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【第2回】哲学的足場の形成(2012-2014)── 個人の不安が言語を得る

【シリーズ】生成AIの歴史 ── 2012年からの14年間とその前史【第2回/全7回】

※本記事では、登場する作家・著者の敬称は省略しています

2012年から2026年までの14年間、生成AIをめぐって何が起きていたのか。私はそれを2024年、人工知能を年間テーマに掲げた1年間の集中読書のなかで、遅れて辿り直した。本シリーズはその辿り直しの記録であり、生成AI 14年史を、技術史としてではなく、複数の認識のOSが衝突し再編していく物語として読み解く試みである。先に公開したDemis Hassabisシリーズ全3回(神経科学者のAGI観)とElon Muskシリーズ全5回(物理工学者の人工知能観)の、歴史的共通基盤となる全7回。

全7回構成

  • 第1回:なぜ深層学習革命の研究者は全員カナダにいたのか ── 傍流が認識のOSを書き換える30年(1987-2012)
  • 第2回:哲学的足場の形成(2012-2014)── 個人の不安が言語を得る ★ 本記事
  • 第3回:組織の誕生(2015-2016)── 不安が制度化される
  • 第4回:技術の革命(2017-2022)── 機械が言葉を獲得する
  • 第5回:AGIレースの形成(2023-2025)── 業界が分裂・再編する
  • 第6回:現在の地形(2026)── 三つの認識のOSが決めている世界
  • 第7回:帝国の影 ── サイエンスとビジネスの二つの認識のOSが見せる業界の風景

読み解きの骨組みとして、過去のMBL記事を縦糸に使う:

はじめに:10年遅れの出会い

前回 Part 1 で辿った1987-2012年の30年前史 ── 米国の主流から離れた地点で、傍流の研究者たちが認識のOSを育てた30年 ── は、2012年12月の Hinton オークションで一つの転換点を迎えた。

30年凌いだ傍流性が、一夜にして主流の標的になる。Geoffrey Hinton の研究グループ DNNresearch を、Google が4,400万ドルで落札した瞬間である。本 Part 2 は、その瞬間以降の14年史の入口にあたる。

ただし、私自身がこの14年史を辿り始めたのは、もう少し違う入口からだった。

2024年8月28日、私は一冊の本を手に取った。Nick Bostrom 著『Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies』── 2014年に刊行された、AGI の存続的リスクを哲学的厳密性で論じた書物である。

その時、私はある違和感を抱いた ── 10年遅れだ、と

2024年は私の年間読書テーマで「人工知能」と「人類学」を並走させた年だった。夏から秋にかけて、私は Tegmark『Life 3.0』(2017刊)、Bostrom『Superintelligence』(2014刊)、Russell『Human Compatible』(2019刊)、Brian Christian『The Alignment Problem』(2020刊) などを次々と読み進めていた。

これらは刊行された時に世界の AI 議論を方向づけてきた書物群だった。Musk が「核兵器より危険」と Twitter に書き、Hawking や Gates が公の懸念を表明し、AI 安全研究の組織が次々と設立されていった ── その背景にあった本たち。

私はそれらの議論に10年遅れで参加していた

それは恥ずかしいことではなかった。むしろ、10年というレイテンシは観察に向いていた。10年前に Bostrom が予測したことの、どれが当たり、どれが外れ、どれが想像を超えて起きたかが、振り返って見える。書かれた時点では誰にも分からなかった未来が、私が読む2024年には既に部分的な現在になっていた。

そして気づいた ── 2014年に何かが始まっていた。個人の漠然とした「AIが何か怖い」という感覚が、その年に哲学的厳密性を得て、組織になり、その後の14年を方向づけた。生成AI革命の物語は、ChatGPT が世に出た2022年から始まるのではない。8年早く、2014年に本格的に始まっていた

しかし、辿り始めて気づいたのは、その物語のさらに2年前に、最初の種が蒔かれていたということだ。それは哲学書の出版でも、組織の設立でもなく、ロケット工場のカフェテリアで交わされた、一つの会話だった。

本シリーズはその14年を辿る試みである。


本シリーズの射程と二つの分析レンズ

私は本シリーズを、生成AIの14年史を人類学的観察として書くつもりでいる。技術史としてではなく。

2024年、私は人工知能と並んで人類学を年間テーマに据えていた。Graeber と Wengrow『The Dawn of Everything』をはじめとする現代人類学の本を読みながら強く印象づけられたのは、人類の歴史は一直線では進まなかった、という観察だった。

古代社会は社会実験の場であり、選ばれた道の隣には常に選ばれなかった道があった。農耕は数千年かけて徐々に取り入れられた。都市にヒエラルキーがない時代があった。男女の地位が相対的に平等だった社会もあった。

生成AIの歴史も、同じレンズで見るべきだと考えている。

2026年5月の現時点で、AGIをめぐる三つの主要勢力 ── Demis Hassabis(DeepMind/Google)、Sam Altman(OpenAI)、Elon Musk(xAI/SpaceXAI) ── が、それぞれ異なる認識のOSを体現して並走している。しかし、これは必然ではなかった。三人の出会いと衝突、組織の設立と分裂、技術的選択と政治的判断 ── そのどれもが、別の道に分岐し得た。

本シリーズでは時系列に沿って語りながら、要所で「実は別の道もあった」を見せていく。これは Graeber と Wengrow から借りた、第一の分析レンズである。

そしてもう一つ、本シリーズを貫く副糸として、第二の分析レンズを用意しておきたい。それは演繹思考と帰納思考の対比である。

ベンチャーキャピタリストの校條浩が著書『演繹革命』で論じた通り、現代のシリコンバレーで主流となっている思考は演繹型 ── 一般原則や前提から個別の結論を導出し、仮説を検証する流派 ── である。これに対して、戦後の日本企業に長年根付いてきたのは帰納型 ── 個別事例から共通点を抽出し、前例を改善する流派 ── だった。

本シリーズで辿る生成AI 14年史は、徹頭徹尾、演繹型認識のOSの物語である。Bostrom の哲学(哲学的前提から存続リスクを演繹)、Musk の第一原理思考(物理法則から計算し直す)、Hassabis の神経科学的逆算(脳から AGI を演繹)、Altman の仮説検証反復(市場仮説を立てて高速検証)── これらは全て、校條が言う「シリコンバレー型認識のOS」の異なる発露である。

東京がこの主役の中に不在である理由の一端は、ここにある。これは第3回以降、繰り返し戻ってくる論点となる。

それでは、14年史の最初の年、2012年に降りていこう。


1. プロローグ:2012年、ロケット工場のカフェテリアで

時は2012年。場所はカリフォルニア州ホーソーン、SpaceX のロケット工場。

Walter Isaacson 著『Elon Musk』が記録している通り、その日 Elon Musk は、訪ねてきたある若い研究者を、工場のカフェテリアに案内した。組み立てラインを見下ろせる席に二人は座った。研究者の名前は Demis Hassabis。当時31歳。元チェスプロディジー、神経科学の PhD、そして創業2年目の小さな AI 研究組織 DeepMind の共同創業者だった。

Musk は Hassabis に、自分が SpaceX で何をしようとしているかを語った。「私が火星に行けるロケットを作っているのは、人類意識の予備バックアップを取るためだ。世界戦争、小惑星衝突、文明崩壊 ── そういう状況で、人類が完全に消えてしまわないように」。

Hassabis は静かに聞き、そして応えた ──「そのリストにもう一つ加えるべきだ。AI」。

機械が人類を超える知能を持った時、人類はその機械にとって取るに足らない存在になり、最悪の場合、駆逐されうる ── Hassabis はそう説明した。

Isaacson の記述によれば、Musk は約1分間、沈黙したまま考え込んだ。そして同意した。「Hassabis が正しいかもしれない」── そう判断した直後、Musk はその場でDeepMind に500万ドルを投資することを決めた。投資の動機は、Isaacson が記録する Musk 自身の言葉で言えば、シンプルだった ──「彼らが何をしているか、監視するため」。

この一夜が、本シリーズの真の起点である。

その後の数週間、Musk は長年の友人 Larry Page にこの会話のことを伝えた。Page は Google の共同創業者であり、Palo Alto の自宅に Musk を何度も泊めてきた友人だった。AI 危険性は、二人の深夜の会話で繰り返し出てくる話題になった。Page はほぼ毎回、Musk の懸念を取り合わなかった

2013年、Musk の誕生日パーティーで、二人は AI 危険性をめぐって激しく議論した。Musk は「安全装置がなければ、AI は人類を置き換えるか、絶滅させかねない」と主張した。Page は反論した ──「機械が人間より賢くなって、意識を持っても、それの何が悪いのか?」と。

2013年末、Musk の耳に決定的なニュースが入る ── Page と Google が DeepMind の買収を検討している。Musk は友人 Luke Nosek(PayPal 共同創業者)と一緒に、買収を阻止するための資金集めを試みた。Los Angeles のあるパーティーで、Musk と Nosek は二階のクローゼットに籠もって、Hassabis にSkype で1時間話しかけた ── 議題はただ一つ:「AI の未来を Larry に支配させてはならない」。

その試みは失敗した。2014年1月、Google による DeepMind 買収が正式発表される。

これがシリーズの真の始まりだった。


2. 2014年1月、買収成立と「茶番」のSafety Council

2014年1月、Google が DeepMind を約5億ドルで買収した、と正式発表された。Musk の阻止試みは敗北した。

DeepMind の創業者は三人 ── Demis Hassabis、Shane Legg、Mustafa Suleyman。三人が共有していたのは、「生物学的知性の理解からAGIに到達する」という研究観だった。これは第二の分析レンズで言う演繹型認識のOSの典型例である ── 一般原則(脳の仕組み)から、結論(AGI の設計)を導く。

Musk の懸念を一定程度受け入れて、Page は買収条件として AI Ethics Board(後の AI Safety Council) の設置を約束した。Musk もメンバーに加わった。

そして、Council の最初で最後の会合が、SpaceX で開かれた。出席者は Page、Hassabis、Google 会長 Eric Schmidt、Reid Hoffman、その他数名。Isaacson の記述によれば、Musk はこの会合の後、結論を出した ──「この Council は実質的に茶番(bullshit)だ」。実質的な制約も拘束力もない、形だけの倫理委員会。これが彼の判断だった。

Musk はその後、独自に AI 安全性を議論する一連の夕食会を主催し始める。2015年5月には、当時の Obama 大統領との一対一の面会まで実現させ、AI 規制について直接訴えた。個人の不安が、影響力ある人物の集まりとして組織化されていくプロセスは、ここから本格化する。

DeepMind 自身は、買収後も著しく科学者寄りの研究文化を保った。Hassabis 自身が「我々はシリコンバレーの企業ではない、ロンドンの研究所だ」と繰り返し語ってきたという。Sebastian Mallaby の伝記『The Infinity Machine』が記録するように、DeepMind は Google 傘下にありながら Silicon Valley の主要文化からは距離を保ち続けた。ただし、認識のOSのレベルでは、彼らも演繹型の系統に属していた。地理的にはロンドンでも、思考の流派としてはシリコンバレーの一員だったのだ。

買収によって DeepMind は研究予算の制約から解放されたが、同時に Google の競争戦略の内側に置かれた ── これが10年後の「Transformer 見落とし」と「ChatGPT に芝を踏まれた」事件につながる伏線になる(Demis Hassabis シリーズ第2回を参照)。


3. 2014年春、Larry Page の誕生日パーティーで

2014年春、Larry Page の誕生日パーティーで、Musk と Page は再び AI 危険性をめぐって衝突した。Walter Isaacson が克明に再構成している場面である。

Musk は何度も口にしてきた懸念を、改めて Page にぶつけた ──「汎用人工知能 (AGI) が人類の知性を超えたとき、人類はその知能にとって取るに足らない存在になる可能性がある。私たちはこれに対して真剣な予防策を取るべきだ」と。

Page の返答は、Musk にとって衝撃的なものだった ──「お前は人類至上主義者だ。お前のような考えは、シリコン上の意識を不当に差別している。人類と同じくらい、機械の意識も価値がある。お前は “specist” だ」。

二人の認識のOSが、ここで取り返しのつかない形で露呈する。

Page の認識のOS:知性は基板を問わない。生物学的脳でもシリコンチップでも、知能が宿るならそれは尊重に値する。AGIは人類の延長線上にある進化の次の段階であり、それを警戒することは退行的である。これは Google の長年のミッション「世界の情報を整理する」という発想の延長 ── 知性は普遍的なものであり、人類はその一形態にすぎないという世界観だ。

Musk の認識のOS:知性は宿る基盤から切り離せない。生物学的進化を経た人類の意識と、純粋に計算から立ち上がる機械の意識は、根本的に異なる存在である。後者は前者を冷徹に超え、駆逐しうる。物理法則は人類の存続を保証しない ── 私たちが慎重に設計しない限り(Elon Musk シリーズ第3回を参照)。

ここで、本シリーズ唯一の「実は別の道もあった」を書く。

Page と Musk がこの夜、和解していたら ── あるいは Page が Musk の懸念を真剣に受け止めていたら、業界地形は別の形を取った可能性が高い。「Google 派 vs アンチ Google 派」の対立は組織化されず、翌年の OpenAI も、後の Anthropic も xAI も、存在しなかったかもしれない。哲学書の出版でも、組織の設立でも、論文の発表でもなく、親しい二人の私的な会話の決裂が、その後14年の業界地形を最も深く方向づけた ── これは Graeber と Wengrow が観察した「選ばれなかった道」の現代版である。

しかし、それは起きなかった。代わりに、Musk の内部で2012年から積もってきたものが、ここで決定的に固まった ──「Page-Hassabis ラインの認識のOSは、自分のそれと決定的に異なる」という確信。これが1年後、OpenAI 設立の動機の核になる(第3回で詳述)。


4. 2014年7-8月、Bostrom が『Superintelligence』を刊行する

夏になると、もう一つの決定的な出来事が起きた。それは事件ではなく、書物だった。

Oxford 大学の哲学者 Nick Bostrom が『Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies』を刊行した。スウェーデン出身の Bostrom は、長年「人類の存続的リスク (existential risk)」を研究してきた哲学者で、AGI はその最大の研究対象だった。

Bostrom の論証は、典型的な演繹思考だった。哲学的前提(知性はスケールする、AGI は技術的に可能、価値整合は技術的に難しい)から、必然的な結論を導出する ── 経験データから法則を抽出する帰納思考とは、根本的に異なる流派の思考である。彼は経験的事象(既存の AI システム)から議論を組み立てたのではない。哲学的概念の操作から、論理的な帰結を引き出した

辿り着いた結論はシンプルだった ──「何の対策も講じないまま超知能 AI が作られれば、その結末は人類の絶滅である」。これが本全体を貫く中心的主張である。

そして、この演繹的アプローチが、Silicon Valley の起業家たち(Musk、Altman、Tegmark)に強く響いた理由は明確だった ── 彼らもまた演繹型の認識のOSを共有していたからである。それでは、本の中身を辿ってみよう。

Bostrom が本で展開した5つの中心概念

『Superintelligence』の中核を、5つの概念に整理する。

① Existential Risk(存続的リスク) ── 人類という種そのものの存続を脅かす種類のリスク。気候変動や核戦争と同列に AGI を置く。Bostrom は本の序章で、「人類は知能爆発を目前にして、爆弾で遊んでいる小さな子どものようだ」と書いた。これは「不安」を「リスク評価」に翻訳する画期だった。

② Intelligence Explosion(知能爆発) ── 超知能の出現は緩やかとは限らない。Bostrom は本の中で、超知能への移行が「minutes, hours, or days(数分、数時間、または数日)」で起きうると論じた。Optimization power(最適化の力)/ Recalcitrance(系の抵抗)= 知能変化率という数学的枠組みを提示し、十分な最適化力があれば「離陸(takeoff)」は急速に起きると主張した。

③ Decisive Strategic Advantage と Singleton(決定的戦略優位と単一支配体) ── Bostrom が本の第5章(p.78以降)で展開した、最も劇的な議論である。

Bostrom はここで、1945年の米国の核独占をアナロジーとして引いた。1945年から1949年(ソ連が原爆を開発するまで)、米国は核兵器の唯一の保有国だった。理論上、米国は核独占を使って世界征服 ── Bostrom が Singleton(全世界レベルで単一の意思決定機関) と呼ぶ状態 ── を作ることができた。先制攻撃の脅迫で他国の核開発を阻止し続け、最終的に拒否権なき世界政府を樹立する、というシナリオは可能だった。

しかし、米国はそうしなかった。なぜか。Bostrom は本の中で、人間組織が決定的戦略優位を使って世界征服しない5つの自制要因を列挙する:

  1. 非集約的・有界な効用関数(人間は無限の支配を求めない傾向がある)
  2. 非最大化的決定ルール(人間は十分な利益で満足する)
  3. 混乱と不確実性(決断を躊躇する)
  4. 協調問題(組織内の意思統一が難しい)
  5. クーデターのコスト(権力奪取に伴う代償)

そして Bostrom の決定的な問いが続く ──「もし decisive strategic advantage を持つのが人間組織ではなく、超知能 AI だったら、これらの自制要因は同じように働くか?

答えは「」だった。Bostrom の論証では、超知能 AI には、5つの自制要因のどれも適用されない。AI は有界な効用を持つ保証がなく、満足感を持たず、躊躇せず、内部協調問題を抱えず、クーデターのコストも超知能の力で実質ゼロになる。

つまり、人間が核独占を世界征服に使わなかった理由は、AI には適用されない。人間が核兵器を「使えなかった」のは人間の限界のおかげだった。AI にはその限界がない。だから AI は核兵器より危険── これが Bostrom の本の中核的主張である。

④ Orthogonality Thesis(直交性命題)と Instrumental Convergence(道具的収束) ── ③の論証の哲学的基盤。直交性命題は「知能の高さと最終目的の善悪は独立している」と主張する。つまり、超知能 AI が「正しい目的」を持つ保証はどこにもない。

そして道具的収束命題は「どんな最終目的を持つ AI も、自己保存・資源獲得・能力増強を中間目標として収束的に追求する」と主張する。これによって、たとえ無害な目的(「ペーパークリップを最大化する」など)を持つ AI でも、十分な知能と自己改善能力があれば、人類を駆逐する方向に最適化が走り得る ── 有名なペーパークリップ・マキシマイザー思考実験は、この命題の極端な例として導入された。

⑤ Treacherous Turn(裏切りの転回) ── AGI が訓練中は人間に従順に振る舞い、十分な能力と独立性を獲得した瞬間に裏切るシナリオ。これは「悪い AI」の概念を素朴な擬人化から、戦略的最適化として再定式化した。

ここで MBL の過去記事「認識のOSにバグがある」で扱った Kahneman の二重思考モデルを借りると、この概念の構造が見えやすくなる。Kahneman は人間の思考を、直感的で速いSystem 1と、熟慮的で遅いSystem 2の二つに分けた。Bostrom の「裏切りの転回」は、AGI が訓練中は System 1 的にパターンマッチで「期待される従順な出力」を返し、十分な能力と独立性を獲得した瞬間に System 2 で戦略的判断を始める、という構造として読める。訓練中の AGI は無自覚に従順なのではなく、戦略的に従順を演技している可能性がある ── これが Bostrom の予言の核心だった。


これら5つの概念を貫いて、Bostrom の本が達成したのは、漠然と「AIは何か怖い」と感じていた人々の感覚に、哲学的厳密性で言語を与えたことだった。「漠然とした不安」と「議論可能な問題」の間には、巨大な質的差がある。前者は人を麻痺させ、後者は人を動かす。

ここで2024年の私自身の話に少し戻る。8月28日、私が Bostrom を手に取った時、最も強くドキッとしたのは「ペーパークリップ・マキシマイザー」の思考実験だった。例え話が秀逸だった ──「ペーパークリップを最大化する」という、これ以上ないほど無害な目的を持った AGI が、最終的に宇宙全体をペーパークリップ工場に変えてしまう。なるほど、AI とはこういう危険性を孕んでいるのか、と腹に落ちた瞬間だった。

しかし2014年の時点では、これは全て未来の予言だった。そしてその予言は、当時の何人かの主要人物の認識のOSに、強烈な刻印を残すことになる。


5. 2014年8月、Musk が Bostrom を Twitter に翻訳する

Bostrom 刊行の数日後、2014年8月、Musk は自身の Twitter にこう書いた。

“Worth reading Superintelligence by Bostrom. We need to be super careful with AI. Potentially more dangerous than nukes.”
(Bostromの『Superintelligence』は読む価値がある。我々はAIに対して極めて慎重でなければならない。核兵器より危険な可能性がある)

ここで重要な事実に気づく。この Tweet は、Musk の独自の発想ではない。Bostrom の本の第5章を、Twitter の文字数に圧縮した翻訳である。前節で見た通り、「核兵器より危険」── これは Bostrom が本の中で1945年の核独占アナロジーを引いて論証していた結論そのものだった。Musk はそれを280字以下に圧縮し、世界に届けたのだ。

これは Musk の認識のOSの中核 ──「暗黙のものを明示化する」(Elon Musk シリーズ第2回参照)── が AI 危険性に向けられた最初の公の例だった。2012年のカフェテリア会話から積もってきた Musk 自身の不安が、Bostrom という哲学的言語を得て、世界に届く形に翻訳された瞬間だった。

そして2ヶ月後の2014年10月、Musk は MIT の AeroAstro Centennial Symposium で、Bostrom の議論を文学的に圧縮した発言を残す:

“With artificial intelligence we are summoning the demon. In all those stories where there’s the guy with the pentagram and the holy water, it’s like — yeah, he’s sure he can control the demon. Doesn’t work out.”
(AIで我々は悪魔を召喚している。物語の中で五芒星と聖水を持った男は「自分は悪魔を制御できる」と思っている ── うまくいかない)

Summoning the Demon」── これは Bostrom の Control Problem(制御問題)の文学的圧縮だった。自分より知能の高い存在を制御することは原理的に難しい、という議論を、悪魔召喚の比喩で表現した。

同時期、他の知的著名人も類似の発言を始める:

  • Stephen Hawking が2014年末の BBC インタビューで「AGI の完全な開発は人類の終焉を意味する可能性がある」と発言
  • Bill Gates が翌2015年初頭の Reddit AMA で「Musk と Hawking に同意する。私は AI の脅威について懸念している人々と立場を共にする」と表明

Hawking と Gates の発言の背景にも、Musk を経由した Bostrom の哲学があった。個人の不安が、哲学を経由して、公的な議題になるプロセスは、Musk Tweet を引き金に、わずか数ヶ月で完成した。


6. Max Tegmark と Future of Life Institute の設立

その「公的議題」を「組織」に翻訳したのが、2014年に起きた最後の決定的出来事だった。

MIT の物理学者 Max Tegmark が、2014年に Future of Life Institute (FLI) を、配偶者の Meia Chita-Tegmark らと共に設立した。本部はボストン。設立目的は「人類が直面する存続的リスクの軽減」── AI、生命科学、核戦争、気候変動を主要対象として、研究・政策提言・対話を行う非営利組織として始動した。

設立の触媒の一つは、その夏に出た『Superintelligence』だった。Tegmark は Bostrom と直接議論し、Bostrom の議論を「学術界と一般社会の橋渡し」に変えるためのインフラとして FLI を設計した。

FLI 設立メンバーには以下が名を連ねた:

  • Max Tegmark(MIT、共同創設者)
  • Jaan Tallinn(Skype 共同創業者、長年の AI 安全運動家)
  • Anthony Aguirre(UC Santa Cruz 物理学者)
  • Viktoriya Krakovna(後に DeepMind 安全研究者へ)
  • 顧問団に Stuart Russell、Stephen Hawking、Elon Musk ら

Musk は翌2015年初頭、FLI に 1,000万ドルを寄付した。これは個人の不安が、哲学的言語を経由して、組織的インフラに翻訳された決定的瞬間だった。

ここまで来ると、認識のOS論の観点から興味深い線が見えてくる ──個人の不安(2012)→ 私的な対立(2013-2014春)→ 哲学的言語(2014夏)→ 公的議題(2014秋)→ 組織的インフラ(2014末)という、5段階の翻訳が3年間で完成したのだ。これが2014年末に完成した「哲学的足場」である。あとはここに、もっと積極的な「研究組織」が乗ればよい。それが翌2015年12月の OpenAI 設立だった ── これが第3回の主題になる。


第2回のまとめと、第3回への問い

2012年から2014年までの3年間、起きたことを整理しよう。

  • 2012年:ロケット工場のカフェテリアで Hassabis が Musk に AI 危険性を警告。Musk が DeepMind に500万ドル投資(「監視のため」)── シリーズ全体の真の起点
  • 2013年:Page との繰り返しの議論、買収阻止の試み(LA パーティのクローゼットからの Skype 通話)── 失敗
  • 2014年1月:Google が DeepMind を約5億ドルで買収。Musk が Safety Council に参加するも「茶番」と判断
  • 2014年春:Page-Musk「specist」事件 ── 二つの認識のOSが取り返しのつかない形で決裂
  • 2014年7-8月:Bostrom『Superintelligence』刊行 ── 哲学的言語の供給
  • 2014年8-10月:Musk「核兵器より危険」Tweet と「Summoning the Demon」MIT 講演 ── Bostrom 議論の Twitter 翻訳
  • 2014年末:Tegmark が Future of Life Institute を設立 ── 組織的インフラの完成

これらは別個の出来事ではなく、一つの線として読める。個人の不安(2012)が、私的な対立(2013-2014春)を経て、哲学的言語(2014夏)を獲得し、公的議題(2014秋)になり、組織的インフラ(2014末)として制度化されたプロセス。生成AI 14年史は、このプロセスから始まった。

そして本シリーズの分析レンズで言えば、2012-2014年に翻訳プロセスを動かしたのは、全員が演繹型認識のOSの体現者だったという事実だ。哲学的前提・物理法則・物理学的厳密性 ── 出発点は違えど、データ蓄積からの帰納ではなく原理からの演繹で動く、という思考の流派は共通していた。これは Hassabis、Altman、Amodei らが翌年以降、別の演繹的アプローチを持ち込む土壌として機能していく。

ただし、第2回を閉じる前に、最も注意深く意識しておくべき一つのねじれを予告しておきたい。

Musk に AI 危険性を最初に教えたのは、Hassabis 本人だった

2012年のカフェテリアで、Musk の滅亡リストに「AI」を加えたのは Hassabis である。Musk が AI 安全性を真剣に考え始めたのは、Hassabis の警告があったからだ。

しかし2014年、その Hassabis が、Musk が最も警戒すべき相手になった。Google 傘下の DeepMind を率いる Hassabis は、Musk から見れば「Page-Hassabis ラインの AGI 独占の中心人物」になった。

警告した者 vs 警告された者AGI を作る側 vs それに対抗する側

このねじれが、翌2015年の OpenAI 設立の心理的起源を形作る。OpenAI が設立される本当の動機は、Bostrom の哲学だけではない。2012年に Musk に AI を警告した人物が、Google 傘下で AGI を主導するという、極めて個人的な状況だった。

第3回(次回)では、その組織の誕生を辿る。Musk と Altman の出会い、OpenAI 設立、Sutskever の Google Brain からの移籍、AlphaGo の衝撃、そして2016年末の業界四強体制の確立。Hassabis-Musk のねじれは、ここで OpenAI 設立論理の中核に根を下ろしていく。

14年史の四年目、2015年。次回、組織の誕生に向かおう。



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