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【P#79】アンフェタミンの登場、音楽界での使用、ADHD、スマート・ドラッグ〜刺激薬の歴史①

はじめに

東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。

今回のブログでは、3回に分けてADHD(Attention Deficit and Hyperactive Disorder、注意欠陥、多動性疾患)について取り上げる。第1回目、ADHDで使用される「精神刺激薬」の歴史、第2回目は、ADHDの診断の歴史、第3回目は、ADHD患者の脳の中で何が起きているのか?についてだ。

今回は、精神刺激薬の歴史についてまとめたい。そのためには、まずは向精神薬、精神刺激薬、鎮静薬、幻覚剤の違いについて知るところからスタートしたい。

向精神薬とは何か?〜精神刺激薬、鎮静薬、幻覚剤

脳科学の理解には、脳の中枢神経系に作用し、人間の精神活動に何らかの影響を与える薬物の総称として「向精神薬(Psychoactive drug)」の知識が必要。これらの薬によって、脳についていろいろなことがわかってきたからだ。

一方で、違法薬としてダメだ!の情報のみが発信され、なぜ、これらの薬がダメなのか?何が問題なのか?といった思考が抜けてしまっている。向精神薬の理解を深めることで、見極める目を養うきっかけとなればと思い、今回のブログの発信になればと考えている。

向精神薬には、精神刺激薬・興奮薬(stimulant、upper、アッパー)、抑制薬・鎮静薬(depressant、sedatives、downer、ダウナー)、幻覚剤(psychedelics、hallucinogen)の3種類が知られている。

抑制薬には、アルコール、ベンゾジアゼピン睡眠薬)、オピオイド(ヘロイン、アヘン、モルヒネ、フェンタニル、オキシコドン)、大麻(CBD、THC)等が知られており、オピオイドは米国で社会問題になっている点、大麻はルネサンスを迎えており、合法化に向かって進んでいること等、過去のブログで取り上げた。

幻覚剤には、LSDサイロシビンメスカリンMDMADMTが知られている。以前、米国の規制対象になり、研究ができなかったのだが、幻覚剤のルネサンスを迎えて、依存症やうつ病の治療として注目されている点、過去のブログで取り上げた。

精神刺激薬とは?〜カフェイン、ニコチン、アンフェタミン

「精神刺激薬」は、中枢神経に作用して、ドーパミン、ノルアドレナリンを活性化させる物質。精神活動を活発(アッパーと呼ぶ)にさせる。ニコチン(タバコ)、カフェイン(緑茶、コーヒー)、エフェドリン(漢方のマオウ)が知られており、別途ブログで取り上げる予定だ。

今回は、「覚醒剤」に分類されるアンフェタミン類(デキストロアンフェタミン(dextroamphetamine)、メタンフェタミン(methamphetamine、別名アイス、メス、シャブ)、アンフェタミン(amphetamine、スピード)、メチルフェネデート(methylphenidate)について取り上げる。

過去に、米国では、ADHDの治療薬として、
1)アンフェタミン+デキストロアンフェタミン(アデロール、Adderall、日本では未承認)
2)メチルフェネデートリタリン(Ritalin)、コンサータ(Concerta))
3)リスデキストロアンフェタミン(ビバンセ、Vyvance)
4)モダニフィル(モディオダール(Modiodal))
が使われていた。

現在、米国では、精神刺激薬に分類される薬以外にも、
1)アトモキセチン(ストラテラ、Strattera)(atomoxetine))、ヴィロキサンジン(ケルブリー、Qelbree(viloxazine)、日本未承認)→ノルアドレナリン再取り込み阻害薬
2)グアンファシン(インチュニブ、Intuniv(guanfacine))、コロニディン(カパヴェイ、Kapvay、日本未承認)→α拮抗薬
が使用されており、アンフェタミン類に比べ中毒性、依存性が低いと考えられている。

参考に、日本では、ストラテラとインチュニブが主に使われており、コンサータ、ビバンセは、登録している医師しか使用できず、処方制限がかかっている。

アンフェタミン類〜何が問題なのか?

アンフェタミンやメチルフェネデートは、「覚醒剤」の一つとして知られており、摂取すると、精神の「現実認識能力」が欠如することによる異常行動や、薬物依存、薬剤に対しての耐性が上がる(投与量が増える)、精神症状(せん妄)が現れる、アルコール依存、他薬剤の依存へつながる等が知られている。

アンフェタミンは、不眠、食欲減退、心拍数上昇の副作用があり、過剰摂取による依存、心血管疾患リスクも懸念されている。本邦では、1951年に「覚醒剤取締法」により法的規制を受けている。米国では、1970年に規制物質法(Substance Controlled Act)Schedule IIにアンフェタミン、メチルフェネデートが指定されている。

医師の下、ADHDとして診断され、厳格に治療薬として使用される場合は、効果を発揮する。

アラン・シュワルツの「ADHD大国アメリカ・作られた流行病」によると、
1)製薬業界による過剰なマーケティング→米国では、処方箋の必要な医薬品を広告できる
2)充分に時間をかけずにADHDが安易に診断され、治療薬が不要な人にも処方されている→ADHDと診断される子どもの数は米国で急上昇(本来5%のはずが、20-30%にまで上昇)。
3)教育熱心の親が、子どもの成績を上げるため、治療薬を勧める。
4)高校・大学で、簡単にADHDの治療薬が入手できる→学生の間で口コミで「スマート・ドラッグ」として簡単に入手、一夜漬け、集中し、成績を上げるために使用。
5)超競争社会で成果を上げるために、運動選手、プログラマーが精神刺激薬を服用する
等、精神刺激薬が適正に使用されていない点、社会問題になっている。

そこで、今回は、アンフェタミン、メチルフェネデートの歴史、次回は、ADHDの歴史について、アラン・シュワルツの本を参考にまとめていきたい。

精神刺激薬の発見〜日本の研究者の貢献

1885年、日本人の薬学者・東京帝国大学の長井長義教授が、麻黄からエフェドリン成分を発見し、気管支喘息の患者の呼吸困難の治療薬や、交感神経興奮効果として注目された。その流れで、1888年には、メタンフェタミンの合成に成功する。当初、「覚醒作用」や「依存性」は発見されなかった。

1929年、製薬会社のSmith Kline and French社(SK&F、現GSK)でアレルギー性疾患の薬を開発していたゴードン・アレス(Gordon Alles)博士は、アンフェタミンの合成に成功する。

1929年6月にアレス博士は、50mgのアンフェタミンを自己注射。研究日誌には、注射後、数分で「強い幸福感」を得て、気に入った!と。1時間後には、幸福感があるが動悸があって寝れない、次から次へと考えが思い浮かぶこと等を記載している。

1930年代にSK&Fは、吸入器ベンゼドリン(Benzadine inhaler)として発売。吸入型で鼻腔がスッキリする薬だった。「気分を良くする」「高揚感がある」といった効果があったことから、急速に欧米諸国で広まっていく。

アンフェタミンと戦争、兵士

1936年、ベルリンオリンピックで米国選手が使用したベンゼドリンの効果が注目されると、1937年には、メタンフェタミン(methamphetamine)の「ペルビチン(Pervitin)」が発売。ドイツ全土に広まったが、スポーツ選手のみならず、主婦層にもダイエット薬として普及していく。

第二次世界大戦が勃発した時、ドイツ軍医が士官候補生にベンゼドリンを投与。当然の如く、候補生は気に入ったが、撃墜したドイツ軍機から英国軍は薬を発見。ドイツ軍の活躍がベンゼドリンによるのではないかと考えた。英国と米国はこの薬を研究。士気向上、疲労回復の目的で使用された。

日本では、ドイツで開発されたメタンフェタミンのコピー品として「ヒロポン」を含め製造され、戦争中の勤労状態や工場の能率向上のために積極的に使われた。

戦後、軍部が保有していたアンフェタミン類の医薬品が民間の放出。非行少年、売春婦の乱用、精神病、中毒者も報告され、日本では段階的に法規制が入る。1951年に覚醒剤取締法が制定される。

音楽界とスポーツ界、抗肥満薬としての使用

海外では、ベンゼドリン(やデキストロアンフェタミン(デキセドリン(dexedrine)))は、抗うつ薬、肥満薬、無気力な患者に対して使用された。様々な危険性が指摘されるようになり、FDAは、1959年にベンゼドリンの販売を禁止するが、使用量が減ることがなかった。

ミュージシャンの世界でも広まり、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)(ジャズ)や、ビートルズもデビュー前のハンブルグのクラブでライブを行うために使用していた。

一般の人もかかりつけ医師からアンフェタミンを入手可能で、ケネディ大統領の医師の一人、Max Johnsonは、積極的に有名人にアンフェタミンを処方していく。ビートルズの「ドクター・ロバート」は、ロック歌手や有名人にアンフェタミンを処方した実在の医師(ロバート・フライマン)をモデルとした曲だったと言われている。

1960年、ローマオリンピックで、アンフェタミンを使用したデンマーク人の自転車選手が競技後、死亡する事故が起き、ドーピング防止策が進められるようになる。アンフェタミンは1974年に禁止薬物に指定される。

アンフェタミンを規制物質法に指定

ネットフリックスの「ティク・ヨア・ピル(Take your pill)」の1960年代にアンフェタミンの処方量が多くなった(米国民1人当たり50錠が生産された)ことを紹介している。

1970年、米国政府が「規制物質法(Substance Controlled Act)」を制定。アンフェタミン類を含めた「精神刺激薬」はSchedule IIに指定され、規制が強化された。1969年、80億錠が流通していたが、1972年には、4億錠にまで減少することになる。

まとめ

ADHDの治療として使われるまで、アンフェタミン類の処方量は減ったままだった。なぜ、その後再び増え、現在の社会問題に発展したのか?今回は、アンフェタミン類の歴史について紹介したが、次回はADHDについてまとめたい。

このブログは情報提供に終始しています。医療的な相談を受ける場合には、必ず医師に相談してください。

少しでもこの投稿が役立つことを願っています。

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