【W#142】セビリア(3)〜イスラム文化との関係
前回は、新大陸を発見したクリストファー・コロンブスにまつわる観光名所について書いたが(【旅コラムVol.143】参照)、今回はイスラム文化とセビリアとの関係を通じて、異文化がスペインに与えた影響についてもう少し掘り下げていきたい。
セビリアは二度万国博覧会を開催している。一度目は1929年、二度目は1992年。一度目に開催した際にスペイン広場(Plaza de España)が作られた。
1929年には建てられたとは思えないほどの美しさ。特に、スペインの各県の歴史的な出来事を壁タイルで示した作品は圧巻だ。このタイルを見ていると、イスラム文化の影響を受けていることがわかる。
小さな川があり、そこにはスペインの4大王国を現す4つの橋がかかっている。
実はスペインの国旗の中には紋章が入っていて同じように4つの紋章が入っている。
王冠の下に、カスティーリャ王国(左上、城塞)、レオン王国(右上、ライオン)、アラゴン王国(左下、赤と黄色)、ナバレ王国(右下、緑、赤と黄色)を意味する。余談だが、
スペイン広場に続き、ユダヤ人街と王室の宮殿について紹介したい。
ユダヤ人街は、クリストファー・コロンブス碑から少し行ったところにある。狭い路地の中、壁沿いに家が建っている。
そして中庭を覗くと、イスラム文化の影響を受けたパティオがある。
セビリアはスペインでも2番目に気候が暑い都市。なんと、夏は5日間。最高気温も45度近くにまで到達する。暑さ対策もあってこのように日陰ができるような街の構成になっている。
スペインの他の都市について言えることだが、イスラム文化のみならずローマの遺跡がたくさんある。ユダヤ人街を離れ、セビリアの宮殿を覗く前にも見ることができた。
セビリアには14世紀にカスティーリャ王の命でイスラム教徒の建築家に依頼して作った宮殿(アルカサル)がある。レコンキスタによってスペインがキリスト教徒の手に戻った後もイスラム教徒はスペインに留まっており、キリスト教徒の建築様式と融合したムデハル様式で作られている。
この宮殿を見ると、スペインの中でのアルハンブラ宮殿の影響力の大きさを感じることができる。柱や壁の幾何学的な模様は3,700通りもあるらしい。
アルハンブラ宮殿やモロッコでみた宮殿でもおなじみの中庭も見ることができた。
この宮殿の特徴は、キリスト教の宮殿ということで幾何学模様以外にも動物が描かれている部屋もあること。
しかもその動物の描き方が変わっている。例えば、鳥の目を突っつく鳥。。。
キリスト教徒の教会といえば天井を高くして設計するゴシック様式の建物。王室にとってはそのような建物は非常に住みにくく窮屈であったという。イスラム文化で発達した建物は天候の温かい環境で育ってきているということと、モロッコの気候とスペインのセビリア(参考にセビリアは夏が5ヶ月間ある)は同じような気候であるということを考えると、イスラム様式で建てることは一理がある。
広い中庭も見ることができたのだが、これはまさしくモロッコで見た中庭にそっくり。木を植えることで暑さを避けるような対策をとっている。
余談になるが、木の説明の時に、スペイン全土で1世帯あたり、オレンジの木が21本、オリーブの木が28本植えられているらしい。スペインは多くの木によって囲まれた生活を送っているか、がこの事実を知ることでよくわかる。
セビリアについては後、2回ほど取り上げる予定だ。セビリア郊外でオリーブを生産する農家の家を訪問した際の体験と、国境を越える前に出会ったイベリア豚についてだ。次回は、オリーブについて触れたい。