【Y#52】プラーナーヤーマ・連続講座(10)〜瞑想のテクニックとモダリティ
セッション・ルームZEROで開催された連続講座3日目。昨日(2015年11月18日)に続いて(「【YogaコラムVol.31】〜9)3日目と対話」参照)、その模様について紹介したい。
アシュタンガ・ヨガの八支則(「【YogaコラムVol.14】〜1)飛び入りとヨガ哲学」参照)のディヤーナンが、日本では瞑想に相当。内側ヨガの三段階(ダーラナー(集中)、ディヤーナン(瞑想)、サマーディ(瞑想の深まり、静寂、三昧)に含まれていることについては、2015年9月4日、5日に連続講座に飛び入りで参加した時に学んだ(「【YogaコラムVol.15】〜2)瞑想・瞑想のテクニック」参照)。
内側ヨガは、意思関係なく行うことができるものであると考えると、
「瞑想をするという意思があると瞑想をしていない」
ということになる。
つまり、「瞑想」というよりも、「瞑想のテクニックを練習する」という方が適切。また「集中すること」と「瞑想のテクニックを練習すること」の区別も大事。「集中すること」は一点に向かって努力でもって集中することであり、「瞑想」は努力ない状態でできうる、いわば練習でもってできるようなものでないからだ。連続講座のときに、集中はAttention、瞑想はどちらかというとEnlightmentに近いという話にもなった。
【YogaコラムVol.15】で触れたが、瞑想のテクニックには様々な方法が知られている。素子さんが、瞑想のテクニックについて説明する前に、シャバーサナのポーズをとりながら、身体の各部分(踵、脛、膝、等)に意識を向けるエクササイズであるボディスキャン(別の名前をヨガ・ニードラ)を行った。終わった後に、質疑応答の時間があり、10人近くの参加者から、意識を向けるのが比較的やりやすかった人ややりにくかった人も出てきた。これは、実戦にも関係してくる話だが、人によってどのような知覚によって集中できるのか?があるとのこと。そのため様々な瞑想のテクニックが開発されているという話になった。
【YogaコラムVol.15】で、感覚、想像、感情のいずれかを使って行うことについて書いたが、ここでは、感覚=モダリティについて別の観点から触れてみたい。
以前、ロルフィングのトレーニングにおいてモダリティに注目することについて述べたことがある(【Rolfingコラム Vol.79】参照)。そこでのモダリティの意味は「身体が経験する際に用いる知覚の種類」。その際に、米国で発達した心理学的手法の一つ、NLP(Neurolinguistic Programming、神経言語プログラミング)のモダリティについての考え方について紹介した。
人間が外界を認識する際、視覚、聴覚、体感覚など、五感で感じた様々な構成要素を組みあわせて記憶。この構成要素をNLPでは、モダリティという。興味深いことに人には癖があり、視覚(visual、V)、聴覚(auditory、A)、体感覚(kinetic、K)のうち、どれかが優位なケースが多い(3つ合わせてVAKと呼ぶ)。6割近くが視覚優位、残りの4割が聴覚優位か体感覚優位ということだ。
このように3種類のモダリティを見るだけでも、瞑想のテクニックはどのモダリティが優位かによって、その人にあったものが異なるということがわかると思う。
瞑想のテクニックを実践していく上でモダリティは大切となるが、プラーナーヤーマの実践を行っていく上で、大切になるのはアーユルヴェーダのドーシャの考え方。次回、アーユルヴェーダの観点からプラーナーヤーマについてまとめてみたい。