【W#102】一時帰国〜米大陸50日間の旅を振り返って
2015年1月22日、日本へ一時帰国を果たした。日本の空港はこの5ヶ月近く訪れたどの空港に比べてきれいであることに改めて印象を強くした。
ヨーロッパを離れること約1ヶ月半。2014年12月5日から1月22日まで、米大陸へ上陸後、アルゼンチン(エル・カラファテ、ブエノスアイレス、サルタ)、チリ(トーレス・デル・パイネ、サンペドロ・デ・アタカ マ)、ボリビア(ウユニ塩湖、ポトシ、スクレ、ラパス)、ペルー(プーノ、クスコ、マチュピチュ、ナスカ、リマ)、米国(ロサンゼルス、アーバイン、サンディエゴ、サンマリノ、ホノルル)の5カ国19都市・地域を訪れたことになる。
その間、飛行機に乗ったのは、ブエノスアイレス⇄エルカラファテの2便、ブエノスアイレス→サルタの1便、リマ→ヒューストン→ロサンゼルスの2便の合計5便。後は陸上での移動となった。
アジアの33日間が駆け足で飛行機での移動という形をとった。一方で、米大陸は大部分は陸上での移動だった。南米諸国及びスペイン語圏に行くのは初。考えて見れば、まず飛行機会社によるストライキで1日日程が遅れてアルゼンチン入り。
そこからさらに南に下り、アルゼンチンの最南端近くのパタゴニアで氷河をみることができた。その後、ブエノスアイレスより北上。砂漠の街(サンペドロ・デ・アタカマ)を見たのち、標高3,500m付近の アンデス山脈の街(ポトシ、スクレ、ラパス)に滞在。世界最大の塩湖のウユニ塩湖を見ることができた。残りの21日は、ペルーでインカ帝国の首都クスコを起点に年末年始、トレッキングを行った。その後、マチュピチュ、ナスカ、パラカスを経て、太平洋を面すリマに到着した。ヒューストン経由してロス入り、ホノルルを経由して日本に戻った。
考えてみればいろいろと体験したと思う。
飲食店で1時間〜1時間半待たされてようやく食事が出てくることが何度もあったこと(ペルー、ボリビア)、日本やヨーロッパに比べてトイレの衛生面で良くなかったこと(ペルー、ボリビア、アルゼンチン)、午後2時〜午後4時にシエスタをとり観光地なのにもかかわらず、その時間帯に店が空いていないこともあったこと(アルゼンチン)、道路が未整備のため、どの方向に進んでいったらいいのか?見当もつかなかったこと(ボリビア)、草でできた湖に浮かぶ島で、物々交換や狩猟で生活している現地民の姿を見たこと(ペルー)、米国を除いてWiFiが非常に繋がりにくかったこと等。先進国では当たり前と思ったことが、必ずしもそうではないという場面に遭遇することが多かった。
人の出会いに関しては、New Yorkからアルゼンチンのパタゴニアを単独自転車で向かっている日本人をボリビアのウユニ塩湖で出会ったり(彼によると南米の横断だけで1年かかっているとのこと)、アルゼンチンのパタゴニアではメキシコから8年かけて歩行で旅を進めている人に出会うことができた。南米期間中は、ニュージーランド、オーストラリア、英国、米国、ドイツの人たちと旅することができた。
また南米に旅してから米国入りしたということもあり、米国で気がつくことがあった。もちろん、食事は早く出てくること、天気に恵まれほとんどが晴れていたことや、いたるところにショッピングモールがありモノが溢れているということ等はすぐ目につくが、モノを持つことが果たしていいことなのか?最小限のモノを所有してハッピーに暮らす南米の人たちを見ることで、違った目で米国を見るようになった気がする。
日本への一時帰国は2015年1月22日〜30日。その後ドイツへ向かい、最後のロルフィングのトレーニングに臨む予定だ。その後の旅の計画については本ブログで触れる予定だ。