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【N#126】エビデンスに基づく医療④〜なぜ西洋医学は対処療法が主流になったか?〜医学部の大学院化と財団の存在

はじめに

こんにちは!東京・渋谷でロルフィング・セッションと栄養・タロットカウンセリングを提供している大塚英文です。

19世紀までの米国の医療状況〜患者本位の医療

医療では、事実(エビデンス)に基づく治療(EBM、Evidence Based Medicine)が叫ばれている。
その、事実(エビデンス)は科学に基づいて行われている。
西洋医学には「代替療法」を含めて、いろいろな選択肢を考えながら選択していくことが重要なのに、
なぜ西洋医学では「対処療法」のみが普及し、主流となっているのか?

今回は、対処療法が普及していく歴史について見てきたい。

19世紀から20世紀の初頭にかけて米国では民間医療が主流。医師は力(権威)や富もなく地位も低かった。
現在のように大学院で医学教育を行うということもなく、自分で勝手に名乗れば医師になれた時代だった。
治療を受けるか否かについては基本的に患者が選ぶことができ、患者本位の医療の仕組みに近かったとも言える。

1848年に米国医学会(American Medical Association、AMA)が設立された頃、
実に様々な「代替療法」があり、治療の選択肢も幅広かった。
例えば、ホメオパシー医学、ハーブ療法、オステオパシー、自然療法、アーユルヴェーダのような伝統的な医学・治療法等。
こちらは、いわゆる、ホリスティック(全体的)に医療を見ていくアプローチだ。

対照的に、アロパシー医学(対処療法)は、病気の「症状」を抑えることを主眼とした医学。
放射線、手術、薬を使って治療を行う。
アロパシー医学は公認の医科大学(日本では6年間、米国では学部4年間+大学院4年間)で訓練を受けた医師が行う治療だ。
外科手術と投薬に依存した治療法が主流。
「標準的」な治療法があると信じている点に特徴がある。

二つの治療の違いについては、下記の表にまとめた。

アロパシー療法 代替療法
症状を打ち消す薬、手術を施す 伝統医学(アーユルヴェーダ、ヨガ、気功、鍼治療、カイロ、オステオパシー、ホメオパシー)
技術の標準化 共通項があっても多様化されやすい
どこでも同じ標準治療が受けられる 標準的ではなく、多様的、レベルは施術者による

ロックフェラー財団が「薬」に目をつける

当時、代替療法の中で一番プラクティショナーの多かった「ホメオパシー医学」は、ドイツ人のサミュエル・ハーネマン医師が提唱。
「病気とは症状そのものであり、健康な人間に対して同じ症状を引き起こす薬をできるだけ少量投与することによって病気を治療できる」
と考える。

Wikipediaのホメオパシーによると、
ドイツ発祥のホメオパシーは、大西洋をわたり、1825年に米国にも普及。
1835年に米国で初めてホメオパシーの学校が設立。1900年には、22ヶ所でホメオパシーの学校があり、
ホメオパシーのプラクティショナーは15,000人にも及んだらしい。

1910年代以降、状況が一変する。
石油で財をなしたジョン・ロックフェラーは、1913年にロックフェラー財団を作る。
実は、世の中で普及している対処療法の薬は、
「石油を材料して人工的に作られるもの」
(低分子化合物、有機合成と呼ばれる合成法で作られる物質)
が圧倒的に多い。
薬の成果は、当時最先端で、世界をリードしていたドイツの科学成果の賜物だった。

この成果を目の当たりにして、
「石油の将来は「薬」にあるのではないか?」
可能性を感じたジョン・ロックフェラーは、対処療法の医療に目をつける。
その布石として、1901年にロックフェラー医学研究所を設立。
大学院生を受け入れ、ロックフェラー財団の支援の下「科学」研究が進んでいく。
(ちなみに、野口英世もこの研究所に所属している)

ここでの「科学」の研究は、物理・化学的に明らかになった生理学・解剖学と感染症などが明らかにする疫学(公衆衛生学)だ。
そこで、AMAとロックフェラー財団は結託し、西洋医学の基準づくりから着手。
医学部の教育制度の改革を始める。

フレクスナーレポート〜医療に基準ができる

1903年にAMAとロックフェラー財団が北米(米国とカナダ)の合計155の医学部の学校を徹底的に調査。
ロックフェラー医学研究所のアブラハム・フレクスナーが大学のランク付けをして、
フレクスナーレポート(Flexner Report)を報告。

フレクスナーレポートがきっかけとなって、科学研究(生理学・解剖学、疫学をメインとした科学が主流へ)に基づいた「医学教育」制度を北米(米国とカナダ)で整備。
普通2年間の見習い期間を経て、出来のよい機械工と同じ程度の給与しか得られなかった医師の仕組みを大幅に変更。

北米(米国とカナダ)では
1)4年間の学部教育
2)4年間の大学院の医学部教育(2年間は、解剖学・生理学、残りの2年間は臨床実習)
の合計8年間の今の教育制度に変わる。

基準を満たない場合には、ロックフェラー財団の支援が受けられず。
結果として、医学の学校も減らし(この改革により、155校から31校に減少)、医者も少数精鋭となり、権威を持つことになった。
この頃に、ハーバード、イエール、メイヨ・クリニックなどの医学部ができる。

ドイツの大学院を見本に作られたJohns Hopkins大学の医学部を理想校として、
科学研究に基づいた医学の学校を北米全土に普及させた。
一方で、
「法的に定められた医学会によって認定されていない薬を処方、販売したり治療法を施すこと」
に従う学校を科学的ではないと教育カルキュラムから追放していく。

このように、代替療法(alternative medicine)の選択肢が事実上なくなり、対処療法一択となる。

日本も第二次世界大戦後に、GHQの政策によって伝統医療(直傳靈氣等)が一掃され、米国の仕組みに組み込まれていく。

更に、1951年、連邦議会は医学の専門知識なしに、安全な薬を購入するとき、医師の「処方せん」が必要だという法律によってより、この仕組みが強化された。
このように、医療は医師の独占的な職業となりステータスも上がった。

まとめ

今回は、手短に西洋医学の歴史について、なぜ対処療法が主流なのか、についてまとめさせていただいた。
少しでも参考になれば幸いです。

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