【J#125】坂村真民記念館の閉館を前に松山へ──30年にわたるご縁を振り返る旅
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はじめに
6月1日と2日、台風が接近する中、ANAの早朝便で松山へ向かった。今回の目的は、今年閉館を迎える坂村真民記念館を訪れることである。振り返ってみると、私と坂村真民さんとの出会いは30年近く前に遡る。
大学院博士課程に在籍していた頃、研究が思うように進まず、自分の将来に対して不安や挫折感を抱えていた時期があった。そんな時、私は多くの本に救われた。
そして、その中の一人が坂村真民さんだった。今回の松山への旅は、単なる旅行ではなかった。真民さんとの出会いから今日までの時間を振り返る旅でもあった。そして、間違いなく、真民さんに呼ばれた旅でもあった。
真民さんとの出会い
真民さんとの出会いは、1990年代後半に遡る。きっかけは父が愛読していた伝記作家・小島直記さんだった。父が購読していた月刊誌『選択』に掲載されていた小島直記さんの連載を通じて森信三さんの存在を知り、その流れで致知出版社の『現代の覚者たち』を手に取った。

今でも、この本は私にとって特別な一冊である。人生の岐路に立った時や、迷いが生じた時に何度も読み返してきた。そして、この本の中で初めて坂村真民さんを知った。
その後、真民さんの詩集を手に取った。難解な思想書や哲学書ではない。誰にでも分かる平易な言葉でありながら、人生の本質を突いてくる。その言葉に強く惹かれた。
私が特に好きな詩がある。
「尊いのは足の裏である」
尊いのは頭でなく手でなく足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果してゆく足の裏が教えるもの
しんみんよ足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
研究が思うように進まない時期だったからこそ、この詩は私を支えてくれた。
目立つことではなく、与えられた役割を黙々と果たすこと。成果よりも姿勢。評価よりも生き方。その価値観は、その後の人生にも大きな影響を与えているように思う。
2015年、斎藤りゅう哉さんとの出会い
それから約15年後の2015年11月8日。知人の紹介で、真民さんの詩集を数多く編集してきたサンマーク出版元編集長の斎藤りゅう哉さんと出会った。
これは私にとって大きな出来事だった。詩を読むだけでは分からない真民さんの人物像や生き方について、りゅう哉さんから直接伺う機会をいただいたからである。
真民さんは詩人である以前に、徹底した実践家だった。養生に関する本を数多く読み、生活を整え、日々の実践を大切にした。また、若い頃は短歌を詠んでいたが、その後、詩へと転身している。形式の中で表現する短歌から、より自由で生命力に満ちた詩へ。
その変化もまた、真民さん自身の人生の深化を象徴しているように感じる。
気がつけば、りゅう哉さんとは、月に一度の読書会(奇跡を呼ぶ読書会・よんでるせん・Reading Community、詳細については「奇跡を呼ぶ読書会・よんでるせん──本を入口に「対話のOS」を育てる」参照)を共催する仲間となっている。

そして、いつしか「いつか松山に行きたいですね」という話をするようになった。
2024年、初めて坂村真民記念館へ
その願いが叶ったのが2024年8月だった。瀬戸内海を巡る旅の途中で、初めて坂村真民記念館を訪れることができた。その時の目的は、真民詩の朗読と音楽会への参加だった。実際に記念館を訪れて最も印象に残ったのは、展示されている真民さんの直筆作品だった。
活字では伝わらない力があった。
筆の勢い。
余白。
文字の呼吸。
そこには確かに真民さんの存在が宿っているように感じられた。
当時訪れた際のブログ記事には、
「心が乗り移ったかのようで、心が動かされた」
と書いている。
また、一緒に訪れた当時の妻・亜希子はは展示を見て涙を流していた。詩を読むことと、直筆作品の前に立つことは全く別の体験なのだと実感した。
閉館を前に再び松山へ
あれから二年。残念なことに、坂村真民記念館の閉館が決まった。
ぜひ閉館前にもう一度訪れたいと思っていたところ、りゅう哉さんからお声がけいただいた。これは行かねばと思った。今回の旅では、りゅう哉さんの呼びかけで集まった参加者の皆さんと、それぞれの真民さんとの出会いを語り合うことができた。
全国から集まった人たちが、なぜ真民さんに惹かれたのか。それぞれの方々が語った人生の物語を聞く時間は、とても豊かなものだった。
直筆作品が放つ力
今回、館長の西澤さんの真民さんへの思いを伺うことができた。
「詩人の直筆作品がこれだけ展示されていることが、この記念館の特徴です」
確かにその通りだと思う。
何度訪れても、直筆作品の前に立つと心が洗われるような感覚になる。そこには単なる情報ではなく、人間の生命そのものが宿っている。活字ではなく、身体を通して伝わってくるものがある。今回も参加者の皆さんと感想をシェアしながら、豊かな時間を過ごすことができた。

「詩国」との出会い
今回の旅で個人的に嬉しかったことがある。
真民さんが長年発行していた『詩国』のバックナンバーを入手することができたのである。名前は以前から知っていたが、実物を手にする機会はなかった。ページをめくると、その時代の空気や真民さんの息遣いが伝わってくる。詩だけではなく、交流や思想の軌跡も感じられる貴重な資料である。
今後じっくり読み進めていきたいと思う。
閉館の先にある新たな展開
今回の訪問で非常に嬉しかったことがある。記念館閉館後の作品の行き先について、新たな展開が生まれようとしていることである。
道後宝厳寺にて、道後温泉誇れるまちづくり推進協議会の宮崎会長と道後温泉旅館協同組合の帽子理事長に対し、坂村真民の詩墨作品を道後温泉地区で展示していただくことを求める要請書が提出された。愛媛新聞では一面と四面を使って大きく報道され、多くの関係者が動いていることが伝えられた。


これまで、閉館後の作品の行方について心配する声も少なくなかった。しかし今回、その作品を道後温泉の旅館やホテル、商店街などで展示する構想が具体的に動き始めている。もし実現すれば、それは単なる保存ではない。真民さんの言葉が、新しい形で人々の暮らしの中に息づくことになる。

旅館でふと目にした詩。
温泉街を歩いている時に出会う言葉。
そのような形で、これまで真民さんを知らなかった人にも詩が届くかもしれない。それは記念館という一つの場所に収まる以上に、大きな可能性を秘めているように感じた。
おわりに
帰路では台風の影響で予約していた便が欠航するというハプニングもあった。
しかし、早めに松山空港へ向かったことで前便への変更に成功し、無事に帰路につくことができた。今回の旅では本当に多くの方々にお世話になった。
りゅう哉さんをはじめ、ご一緒した参加者の皆さん、坂村真民記念館の関係者の皆さんに心から感謝したい。振り返れば、真民さんとの出会いから約30年。大学院時代に読んだ一冊の本から始まったご縁が、こうして松山へ私を導いてくれた。
記念館は閉館する。
しかし、真民さんの言葉は終わらない。むしろこれから、新しい形で多くの人々の人生を支えていくのかもしれない。そんなことを感じながら、松山を後にした二日間だった。
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