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【B#24】トレーニング法と科挙

2014年8月〜2015年3月までの19週間、ドイツ・ミュンヘンでロルフィング・トレーニングを受け、2015年3月25日にめでたくロルファーとして認定された(トレーニングの模様の総集編については【RolfingコラムVol.100】参照)。
Holding The Sky
ロルフィングをどのように学んだのか?については教育を考える上でも興味深い。【RolfingコラムVol.58】で触れたが、Rolfingの施術を行う際に大切のなるのがbody reading(身体観察)。要するに、観察すること(英語でいうSeeing)である。トレーニングが最終段階のPhase III(2015年2月2日〜2015年3月25日)に移った時に、担当のJörg先生は、Body Readingする際に、Seeingすることも大事だが、Sensing(クライアントの身体にどのような変化があるのか?施術中に知覚すること)とのバランスを図ることを忘れないほうがいいともいっている(Sensingと施術を行うこととのバランスについては、【RolfingコラムVol.27】で取り上げた)。
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Ida RolfがRolfingを教え始めた当初、Auditing(観察者(知覚する)の段階)とPractitioner(施術者(施術経験)の段階)に分けて教えていた。前者は、身体を観察し、施術することを一切しない。施術者が繰り返し観察し続け、
「Rolfingについて観察する上で何が大事なのか?」
を理屈ではなく、身体に染み込ませるまで続くのだ。これを【RolfingコラムVol.27】では、Saturation method(Saturation=情報が飽和する)と紹介したが、トレーニング期間中、私も観察を継続して行うことによって自然と無意識にこのバランス感覚を身につけていった。
さて、話題を変えて、少し歴史について語りたい。上記に関連する話題でもあるので、最後までおつきあいいただきたい。
帰国後、読書を久々に再会。ロルフィングと並んで歴史についても何冊か手に取る機会があった。その中で一冊紹介したい。「岡田英弘著作集 シナ(チャイナ)とは何かIV」だ。
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岡田英弘氏の歴史本は非常に面白く、「歴史とは何か」と出会うことによって歴史観が一つでなく、複数あることや中国文明と地中海文明の歴史の見方の違いについて知ることができて興味深かった。
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その岡田英弘氏の全集も昨年から刊行開始。8冊を最終的に全部揃える予定だ。「岡田英弘著作集 シナ(チャイナ)とは何かIV」の第IV部に「漢字とは何か」という章がある。本章を参考に漢文の歴史について触れていきたい。
漢字の特徴は、言葉と文字がかけ離れていること。別の言葉でいえば、言葉は言葉として文字は文字として、最初から別々になっており、漢字が作られた当初、日本語のように言葉をそのまま文字に移し替えるという思想がなかった。漢字は、無限の組み合わせで作ることもできて、公認されているだけでも50,000文字あるとも。裏を返せば、書く側が勝手に漢字を作られると、読む側には意味がわからないということになる。
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そこである種の約束が必要となり、秦の始皇帝の統一の前の戦国時代、儒家や墨家など、諸子百家と呼ばれる多くの教団が作られた時、それぞれの自派の経典を教団ごとに教えていた(やがて儒家の読み方に統一されていく)。文字の技術を学ぶ場合にはどこかの教団に入信する必要があった。秦の始皇帝による全土統一の際、内部のコミュニケーションを統一を図るため、漢字の字数の3,300字まで制限、字体と読み音の統一(一字一音)が行われた。日本語のように使う意味に応じて漢字には複数の読み方があるのとは対照的に、一つの読みだけとなってしまったため、漢字は意味のある言葉でなくなって、字の名前(ある意味でアルファベットと一緒)というだけのものとなってしまったそうだ。
更に、秦の始皇帝の定めた一音節の字音は、最初の子音と真ん中の母音と最後の子音からなっており、変化がない。名詞の数や格、動詞の態や時称を言い分ける方法や品詞の区別がない。漢文には文法がないことにもつながる。それは、スウェーデンの言語学者ベルンハルド・カールグレンが
「漢文は、読む前に全体の意味がわかっていなければ、一つひとつの漢字の意味がわからない」
という言葉に現れている。そこで、漢文の解読の手がかりは、膨大な量の古典の暗唱に依存することになる。
607年に隋の皇帝が科挙の試験を開始、詩文の才能によって官僚予備軍を選抜するようになり、受験志望者のことを「読書人」と呼ばれるようになった。読書人の家庭では、男子は5、6歳に塾に入って漢字を学び、古典の本文のみならず、注釈の隅々に至るまで一字残らず暗記し叩き込む。科挙の試験風景については、浅田次郎氏の「蒼穹の昴」に詳しく書いてある。
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原文の意味の説明もない、暗唱と筆写の忍耐の日々を繰り返すと、ある日突然この文章は何を言っているのか見当がつくようになっていく。結果的に、古典の中の用例を暗号表として、漢文を解読していく。要は科挙の試験は漢文を読める人を選抜するための試験といえる。
なぜ、岡田英弘氏の本を取り上げたのか?実は、漢文を読むための教育とロルフィングのトレーニングはいずれもSaturation method(Saturation=情報が飽和する)という方法を使って技術を習得しているところが似ていると感じたからだ。言語教育にこういった知覚的なアプローチをとっているのも非常に興味深いが、日本語に比べると漢文を習得するのに果てしない時間がかかり、困難だ。そのまま古代中国の識字率の低さや階層社会を作り上げたという面を見ると歴史に対して別の見方ができると思う。
今回は、漢文の教育はロルフィングのトレーニングと似ている側面があることを紹介した。次回は、言語と身体感覚についてもう少し考えてみたい。
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