1. HOME
  2. ブログ
  3. ブログ/全ての記事
  4. コラム
  5. 【P#64】幻覚剤の歴史①〜LSD、麦角、精神疾患への応用、啓示体験、ヒッピー文化

BLOG

ブログ

コラム ブログ/全ての記事 幻覚剤 脳科学 西洋医学

【P#64】幻覚剤の歴史①〜LSD、麦角、精神疾患への応用、啓示体験、ヒッピー文化

はじめに

東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。

普段、脳の活用法として、瞑想、呼吸法、睡眠、栄養を含め、欧米で最新医学の情報を発信している。2020年代に入り、幻覚剤が、がんの終末期医療、うつ患者、麻薬・アルコール等の依存症を含めた精神疾患に対して有効であるというエビデンスが出てきている。

実は、心の病の治療や通過儀礼補助、超自然界、霊界との交信を仲介するツールとして、古くから幻覚剤(ペヨーテやキノコ)は使われてきた。それなのに、なぜ禁止され、今注目されているのか?

幻覚剤とは何か?今注目されている理由を含め、LSD、サイロシビンメスカリンMDMADMTの歴史を紹介。その後、なぜ禁止されたにもかからず、現在ルネサンスを迎えたのか?ブログにて紹介していきたい。

今回は、LSDの歴史について紹介する。

なぜ、幻覚剤なのか?

幻覚剤の研究が開始したのは、1950年代。1966年以降法規制が入り、一時臨床研究もできない事態に陥った。驚くべきことに、2006年以降、幻覚剤のルネサンスの時代を迎え、現代医療では、薬ではなかなか成果が上がらない精神疾患に対して、有効な手立てになるのではないかと注目されている。

1番の興味深いところは、幻覚剤を使って1、2回の治療で終わってしまうことが多いため、製薬会社にメリットがない。リック・ドブリンが主宰しているMAPS(Multidiciplinary Association for Psychedelic Studies)を始めとしたNGOや、ベンチャーキャピタリストたちによる投資が多いことだ。

幻覚剤については、マイケル・ポーランの「幻覚剤は役に立つのか (How To Change Your Mind)」や、同書を原作としたネットフリックスの「心と意識と〜幻覚剤は役に立つのか?」が一番わかりやすい。これらの情報源を元にまとめているので、ご興味のある方はチェックくださいね!

初めに1938年に発見されたLSD(リセルグ酸ジエチルアミド)の歴史から紹介したい。

LSDの発見〜麦角の研究から発展

1930年代、スイスの製薬会社サンド(Sandoz、現・ノバルティス(Novartis))の研究所では、麦角(Ergot)の研究を行っていた。麦角は、小麦、ライ麦、大麦などに寄生するカビ(fungi)の一つ(感染した時の写真は下)。パンに麦角が規制すると、何かに取り憑かれたかのように正気を失ってしまうことがわかっていた。

1692年のマサチューセッツ州のセーレムで魔女裁判が行われたが、当時裁判にかけられた女性たちは、幕閣の毒が原因で不可解な行動をとったらしい。一方で、古くから産婆が妊婦のお産の促進や分娩後の止血に麦角は使われていた。

サンド社は、麦角の有効成分(アルカロイド(生物が作り出す窒素を含む天然化合物))に注目。製品化できるのではないかと期待。若い研究者のスイス人の研究者・アルバート・ホフマン(Albert Hofmann)に有効成分の探索・分離を任せていた。

1938年の秋に、ホフマンは化学合成した成分の中で25番目のできたリセルグ酸ジエチルアミド(lysergic acid diethylamide)-25、略してLSD-25を発見した。残念なことに、動物実験では期待した結果が得られず。そのまま放置された。

1943年4月のある日、ホフマンは「妙な予感」がして、LSD-25を再検討する気になったそうだ。自叙伝「LSD – My Problem Child」に(英語版のPDF版はこちらから)その当時の模様について書かれているが、普段麦角のような毒性物質を丁重に扱うのに、ごく微量手につけてしまったらしい。

作業中に急な悪寒がして、手元が狂い出した。夢見心地で目を閉じ、美しい映像が万華鏡のように凶れるな色合いの異様な図形の数々が際限なく目の前を流れていくという経験。つまり、ホフマンは、世界初のLSDのトリップ体験をすることになる。

驚くべきことに、グラスの水にLSDを0.25mgを溶かして飲むと、効果が現れる。このことから、今まで発見された物質の中でも最も強力な精神活性物質の一つであることが判明。この事実に触発され、脳の中に、活性化する物質の検索が始まり、セロトニンの発見につながっていく。

LSDのクラウドソーシング〜自分で試してから他人に使用

LSDという化学物質は、神経医学、精神医学に極めて重要な役割を果たすと感じたサンド社は、通常では考えられない方法で、研究を進めることを決定。

LSD(商品名:デリシッド)は何に役立つのか?世界中の不特定の研究者にクラウドソーシング(無料で量に制限なく提供)することにした。すごいのは、研究者とは、臨床所見を必ず書くと約束した医師だけではなく、セラピストも含めてで、1949年から1966年まで続いたことだ。

背景となったのは、デリシッドは治療薬にならないかもしれないが、その効果が統合失調症に似ていることから、精神疾患の原因は何らかの化学物質が関与。デリシッドは、疾病を解明する一助になるかしれないという期待があったからだ。

驚くべきことに、1962年に「研究用」の新薬の規制を米国の審査当局(FDA)に任せるという法案が出る前は・・・。医師が自ら薬を飲んで、試してから患者に試すということが平然と行われてきた。

それを象徴するのが、英国人のハンフリー・オズモンド医師の発言だ。LSDは無限の可能性があり、セラピストがLSDを摂取すると「病の中に入り込み、狂人の目で見、狂人の耳で聞き、狂人の肌で感じる」ことが可能と言わしめている。

LSDとアルコール依存症〜オズモンドとホッファー

オズモンドは、ロンドンのセント・ジョージス病院で精神科医として勤務していた頃、同僚からペヨーテの有効成分である幻覚剤の一つメスカリンの記事を紹介された。幻覚が統合失調症の患者の症状と似ているという。

オズモンドは、脳の化学物質のバランスが崩れることで統合失調症が起きるという仮説のもと研究を開始。メスカリンは、アドレナリンの構造と似ていたことから、アドレナリンの代謝異常によって統合失調症が起きるのではないかと実験。この仮説は間違いであることが判明した。

一方で、このような研究は、精神病と神経伝達物質との関係を解明するきっかけとなり、1950年代にLSDの研究と合わせて、神経伝達物質のセロトニンや、精神疾患に使われる薬(SSRI)の発見につながっていく。

残念なことに、セント・ジョーンズ病院の上層部は、オズモンドのメスカリンの研究への協力を拒否。オズモンドは、海外で研究できる施設を探すことになる。カナダのサスカチュワン州のウェイバーンにあるサスカチュワン精神病院で研究可能であることがわかり勤務することに。

サスカチュワンの病院は、徐々に幻覚剤研究の世界的な拠点として発展していく。興味深いことに、同病院には、分子栄養学(オーソモレキュラー医学)の創始者で、研究主任だったアブラム・ホッファー(Abram Hofer)が同僚として在籍していた。二人は共同でLSDを使った研究を開始することになる。

サンド社からLSDを入手。数十人に投与したところ、LSDは、アルコール依存症患者から報告される離脱症状「しんせんせん妄」と似た症状を呈すことがわかった。患者はこのような幻覚を体験すると、心を入りかえ、しらふでいることの大切さを自覚するようになる。

このようなことから、医療社の管理下でLSDを使い離脱症状と同じような症状を起こせば断酒になるという仮説のもと、高用量の1回のセッションが行われた。10年間で、700人以上の患者に試し、半数で処置に成功したと報告した。しかし、彼らが考えているような離脱症状による断酒でなかった。

LSDによる「超越感」と「啓示体験」

ウェイバーンで治療を受けているアルコール依存症患者たちの離脱症状ではなく、世界と一つになったという超越感、自分を客観的に見る新しい能力、知覚の拡張、哲学や宗教の分野における新たな理解、他人の気持ちを察する力の向上といった予想外の反応になった。

オズモンドとホッファーは離脱症状ではないが、何らかの知られていない作用機序によってLSDは成果を上げているらしいということはわかった。

更に、被験者たちとLSDセッションを行う上で、環境も重要であり、問題なくセッションを終えるためには、患者に共感を持ち、できれば自らLSDを使ったことのある、熱意のあるセラピストが同席することが重要だということも明らかになる。英語では、セット(心構え)とセッティング(環境条件)と呼ぶ。

なぜならば、セットとセッティングを間違えば、LSD批判派が主張するように、恐怖体験することもあるからだ。実は、LSDの臨床試験が賛否両論の結果になるのは、セットとセッティングが配慮されていないことが多いのだ。

ネットフリックスの「サイケな世界〜スターが語る幻覚体験」には、幻覚剤を使用すると身体でどのような変化が起きるのか、タレントのインタビューを交えて紹介されている。ご興味のある方は、是非、チェックください!

尚、1950年代には、サスカチュワン州政府は、LSD療法をアルコール依存症の標準治療の一つとする方針を打ち立てることになる。

ビル・W、AA(アルコホーリクス・アノニマス)とLSD

1950年代、アルコホーリクス・アノニマス(Alcohol Anonymous、断酒を手助けする団体の一つ、以下AA)の共同設立者のBill Wilson(以下ビルW)は、アルコール依存症患者を対象としたオズモンドとホッファーの研究のことを知っていた。

1934年に、ビルWは、マンハッタンのタウンズ病院で、幻覚を起こす崇高なアルカロイドを含むベラドンナの抽出物が処方される。その結果、断酒することに成功する。その体験があったため、LSDという驚異的な新薬が依存症の患者に役立つかもしれないと思った。

ビルWは、UCLAの内科医シドニー・コーエンと、心理学者ベディ・アイズナーと共に、LSDセッションを体験。LSDを使えば、禁酒に必要な霊的な体験ができると確信していく。残念なことに、AAにLSD療法を持ちかけたが同僚の理事たちに却下された。

精神分析の一助〜スタニスラフ・グロフの登場

LSDは、精神分析の世界まで研究が広がっていく。精神分析の問題点は、無意識とどうアクセスするか難しいところだ。主に、自由連想法か夢かの2つの方法しかないし、いずれも難点がある。

精神分析専門医として活躍していたチェコ人のスタニスラフ・グロフ(Stanislav Grof、ホロトロピック・ブレスワークの創始者)は、適量のLSDを与えると、患者は治療者に対し、子供の頃のトラウマが呼び覚まされ、抑圧された感情を表出。グロフは、3,000症例以上のLSDの治療経験があり、この分野の貴重な存在だ。

誕生体験のトラウマまで呼び起こすこともわかり、LSDは、精神疾患に対しての利用の研究が進んでいく。参考に、LSDの使用が禁止した後、呼吸法で同じような変性意識状態を実現することを発見。ホロトロピック・ブレスワークとして応用されている。

グロフの貴重なインタビューが2018年にポッドキャスト(TIM FERRISS SHOW)に公開されている。ご興味のある方は、ぜひチェックいただきたい。

UCLAでは、神経症患者、アルコール依存症患者、軽度の人格障害を持つ患者で、自分自身を持ち、回復したいという意志のある、身体機能や言語機能に問題のない人たちに、LSDを投与。

22人中、16人に改善が認められ、不安神経症が70%、うつ病が62%、強迫神経症が42%の成功率だったという(プラセボ対照実験ではなかったことに留意する必要がある)。

幻覚剤の名前の由来〜オズモンドとハクスリー

オズモンドとホッファーは、LSDが精神異常を発現するのではないかという仮説を持っていたが、それが崩壊。新たなLSDの治療モデルを模索することになる。有名な作家オルダス・ハクスリーと出会う。

幻覚剤という薬の用語は、オズモンドとハクスリーが交わした手紙の中に登場する。1953年にハクスリーがオズモンドにメスカリンを試したいという手紙を送ったことがきっかけとなりコンタクトを取ったが、元々、ハクスリーは、神秘主義、超能力、UFOなどに興味を持っていたのも大きい。

Psychedelic(幻覚剤、サイケデリック)の由来は、ギリシャ語の精神や魂を表す「psychē」 、目に見える・現れる dēlos の組み合わせでできた造語で、「魂を顕現させる(mind manifesting)」 という意味がある。

中立的な用語として、ハルシノジェン(Hallucinogen)や、神聖さを込めたエンセオジェン(Entheogen)があるが、より肯定的に表現されたのが、サイケデリックとなる。

LSDの作用機序〜セロトニンに作用(トリプタミン系)

LSDは、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンと構造的に似ている。セロトニンに作用するトリプタミン(tryptamine)系物質の一つとして分類される。トリプタミンにLSD、サイロシビン、DMT等も含む。

LSDは、セロトニン受容体に結合することで、アンタゴニスト(拮抗作用、抑制の働き)として働く。そのことで、セロトニンの作用を抑え、幻覚作用が出てくるのではないかと考えられている。

知覚の扉の出版からヒッピー文化へ

参考に、1953年ロサンゼルスで、オズモンドの下、ハクスリーがメスカリンを体験。翌年、その経験をもとに自分が解釈したことを「知覚の扉(Doors of Perception)」にまとめた。薬のおかげで、神秘家や一握りの偉大な預言者しか知らない、別の現実に直に触れることができたことを紹介。

この本には
「人間は宇宙のどこかで起こったことは知覚しているが、その膨大な情報量によって日常生活に支障がきたさないよう、脳・神経は日常生活において特に有益な情報のみを選ぶ「パルプ」の役割を担う。薬物は脳細胞へブドウ糖を供給する酵素の生産を抑え、脳・神経とその「パルプ」の働きを低下。今まで知覚できなかった情報、つまり「幻覚」が見えるようになる」
のではないか、という仮説を展開。科学者ではない、物書きの視点で書かれていて面白い。

「知覚の扉」の出版後、音楽界(サイケデリック・ロック、ビートルズ、ドアーズ(グループ名は知覚の扉からとった))、芸術界(サイケデリック・アート)、ベトナム反戦運動(ヒッピー文化)に大きな影響を与える。

特に、ハーバード大学の心理学を専門とするティモシー・リアリー(Timothy Leary)教授やリチャード・アルバート(後のラム・ダス)には、大きな影響を与え、LSDが市民に広がるきっかけを作り、LSDに暗い影を落とすことになる。

なぜ、1966年が転機となり、LSDが規制当局によって禁止の方向へ進んだのか?別の機会に紹介したい。

まとめ

今回は、LSDがどのように発見され、研究を進めていったのか?の視点から幻覚剤の歴史について、そして現在、なぜ注目されるようになったのか、少し紹介した。

少しでもこの投稿が役立つことを願っています。

関連記事

【B#77】「コーチング」のベースとなった本〜「インナー...

【T#60】知識を手放すこと、スピリチュアルと科学との関...

【W#145】リスボン(2)〜市内観光

【E#170】渋谷のサロンに移ってから1年〜準備と掃除

【P#7】新鮮な気持ちを持つ事の大事さ〜勉強会の講師を終...

【W#112】ベルリン(2)〜市内観光とベルリンの壁