【Y#51】プラーナーヤーマ連続講座(9)〜3日目と対話
2015年11月17日(月)、11月3日、4日に続き、連続講座も3日目を迎えた。過去の2日間の模様について、5回に分けて
「【YogaコラムVol.25】〜4)渋谷開催の初日」(→プラーナーヤーマとは?)
「【YogaコラムVol.26】〜5)意識を向けること」(→アーサナとヨガ、呼吸)
「【YogaコラムVol.27】〜6)呼吸」(→ヨガで考える呼吸と解剖学的基礎)
「【YogaコラムVol.28】〜7)「チッタと心」(→ヨガ・スートラからみた心)
「【YogaコラムVol.30】〜8)実践を通じて」(→実践でわかったこと)
書いたので、それぞれの箇所をご参照いただきたい。3日目の内容は瞑想とプラーナーヤーマの技術の各論を中心とした座学と、11月3日、4日で学んだプラーナーヤーマの日々の練習についての疑問点を中心とした話し合いも行われた。
例えば・・・
プラーナーヤーマ=呼吸法を実践するようになると、1日1日身体の状態の違いに意識を向けられるようになるという。
「心地いい状態」で呼吸法を行うのが基本。
ただ、
頑張り過ぎてしまい疲れてしまった・・・、前日食事を摂り過ぎてしまい呼吸しにくい・・・、身体のどこかが緊張してしまい思うようにいかない・・・等
日々の実践を通じて自分の身体が毎回違った状態を観察できる。私自身、日々アシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガの練習で同じように感じることがあるので、このことを実感として理解出来る。
その結果として、ライフスタイル(睡眠時間、食事を含め)に変化が起きてきて、「心地いい状態」になるためにどのようアプローチが大事か?考えるようになる。
最終的に
「身体の不必要な緊張をとり、弛緩させる部分と緊張させる部分を自分の意思で自由にコントロールすること」
となっていく。
連続講座では座学も重視されているため、様々な知識を身につけることができる(本コラムでもその一端を触れた)。
知識があまりにも多くなりすぎると、私も含めてそうだが、
- 回数が正しいのか?
- 正しく行っているのか?
を含めた左脳的=思考優位になってしまう。プラーナーヤーマを実践していく際には、考えすぎてしまうと余計なエネルギーが使われてしまう。大切なのは、
実践を行う際、知識を一度手放す。
一見、矛盾することをやっているように思えるが、結果的に、知識(特に、腑に落ちた知識)は、必要に応じて手助けしてくれることになる。
伝統的なハタ・ヨーガの実践は自然呼吸でゆっくりとスピードを落として行うもの。定期的に実践を行うことで、その人に準備が整ったと身体が判断した時に、身体の内側からその人にとって必要な解決策=セラピーが出てくる。まさに、これこそヨガ・セラピーの考え。そのことから、ヨガの実践というのは「期待して行うものではない」し、「1回で効果が実感できるようなものでもない」ものといえる。そして、その人にとって適切なタイミングで効果が現れるため、セラピーとしてのヨガは身体に優しいものになるとも。
たからこそ、ヨガ・セラピーとしてのハタ・ヨーガを知るには、自分で体感していないと、相手に何が必要なのか?判断できないという。それは、自分になぜこれが合うのか?なぜ合わないのか?といった体感を通じて学ぶ視点というのが求められるからだ。
瞑想の練習を行う際に、鬱患者にとっては禁忌であることも話題にあがった。静かに座ろうとすると、内側から発する言葉を止めることができないため、さらに鬱の症状が悪化するとのこと。そのため、お経やマントラを唱えることを推奨する。どちらかというと問題は自分の緊張をコントロールするのが難しいため、ヨガのポーズをとるアプローチも有効な場合もあるということも紹介されていた。このように臨床的な経験でのお話も興味深かった。
次回は、アーユルヴェーダとヨガの実践について述べたい。