたタロット・リーダーがしているのは、この3つが同時に動くための場を整えることだ。カードの意味を「教える」ことではない。クライアント自身の中に、この3層の動きが立ち現れる空間を作ること。

これは私がCTIで学んだコーチングの考え方と完全に重なる。コーチングが「相手の答えを引き出す」と言うとき、引き出されるのは表面の答えではなく、深層構造(原型)・時間軸(物語)・知覚軸(身体図式)が一致する地点で立ち現れる、その人ならではの応答だ。

なお、このコーチングとタロットの実践的な接続については、本シリーズ第3回「コーチングとしてのタロット」と、別途立ち上げ予定のコーチングGateway記事で、正面から扱う。

認識のOSとは何か──私の定義

OSは無意識に世界を見る枠組み

ここまでの議論を踏まえて、「認識のOS」という言葉を改めて定義しておく。

認識のOSとは、私たちが世界を見るときの、無意識的な枠組みである。

それは次の要素から構成されている:

  • 集合的無意識から受け継いだ 原型 (ユング)
  • 自分の人生を組み立てている 物語のテンプレート (キャンベル)
  • 身体に組み込まれた 知覚のフレームワーク(身体図式) (メルロ=ポンティ)

これら3つはすべて、本人にとっては「当たり前」「自然」「世界とはこういうもの」として体験されている。しかし他の文化・他の人生経験を持つ人にとっては、まったく異なる「当たり前」がある。

旅をすると、この「当たり前」が相対化される。私が2014-2015年の世界一周で身体的に学んだのは、まさにこのことだった。

タロットも、規模は違うが同じことをする。セッションの場で、自分の認識のOSが「唯一の現実」ではないという気づきが、ふと立ち現れる。

OSが書き換わるとはどういうことか

私は2017年、タロット400人セッションとロルフィング2年の経験を踏まえて、「身体を整えると判断ができるようになる」というテーマでブログを書いている:

ロルフィングは、肩こりや腰痛に対して改善効果もあるが、セッションを経るにつれて、「他人・世間・社会がそうだから、自分もそうしようと判断・決断していた人」(ここでは自分以外の基準で物事を判断する=他人軸で判断・決断とする)で動いていた人が、「自分の言葉で語るようになり、自分で判断・決断していく人」(ここでは自分の基準で物事を判断する=自分軸で判断・決断とする)へと変化していく人がいることに気づいた。

(中略)

ロルフィングで、「身体を整える」ことで、「潜在意識に影響を及ぼすことで、思考が整理され、顕在意識へ働きかけ。自分の基準で決断ができるようになる」のではないかと考えている。

──【R#177】なぜ、身体を整えると自分で判断することができるのか?

「他人軸から自分軸へ」という変化は、表面的な意識の変化ではない。それは、自分が世界をどう観ているか──認識のOSそのもの──の書き換えである。

タロット・セッションでも、まったく同じことが起きる。カードを引いて、自分の状況を別の角度から観たとき、それまで「当たり前」だった前提が、ふと「ひとつの観方」として相対化される。その瞬間、選択の余地が生まれる。

これがOSの書き換えの最小単位だ。劇的な変容ではなく、わずかな揺らぎ。その揺らぎが何度も積み重なって、人は別の地点に立っている。

フロムの having→being──思想史側からの補強

エーリッヒ・フロムという思想家──ナチス体験から「自由の脆さ」へ

認識のOSの書き換えという主題を、思想史の側から補強してくれる人物がいる。社会心理学者・精神分析家のエーリッヒ・フロム(Erich Fromm, 1900-1980)だ。

フロムはユダヤ系ドイツ人として生まれ、若くして精神分析と社会哲学を学んだ。1933年のナチス政権成立により、亡命を余儀なくされる。ドイツ→スイス→アメリカと移動する中で、彼は「人がなぜ自由から逃げ、強い権威に従属していくのか」という問いに突き当たった。

この問いから生まれたのが、代表作『自由からの逃走(Escape from Freedom)』(1941)であり、その後の著作群である。

私は2025年11月、フロムの3冊を読み直し、彼が現代に持つ意味を整理した記事を書いた:

ナチス体験の影響を受けつつ、フロムは人間存在の本質に迫る問いへと向かった。それが『生きるということ』(原題 To Have or To Be?)で展開される。ポイントは、having-mode(持つこと) と being-mode(生きる・あること) の区別にある。

──【B#245】「持つ(Having)」世界から「生きる(Being)」世界へ──エーリッヒ・フロムの「生き方」から学ぶ

Having-modeとBeing-mode

フロムの言うhaving-modeとは、外側の尺度(何を持っているか、どれだけ所有しているか、どれだけ成果を上げたか)に従って生きるモードである。

having-mode を支配する価値観は、何を持っているか/どれだけ所有しているか/どれだけ成果を上げたか、という「外側の尺度」である。

(中略)失う恐れに常に怯える/比較が止まらない/内側の豊かさが育たない/他者も「所有物」として扱いがちになる/ナチスのファシズムも、大量消費社会も、having-mode の暴走によって生まれた。

──【B#245】(前掲)

一方でbeing-modeとは、自分の内側の力が、今ここで能動的に表現されている状態である。愛、理解、喜び、創造性、応答性、気づき──これらは「持つ」ものではなく、「なる」ものだ。

ここで重要なのは、フロムが「Being」という言葉に込めた意味が、CTIなどのコーチング系で使われる「BEING」と、独立に発展した別の系譜であることだ。

コーチング系のBEING(在り方)はガルウェイの『Inner Game』(1974)を一つの源流とし、行動(DOING)の前提として「どういう自分であるか」を問う。

フロムのbeingは、社会心理学・精神分析の系譜から、having(所有モード)の対極として「存在の充実」を問う。

二つは別の場所で、別の問題意識から発展しながら、似た構造に到達している。これは偶然ではない。両者ともに、20世紀後半に「外側の尺度ではなく、内側の充実をどう取り戻すか」という、時代の根本問題に応答していたからだ。

タロットセッションが促すのは having→being のシフト

タロット・セッションの場で起きていることを、フロムの言葉で言い直してみる。

クライアントが相談する内容の多くは、having-modeの問題だ。「どうすれば成果が上がるか」「どうすれば失わずにすむか」「どうすれば認められるか」──いずれも外側の尺度に基づいている。

しかしセッションが深まると、問いが変わってくることがある。「私は本当はどう在りたいのか」「何が自分にとって大切なのか」「いまの私は、何に応答しようとしているのか」──being-modeの問いだ。

このシフトが起きたとき、その人は同じ状況に対して、別の関わり方ができるようになる。状況は変わっていないかもしれない。しかし観る枠組みが変わったので、選択肢が変わる。

これがフロムの言うhaving→beingのシフトであり、私の言葉で言えば「認識のOSの書き換え」である。

「在り方」と認識のOS──Advanced Rolfer認定で見えたこと

LettingとMaking/Kind Indifference

2025年4月から7月のAdvanced Trainingで、私が学んだ最も中核的な概念は、施術者の「在り方(Being)」だった。

「ニュートラル」を意識できると、何が起きるのか?実は、身体軸が整い、筋肉が適切な張力(tonus)が生まれていく。その上で、田畑さんのワークで学ぶことができたのだが、プラクティショナーとクライアントとの間に適切な距離を取ることで、クライアントの身体が安心感を持つようにつながっていく。

クライアントがプラクティショナーの「在り方」と共鳴(Coherence)できる場が作られ、クライアントが「自己調整」を行うことができることで、プラクティショナーが意識しなくても、クライアントが勝手に変化するのだ。

──【R#388】Advanced Rolferの認定までの歩みについて【総括】

ここで紹介されている「ニュートラル」「在り方」「クライアントとの共鳴」「自己調整」という言葉は、すべてフッサールの志向性、メルロ=ポンティの身体図式、そしてフロムのbeing-modeと、深いところで繋がっている。

ATで学んだ重要な原則のひとつが、「Letting(起きるに任せる)」と「Making(関わって起こす)」のバランスだった。施術者は何もしないわけではない。同時に、何かを起こそうとし過ぎてもいけない。両者の絶妙なバランスの中で、クライアントの自己調整が動き出す。

これはタロット・セッションでも全く同じことが起きている。リーダーは何も解釈しないわけではない。同時に、解釈し過ぎてもいけない。クライアントの中に応答が立ち現れる場を、ただ整える。

Rayはこの在り方を「Kind Indifference(優しい無関心)」と呼んだ。クライアントの体験に過剰に巻き込まれず、しかし深く関心を持って見守る。この絶妙なバランスが、変容の場を開く。

2025年7月、Advanced Rolfer認定──ここに辿り着くまでの15年

2025年7月11日、私は24日間のAdvanced Trainingを終え、Advanced Rolferの認定を受けた。

2009年にCTIでコーチングと出会い、2010年にタロットを始め、2011年にキャンベルを読み、2014-2015年に世界一周をし、2015年にロルフィングのトレーニングを始め、2018年にRolf Movementの認定を受け、そして2025年にAdvanced Rolferになった。

この15年、別々の場所で別々のことを学んできたつもりだった。しかしAT終了後、改めて振り返ってみると、すべてが「認識のOSをどう書き換えるか」という一つの問いに収束していたことが見える。

ユングの原型、キャンベルの神話、メルロ=ポンティの身体図式、フロムのbeing、フッサールの志向性、ロルフィングの「在り方」、CTIのBEING、タロットの「観る」──これらは別々の言語で、同じ場所を指し示していた。

そして16年のタロット実践と3000人のセッションを経て、私が確信したのは、タロットは「占い」ではなく、認識のOSを揺らがせ、書き換える場を整えるツールだということである。

これが本記事第1回で辿りたかった、心理学的・現象学的源流の全体像である。


結びにかえて

ここまで、ユング・キャンベル・メルロ=ポンティという3つの源流から、タロットが映し出す「認識のOS」を辿ってきた。本シリーズは続いて、神経科学・コーチング・東洋思想の3つの角度からタロットを深掘りしていく。

タロットは「占い」ではない。認識のOSを揺らがせ、書き換える場を整えるツールである。本記事が、その理解の入口になれば幸いです。


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著者:大塚英文(Ph.D.)|渋谷を拠点に、ロルフィング・コーチング・タロット・脳活講座を提供。神経科学・哲学・身体知の交差点から、個人と組織の「認識の変容」を扱っている。

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