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【B#124】「自己」って確立できるの?〜「自己」よりも「関係性」で考える

はじめに

こんにちは!東京・渋谷(恵比寿)でロルフィング・セッションと栄養・タロットカウンセリングを提供している大塚英文です。

自己肯定感、自己否定感といった言葉がセミナーで使われ、自己を「肯定すること」が幸せをもたらすというイメージが強い。この風潮に対して、違和感を感じている。

今回のブログでは、自己肯定感を含め「自己」について書きたい。

「自己」とは?

そもそも、本当に「自己」ってあるのだろうか?

ケネス・ガーゲンの「関係からはじまる;社会構成主義がひらく人間観」という本に出会い、
「自己」というのは、ひょっとしたら「幻」に過ぎないのではないかと思うようになってきている。

人間は一人では生きていけない〜日米の真逆の教育から

そもそも、人は一人では決して生きていけない動物だ。
親、学校を含め、様々なことを学びながら成人していく。
さらに、社会人になってからも、組織に所属し、社会の中で成果を上げていく。
たとえ、個人事業主になったとしても、様々な人とのコラボ抜きでは仕事ができない。

そういった現状にも関わらず「自分」を持つことが大事だ!と学校では学ぶ。
アメリカに住んでいた頃(小学1年から中学2年)「自己を確立する」ことを口酸っぱく言われた。
他人よりも自分の個性をどう活かすのか?どう自分の成果をアピールするか?
現地の学校では授業の詰め込みよりも、如何にプレゼンをうまくするのか?が教育の中心だった。

例えば、人前で話すことは小学校3年から、本格的なプレゼンの授業は、中学校1年から始まる。
自分をアピールするにはどうしたらいいのか?徹底的に学ぶ。
さらに、個性を育てることに関してもアメリカは面白い。
音楽で優れているから、ぜひその能力を伸ばすため、ここに学びなさいと音楽の先生に勧められたことがある。
このように個性を伸ばす教育がアメリカの教育の根底にある。

帰国子女として日本に戻った中学校2年の頃、真逆な教育を受けた。
みんなと同じ、周囲に気を配り、集団として同調していくことが大事という価値観だ。
いかに空気を読むか?いかにして日本社会の中で生きていくのか?
アメリカから帰ってきて、日本語が通じるが、まるで異文化の環境にいる気分だった。
今から振り返ると、異なる文化で教育を受けることは、意味あることだったが、当時は大変だった。

やがて研究機関や企業に勤めるようになり、
「組織の中で生き残っていくためには?どうしたらいいのか?」
外資系の製薬企業に勤めるようになって、わかってきたことがあった。
人間は関係性の中で仕事をしており、自己と他人を分けることってできないという事実だ。

人間は関係性から学ぶ

特に、仕事をするようになってからどのように成果を評価するのか?
上司との相性によって仕事の成果が評価されることが多くなっている。
そう考えると、「自己」ってそもそも「幻」であり、どういった人と仕事をするのか?
その関係性の中で能力がわかるのではないかと。ガーゲンの本を読んでそれが確信に変わった。

考えてみれば、生まれた時から、一人で生きていけない人間は、両親に育てられる。
両親とコミュニケーションをとり、意思疎通をはかりながら「言葉」を覚えていく。
例えば「パンダ」という言葉を動物園の檻を指しながら、親が子に伝える際、
最初は、子供は、言葉を間違えて伝えるが、だんだんと注意を受けながら覚えていく。
最終的に、子供の中に「パンダ」が誕生する。

実際、言葉も単独で取り出すことはできないし、文脈の中で考える必要がある。
「酸素」をどう理解したらいいのだろうか?
人間は「酸素」が必要だが、いい面だけではない。森林の中に「酸素」がありすぎると自然発火する。
体内で「酸素」が多いと、活性酸素が発生、病気になりやすくなる。「酸素」が金属に触れると錆びる。等

「酸素」は他者(環境)とのつながりによって「酸素」の存在を知ることができるのだ。
「酸素」以外の関係性から、我々は「酸素」という名前をつけているに過ぎない。
「自己」についても同じことが言えるのかもしれない。
実際「自己」をどんどん分析していったとしても何もわからないのだ。

自己という考え方はいつから出てきたのか?

結局、関係性の中でしか「自己」という存在は出てこない。
ガーゲンは「自己」って確立できると考えたのがデカルトが初めてだったといっている。
否定できない部分をどんどん削ぎ落としていくと、最終的に残るのが「自己」。
だからこそ「われ思うゆえにわれあり」といったことになっている。

が、これって考えてみれば、関係性が無視した発言のように思う。
実際、「自己」は、五感を通じて、世界を知り、様々な人間との出会いを通じて理解が深まる。
他人が喜ぶ、怒り、悲しむことを見ることで、自分がどのような態度になったら
相手が反応するか、感情面を含め理解が深まる。

ガーゲンは、自己という考え方が出てきたのは、16世紀以降といっている。
その前は、聖なる魂こそ、自己の中心で、キリスト教から出てきた考えだった。
魂が理性に変わり、教会の影響力も低下。
自分は自己決定し、行動できるものだと考えられるようになった。

キリスト教ならば、他人がどうであると、神が見てくれるから・・・。
自己という考え方はすんなりと入ってくると思う。
違った背景を持つ日本人は他人の評判を気にする。そのような文化圏に育つと、
自己肯定感があっても、他人の評判が悪く、村八分にされたらすぐに崩壊すると思う。

実は、「自己」を意識する=「自分はしっかりしなくちゃ!」
をしてしまうと、関係性で物事を見なくなり、自分の殻に閉じこもってしまう。
悩みを改善するには、自己から離れて見ること。
特に、悩んでいるときは、視野が狭まっていることが多い。

私は、20代の後半。「研究者としての才能がないのではないか?」と将来への不安から行き詰まった。
自分の殻に閉じこもっていて、視野が狭くなった。いろいろな人に話を聞いてもらい、視野が広がった。
さらに、第三者から助言を受け弱音を吐いても、弱い自分を受け入れるような人と接することで、
最終的に、弱い自分を受け入れられるようになった。

興味深いことに、弱音を吐いて、弱い自分を曝け出すと、意外にも相手は心を開いてくれるのだ。
このように長きにわかって自分を向き合い、人と悩みを共有することによって、
研究職の世界から、製薬業界へ、思い切って新しい道を歩むことができた。
このように私も関係性の中で救われた一人だ。

「自分は生まれてよかった。生かされている存在だ」
という意味で自己肯定感を使うのは正しいと思う。
その感覚を身につけるには、他人が必要。特に、自分の親族以外でどう、関係を作っていくか?
自分の考えが否定されないコミュニティを作っていくか?だと思っている。

まとめ

駆け足で、関係性について書いてきたが、ケネス・ガーゲンの本は本当に奥深く気づきも多かった。
ガーゲンは、コーチングについての本も出ているので、ご興味のある方、ぜひチェックくださいね!

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