スペースシャトル計画が残した教訓──理想から官僚制への変貌──チャレンジャー、コロンビア、そして組織が現実を見失うとき
カテゴリ:宇宙・組織シリーズ【第2回】
Table of Contents
【宇宙・組織シリーズ──認識のOSを宇宙で実証する】全4回
- ① 宇宙開発史は、最高の組織論の教科書だ
- ② スペースシャトル計画が残した教訓──理想から官僚制への変貌、チャレンジャー、コロンビア、そして組織が現実を見失うとき(この記事)
- ③ SpaceXが証明したこと──失敗を高速学習サイクルに変える組織、「失敗する権利」の制度化
- ④ 国際宇宙ステーションが証明したこと──「異なるものが共に働く」という最も困難な組織的挑戦
歴史・組織シリーズ──認識のOSを歴史で実証すると対になるシリーズです。歴史シリーズで見た「なぜ賢い人ほど間違えるのか」という集団浅慮の問いが、スペースシャトルという極限の組織でいかに再現されたかを読み解きます。

【宇宙・組織シリーズ第1回から、この記事へ】
第1回「宇宙開発史は、最高の組織論の教科書だ」では、こう問うた。
「宇宙開発史は組織論の最も純粋な実験場だ。なぜなら宇宙では、組織の失敗が即座に命に直結するからだ」
アポロ計画は「失敗の科学」を実践し、月面着陸を実現した。しかしその成功が、次の組織に何をもたらしたか。成功体験は「資産」になるのか、それとも「負債」になるのか。
スペースシャトルの30年間が、その問いに答える。
スペースシャトル計画は、崇高な理想とともに始まった。
「再利用可能な宇宙船で、宇宙を誰もが行ける場所にする」。アポロ計画が月に人を送り込んだ1960年代の熱狂を引き継ぎ、1970年代初頭にスペースシャトルは構想された。テストパイロットたちが積み上げてきた「飛んで、学んで、改良する」という航空開発の哲学を、そのまま宇宙に持ち込むはずだった。
しかし30年後の2011年、シャトルは静かに退役した。135回のミッション、14人の命、2度の大事故。計画が終わったとき、残ったのは技術的な遺産だけでなく、「なぜ優れた組織がこれほど深く失敗するのか」という問いだった。
ビジネスパーソンがこの歴史から学べることは、ロケット工学ではない。理想を抱いて出発した組織が、官僚制と成功体験の重みの中で、いかに現実から乖離していくか。その過程だ。
1.理想の設計図──シャトルはどんな夢だったのか
テストパイロットの哲学が生んだ構想
スペースシャトルのコンセプトの根底には、戦後アメリカの航空開発が育てた哲学があった。「飛行機は飛ばすことで学ぶ」──X-1、X-15といった実験機の時代に確立されたこの精神だ。
Michelle Evans『The X-15 Rocket Plane』と Richard Tregaskis『X-15 Diary』が描くX-15の開発史は、この哲学の結晶だ。X-15は1959年から1968年の間に199回飛行した。1機のロケット機が、ほぼ毎月飛び続けた。飛ぶたびにデータが積み上がり、設計が改良され、パイロットの技量が磨かれた。マッハ6.7、高度107kmという当時の世界記録は、この反復的な学習の産物だった。
John Young & James Hansen『Forever Young』には、この時代のNASAの空気が活写されている。Youngは水星計画からアポロ、そしてシャトルのSTS-1まで、アメリカ宇宙開発の全時代を飛んだ唯一の宇宙飛行士だ。彼が証言する初期NASAの文化は、「問題があれば飛んで確かめる」という、徹底的に実証主義的なものだった。
スペースシャトルは、この哲学の延長線上に構想された。再利用可能な機体で頻繁に飛び、飛行データを蓄積し、コストを下げていく。理想の絵は美しかった。
飛行機・シャトル──飛行回数が「Operational」かどうかを決める
しかし現実のシャトルは、その理想から遠く離れていった。最も象徴的な数字は「飛行回数」だ。そしてこの問いを最も鋭く突きつけたのが、John Young の言葉だ。
「この機体は本当にOperational(運用段階)と言えるのか」
通常の飛行機と比較してみれば、この問いの意味が明確になる。民間の旅客機──たとえばボーイング737──は、世界中で毎日数千回飛ぶ。同一機体が年間数百回のフライトを重ねることは珍しくない。軍の戦闘機でも、個々のパイロットが年間数百時間の飛行時間を積む。この「飛ぶ回数」の積み重ねが、機体の信頼性を証明し、整備チームの暗黙知を洗練させ、問題を早期に発見するサイクルを生み出す。
スペースシャトルはどうだったか。30年間で135回。最盛期でも年間8〜9回の打ち上げに過ぎなかった。一つのオービターが「10回以上飛んだ」ことが実績として語られる程度の頻度だ。
Young は『Forever Young』の中で、この差を「Operationalかどうか」という問いで切り取る。民間航空機が「運用機」であることの証明は、膨大な飛行回数によって裏付けられている。しかしシャトルは、その飛行回数を一度も達成しないまま「運用機」と宣言された。飛行機の世界では「飛ぶことで学ぶ」が大前提だ。しかしシャトルは1回の飛行準備に数ヶ月を要した。「飛んで学ぶ」サイクルが根本から壊れていた。
この断絶が意味するのは、学習機会の圧倒的な差だ。飛行機の整備チームは、毎日の飛行を通じて問題を早期発見し翌日には対処できる。シャトルの整備チームは、次の打ち上げまで数ヶ月待つ間に、問題の重要性の認識が薄れ、修正が先送りされ、リスクが「正規化」されていく──Youngはこの構造を、組織の内側から繰り返し警告した。
2.理想が歪められた瞬間──政治と予算の罠
妥協の産物として生まれたシステム
シャトルが本来の理想から乖離し始めたのは、設計段階からだった。
Michael Cassutt『The Astronaut Maker』が描くように、1970年代初頭のNASAは予算削減の嵐の中にいた。アポロの熱狂は冷め、宇宙開発への国民的支持は薄れ、議会は予算を削った。理想的なシャトルを実現するための資金は得られなかった。
NASAは生き残るために軍(空軍)との妥協を選んだ。軍は大型の偵察衛星を軌道に投入できる大きなペイロードベイを要求した。その要求に応えるために、シャトルの翼は大きくなり、機体は重くなり、設計は複雑化した。「宇宙バス」は、軍民両用の巨大複合システムへと変貌した。
Thomas Kelly『Moon Lander』が記録したように、アポロの月着陸船開発では「シンプルさ」が設計原則だった。複雑さはリスクだという認識が、エンジニアたちの間に共有されていた。スペースシャトルはその逆の方向に進んだ。107万点以上の部品、2500万ラインのソフトウェアコード。複雑さそのものがリスクの温床になった。
SRB問題──警告は最初からあった
スペースシャトルの固体ロケットブースター(SRB)をめぐる問題は、チャレンジャー事故の前から存在していた。そしてその警告は、驚くほど早い段階から発せられていた。
SRBの設計・製造を担ったのはモートン・サイオコール社だった。しかし、この契約をめぐっては当初から問題があった。以前からNASAとSRBの開発に関わってきた別の会社(Aerojet)が、サイオコールの設計に対して技術的な懸念を表明していた。特にセグメント間の接合部の設計、すなわち後のOリング問題につながる箇所について、密封性の問題を指摘していたとされる。
しかしコスト削減と政治的な力学の中で、その懸念は「採用されない意見」として処理された。これは単なるエンジニアリング上の判断の相違ではない。新しい契約者の設計を選ぶ際に、以前から関わってきた専門家の警告が組織的に無視されたという、より深い問題だ。
1977年には、SRBのジョイント部分の設計に関する内部懸念がすでに文書化されていた。Oリングが高温ガスに曝されるリスクは、チャレンジャー事故より8年以上前から「既知の問題」だった。にもかかわらず、それは「許容可能なリスク」として飛行が繰り返された。警告は存在した。しかし組織は、その警告を「処理する仕組み」を持っていなかった。
3.Charles Abbey──「神」と呼ばれた男と組織支配
宇宙飛行士選抜を握った権力
スペースシャトル時代のNASAを語るとき、一人の人物を避けて通ることはできない。ジョンソン宇宙センターの航空宇宙飛行士局長を長く務めたCharles Abbeyだ。
Michael Cassutt『The Astronaut Maker』は、Abbeyの権力とその影響を丹念に描いた稀有な記録だ。Abbeyは宇宙飛行士の選抜において絶大な権限を持っていた。誰が宇宙飛行士になれるか、誰がどのミッションに搭乗するか──これらの決定は、事実上Abbeyの判断によって行われた。
アポロとシャトルで何が変わったか──選抜基準の変容
この選抜の構造を理解するためには、アポロ時代との対比が不可欠だ。
アポロ時代の宇宙飛行士選抜は、軍のテストパイロット出身者を中心とした、比較的明確な基準に基づいていた。飛行時間、機種転換の数、危機対応の記録──これらは客観的に測定可能な指標だ。宇宙という未知の環境で機械を操る能力を、既存の最も過酷な環境(超音速飛行、高高度飛行)での実績から推定するという論理は、一定の合理性を持っていた。
スペースシャトル時代、Cassutt『The Astronaut Maker』が描く選抜は、この構造を大きく変えた。シャトルのミッションが多様化するにつれて、テストパイロット以外のバックグラウンドを持つ「ミッション・スペシャリスト」が選ばれるようになった。科学者、医師、エンジニア──宇宙飛行士の定義そのものが広がった。これ自体は時代の必然だった。
しかし問題は、その選抜の「誰が・どういう基準で決めるか」が、透明なプロセスではなくAbbeyの個人的な判断に集約されていったことだ。アポロ時代には「飛行実績」という外部から検証可能な基準があったが、シャトル時代の多様な選抜においては、その代わりとなる明示的な基準が存在しなかった。
Cassutt『The Astronaut Maker』が丹念に追うように、Abbeyは選考基準を一切明示しなかった。候補者は「なぜ自分が選ばれなかったのか」を知ることができない。知ることができないから、対策を立てることもできない。できることはただ一つ──Abbeyの目に留まるよう、Abbeyが好む行動を取ることだ。「神」とも「教父」とも呼ばれた彼の判断に異を唱える者は、宇宙飛行士としてのキャリアを危うくするリスクを冒すことになった。
これは単なる人事権の問題ではない。「能力の多様化」という正当な組織進化が、「権力の一点集中」と組み合わさったとき何が起きるか、という問いだ。アポロ時代は「最も危険な機械を飛ばせる人間を選ぶ」という目的が選抜基準を規律していた。シャトル時代はその規律が消え、Abbey個人の価値観が基準の代わりを果たした。能力ではなくAbbeyへの個人的な関係が選抜と配置に影響を与えたとすれば、それは組織の意思決定の合理性を根本から歪める。そして宇宙飛行士が「Abbeyの機嫌を損ねないこと」を最優先に考え始めたとき、組織内の率直な意見表明は静かに死んでいく。
John Youngが見たNASAの変容
一方、John Young は違う角度からシャトル時代のNASAを証言する。
Young は水星計画のジェミニ3号(1965年)からアポロ10号、アポロ16号(月面着陸)、そしてシャトルのSTS-1(1981年)とSTS-9(1983年)まで、6回宇宙に飛んだ。その長いキャリアは、NASAの全盛期から官僚化の時代を丸ごと跨いでいる。とりわけSTS-1のコマンダーとして、誰も飛んだことのない機体を初めて宇宙に持っていったという事実は重要だ。シャトルの設計に深く関わり、機体の問題点を誰より知っていたYoungが、それでも飛んだ。その経験から書かれた『Forever Young』は、単なる回想録ではなく、NASAの内部変容を一人の人間の目を通して記録した、組織論的に極めて価値の高い証言だ。
『Forever Young』の中でYoungが繰り返し指摘するのは、シャトルが「運用機(operational vehicle)」であると宣言されたことへの根本的な異議だ。チャレンジャー事故後、NASAはシャトルを「運用段階」から「開発・試験段階」に戻すという議論を一時したが、結局は「運用機」として飛ばし続けた。
Youngにとって、これは致命的な誤認だった。「運用機」とは何か。民間航空機を見ればわかる。ボーイング737は世界中で毎日数千回飛ぶ。同一機体が年間数百回のフライトを重ねる。パイロットは年間数百時間の飛行時間を積む。その膨大な飛行実績が、機体の信頼性を証明し、問題を早期に発見し、手順を洗練させる。
シャトルはどうだったか。最盛期でも年間8〜9回の打ち上げ。1機あたりの年間飛行回数はさらに少ない。一つのオービターが「10回以上飛んだ」ことが実績として語られる程度の頻度だ。このような飛行頻度で「運用機」を名乗ることは、Youngの目には根本的な欺瞞として映った。
さらにYoungが危惧したのは、組織の学習サイクルの崩壊だ。飛行機の世界では、1回のフライトで生じた問題が翌日・翌週の整備に反映される。数千回のフライトが積み上がることで、整備チームの暗黙知も洗練される。しかしシャトルは次の打ち上げまで数ヶ月かかる。問題が発見されても、次の打ち上げまでの間に「問題の重要性」の認識が薄れ、修正が先送りされ、最悪の場合「正規化」される──この構造をYoungは具体的に指摘し続けた。
Youngの証言は技術的な問題にとどまらない。彼が繰り返し書くのは、宇宙での生存確率をいかに高めるかという、極めて実践的な問いだ。シャトルのメインエンジン(SSME)は当時世界最高水準の性能を持ちながら、飛行ごとに全数点検・交換が必要な部品を大量に抱えていた。熱防護システム(タイル)は飛行のたびに損傷を受け、その修復に膨大な工数がかかった。コロンビア事故の断熱材剥落は「想定内」として処理されたが、Youngはそのような判断こそが組織の失われた感度を示していると指摘していた。
チャレンジャー事故後、彼はNASAの安全文化に対する厳しい批判的メモを書いた。そのメモが組織内に流出したとき、NASAの一部はそれを「組織の問題」ではなく「Youngの問題」として処理しようとした。技術的な問題を直言する宇宙飛行士が、組織から圧力を受けた瞬間だ。
YoungとAbbeyの関係は、スペースシャトル時代のNASAの矛盾を象徴している。アポロから知る最長のベテランが組織内から警告を発し続け、一方で宇宙飛行士の人事を握る権力者がその声を実質的に封じる構造。この緊張の中に、チャレンジャーとコロンビアへと至る道が既に敷かれていた。
4.チャレンジャー事故(1986年)──集団浅慮の教科書
Oリング問題の「既知の未知」
1986年1月28日朝、フロリダの気温は氷点下近くまで下がっていた。
前夜、モートン・サイオコール社のエンジニアたちはNASAに対して打ち上げ中止を強く求めていた。固体ロケットブースターのOリングは低温で硬化する。硬化したOリングはガスを封止できない。このリスクは8年以上前から認識されていた。
アーヴィング・ジャニスが『集団浅慮(Groupthink)』で体系化した概念が、ここに凝縮されている。集団浅慮とは、集団の凝集性が高まるにつれて、批判的思考が抑制され、全会一致の幻想が生まれる現象だ。
チャレンジャー事故前夜の会議には、集団浅慮の古典的な症状がすべて揃っていた。
- 集団的合理化:「これまで何度も飛んで問題なかった」という過去の成功体験による現実の歪曲
- 自己検閲:「また技術者が心配しすぎている」という暗黙の圧力
- マインドガード:反対意見が上層部に届く前に遮断される構造
- 外部圧力への服従:打ち上げスケジュールへのプレッシャー、政治的意図
「マネジャーとして考えろ」という一言
「エンジニアとしてではなく、マネジャーとして考えろ」 ── 打ち上げ前夜、NASAの管理職がモートン・サイオコール社のエンジニアに言ったとされる言葉
この言葉は、組織における知の流れがいかに歪められるかを象徴している。技術的な判断(Oリングは危険だ)が、組織的な判断(スケジュールを守れ)によって上書きされた。
Aerojetの警告、1977年の内部文書、前夜のエンジニアたちの訴え──8年以上にわたって積み上がった警告が、最終的に73秒後の爆発として現れた。問題は技術ではなかった。組織が警告を処理する仕組みにあった。
Richard Jurek『The Ultimate Engineer』が描くNASAの「黄金期」には、技術的な判断が組織の意思決定を主導していた。George Lowのような技術リーダーが、安全を最優先する文化を守っていた。しかしシャトル時代、その文化は官僚化と政治化のなかで少しずつ侵食されていた。
発射73秒後、チャレンジャー号は空中分解した。7名の飛行士が命を落とした。
事故後のNASAに何が起きたか
物理学者リチャード・ファインマンは事故調査委員会で、固体ロケットブースターのOリングを氷水に入れて弾性が失われることを実証するという有名なデモンストレーションを行った。そして最終報告書の付録にこう記した。
「現実を直視しない組織のために、テクノロジーは成功できない」 ── リチャード・ファインマン
チャレンジャー事故後、NASAは2年半以上シャトルの飛行を停止した。組織改革、安全文化の再構築、技術審査プロセスの強化が行われた。しかし──。
5.コロンビア事故(2003年)──同じ構造の繰り返し
「想定内の損傷」という合理化
2003年2月1日、スペースシャトル・コロンビア号は大気圏再突入中に空中分解し、7名の飛行士が命を落とした。
原因は打ち上げ時の断熱材剥落だった。外部燃料タンクから剥がれた断熱材片が左翼の熱シールドを損傷し、再突入時に高温ガスが機体内部に侵入した。チャレンジャー事故から17年。NASAは再び同じ構造の失敗を犯した。
Evelyn Husband『High Calling』は、コロンビアの司令官リック・ハズバンドの妻の視点から事故を記録している。彼女が描くリック・ハズバンドは、信仰深く、家族を愛し、使命に誠実な人物だ。しかし彼の死は、個人の失敗ではなく組織の失敗によってもたらされた。
打ち上げの際、現場エンジニアたちは断熱材の剥落を把握していた。衛星画像による損傷確認を求める声もあった。しかしその懸念は、組織の意思決定層に届かなかった。あるいは、届いても「想定内の損傷」として処理された。コロンビア事故調査委員会の報告書は、「NASAの組織文化と構造が、技術的な問題と同等の事故原因だった」と結論づけた。
| 比較軸 | チャレンジャー(1986) | コロンビア(2003) |
|---|---|---|
| 危険の認識 | Oリング問題は8年以上前から既知 | 断熱材損傷は即座に把握 |
| 情報の流れ | 現場の懸念が上層部に届かず | 現場の懸念が組織決定に反映されず |
| 合理化の内容 | 「これまで問題なかった」 | 「想定内の損傷」 |
| スケジュール圧力 | 打ち上げスケジュールへのプレッシャー | ミッション継続バイアス |
| 事後の評価 | 組織的失敗と結論 | 組織文化が技術問題と同等の原因 |
6.スペースシャトル計画の組織論的遺産
「リスクの正規化」という概念
社会学者ダイアン・ヴォーンは、チャレンジャー事故を分析した著作でRisk Normalization(リスクの正規化)という概念を提唱した。リスクは突然無視されるのではない。少しずつ、繰り返し問題なく通過することで、「許容範囲内」として組織に組み込まれていく。
SRBのOリング問題はその典型だった。1977年から問題は認識されていた。しかし飛行を重ねるたびに「今回も大丈夫だった」という実績が積み上がり、リスクは「正規化」されていった。最終的に、氷点下に近い気温という追加のリスクファクターが加わったとき、正規化されたリスクは致命的な現実として現れた。
135回のミッションが残した技術的遺産
一方、スペースシャトル計画の技術的遺産は巨大だ。ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げと修理、国際宇宙ステーションの建設、宇宙科学の発展。Ron Garan『The Orbital Perspective』が示すように、ISSは国際協力の象徴であり、地球を俯瞰する視点をもたらした。
John Young は、シャトル計画の光と影の両方を誰よりも深く知る証人だった。STS-1で初めてシャトルを飛ばし、組織内から問題を指摘し続け、最終的にNASAを離れた。彼の証言は、理想と現実の間で格闘したNASAの内部史だ。
Chris Hadfield『An Astronaut’s Guide to Life on Earth』は、組織論とリーダーシップの書としても読める。Hadfield流の「最悪を想定し、最善を尽くす」という姿勢は、スペースシャトル時代のNASAが本来持っていたはずの精神を、個人レベルで体現したものだ。
官僚化の罠──理想が制度に飲み込まれるとき
Abbeyに象徴される権力の集中、John Young が指摘し続けた飛行頻度の問題、SRBの設計段階からの警告の無視──これらはすべて、「理想を抱いて始まった組織が、官僚化の中でその理想を見失っていく」という一つの物語の断片だ。
佐藤靖『NASAを築いた人と技術』と『NASAー宇宙開発の60年』が丹念に追うNASAの制度的変遷は、成功した組織が官僚化によって失敗するという、組織論の古典的なパターンに重なる。初期の「行け行けどんどん」文化は、アポロ後の官僚化、チャレンジャー後の形式化を経て、次第に「手続きが目的化した組織」へと変貌していった。
寺薗淳也『宇宙開発の不都合な真実』が指摘するように、宇宙開発における「不都合な真実」の多くは、技術的なものではなく組織的・政治的なものだ。これはあらゆる大型プロジェクトが直面する普遍的な課題だ。
7.ビジネスへの示唆
理想はなぜ官僚制に飲み込まれるのか
スペースシャトルの歴史が示す最初の教訓は、「理想は設計段階の妥協によって失われ始める」ということだ。
「宇宙バスで頻繁に飛ぶ」という理想は、軍との妥協、予算削減、政治的プレッシャーによって最初の設計段階で歪められた。歪んだ設計の上に30年の運用が積み重なった。理想と現実の乖離は、最初は小さな妥協として現れる。しかしその妥協が前提として固定化されると、組織はもはや元の理想を「理想」として認識することすら難しくなる。
権力の集中が生み出す「見えない検閲」
Abbeyの事例が示すのは、権力が一点に集中したとき、組織の情報流通が根本から変容するということだ。
誰が評価を握っているかを全員が知っているとき、人は自然に「その人が聞きたいこと」を話し、「その人が聞きたくないこと」を黙るようになる。これは意識的な忖度ではない。組織の構造が生み出す、無意識の自己検閲だ。SRBの警告が無視され、John Young の批判が「問題のある行動」として処理され、現場エンジニアが「マネジャーとして考えろ」と言われた──これらはすべて、権力構造が生み出した「見えない検閲」の結果だ。
「飛行回数」という組織の鏡──Operationalとは何か
John Young が突きつけた「Operationalかどうか」という問いは、どんな組織にも応用できる。
Youngの論点の核心はこうだ。ボーイング737は同一機体が年間数百回飛ぶ。その積み重ねが、機体の信頼性を本当の意味で証明し、整備の暗黙知を育て、問題を早期に炙り出す。これが「Operational(運用可能)」であることの実体だ。シャトルは30年間で135回しか飛ばなかった。飛行機の世界の感覚では、それは「運用機」ではなく「試験機」の飛行回数に過ぎない。にもかかわらずNASAはシャトルを「運用機」と宣言した。この言葉の乖離が、組織の現実認識の歪みを映し出していた。
あなたの組織で、新しいサービス・プロセス・製品を「本番稼働させた」と言いながら、実際の利用頻度や試行回数が極めて少ないものはないか。「導入した」と「Operationalになった」の間には、膨大な反復実績という埋めるべき溝がある。月に1回しか試さない施策と、毎週試す施策では、1年後の学習量に圧倒的な差が生まれる。議論と計画に時間をかけ、実際に飛ばす回数が少ないまま「完成」と見なしてしまう──シャトルが陥った罠は、あらゆる組織に潜んでいる。
「既知の問題」を処理する仕組み
SRBのOリング問題は8年以上前から既知だった。しかし「既知」であることと「対処される」こととの間には、組織的な構造の壁があった。あなたの組織に、「みんな知っているけど誰も対処しない問題」はないか。シャトルの歴史はこの問いに、痛ましいほど明確な答えを示している。
まとめ──スペースシャトルが残した4つの問い
- あなたの組織の「理想」は、設計段階の妥協によって既に歪められていないか?
- 権力の集中が、組織内の「見えない検閲」を生み出していないか?
- 「実際に試している回数」は、学習に十分な頻度か?
- 「みんなが知っているけど誰も対処しない問題」が、リスクとして積み上がっていないか?
次回は、SpaceXがこれらの問いにどう答えたかを見ていく。失敗を資産に変える組織──その構造と文化を、Eric Berger『Liftoff』『Reentry』を中心に読み解く。
このシリーズを読んで、次のステップへ
「自分の組織にも、見えていないリスクがあるかもしれない」と感じたなら
チャレンジャー前夜のエンジニアたちは、正しいことを知っていた。しかし声を上げられなかった。その構造は、宇宙に限った話ではない。組織の「認識の歪み」と向き合い、「なぜ自分は言えなかったのか」「なぜ組織は動かなかったのか」を問い直すプロセスをコーチングで扱っています。 → コーチングセッションを見る
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著者:大塚英文(Ph.D.) 渋谷を拠点に、ロルフィング・コーチング・脳活講座を提供。神経科学・哲学・身体知の交差点から、個人と組織の「認識の変容」を扱っている。
参考文献
- Gene Kranz『Failure is Not an Option』(2000)
- Richard Jurek『The Ultimate Engineer』(2019)
- Thomas Kelly『Moon Lander』(2001)
- Scott Kelly『Endurance』(2017)
- Evelyn Husband『High Calling』(2003)
- Michael Cassutt『The Astronaut Maker』(2018)
- John Young & James Hansen『Forever Young』(2012)
- Michelle Evans『The X-15 Rocket Plane』(2013)
- Richard Tregaskis『X-15 Diary』(1961)
- Chris Hadfield『An Astronaut’s Guide to Life on Earth』(2013)
- Chris Kraft『Flight』(2001)
- アーヴィング・ジャニス『集団浅慮』(1972)
- 佐藤靖『NASAを築いた人と技術』『NASAー宇宙開発の60年』
- 寺薗淳也『宇宙開発の不都合な真実』(2011)


