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【P#67】幻覚剤の歴史④〜MDMA、幻覚剤の臨床開発の仕組み、セラピストの心構え

はじめに

東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。

幻覚剤の歴史については、LSDサイロシビンメスカリンについて取り上げた。今後は、MDMA、DMTを取り上げる予定だ。今回は、化学合成による幻覚剤(注、幻覚剤と分類しない専門家もいる)の一つ、MDMA(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン、3,4-methylenedioxymethamphetamine)について紹介したい。

MDMAの合成・再発見〜アレクサンダー・シュリゲン

1912年、ドイツのメルク社が抗凝固薬として開発を進めていく中で、MDMAを合成。特許も取得されたが、その後会社の関心を引かずに、そのまま放置されていた。

元ドール・ケミカル(Dole Chemical)社で研究していたアレクサンダー・シュリゲン(Alexander Shulgin)がMDMAを再発見する。シュリゲンは、幻覚剤を100種類以上、化学合成。幻覚剤を自分で試し、複数の仲間と共に試し、評価法を確立。論文報告していく模様を、妻のAnn Shulginと共著で「PIKHAL(日本語未邦訳)」にまとめている。

シュリゲンは、MDMAを、心理学者で幻覚剤に造詣の深いレオ・ゼフ(Leo Zeff)に紹介し、ゼフもその効果に衝撃を受け、ゼフを介して、臨床利用が米国全土に広がる。

セラピーの使用方法の確立〜レオ・ゼフ

マイケル・ポーランの「幻覚剤は役に立つのか (How To Change Your Mind)」によると、ゼフは、幻覚剤が禁止される以前に活動していたセラピストの一人。非合法になった後、地下ガイドとして活動。3,000人に対して処置し、150人のセラピストを育てたそうだ。

ゼフは、49歳のユング派のセラピストとして活動していた頃(1961年)、100マイクログラムのLSDを体験。体験に衝撃を受け、自分のセラピーに取り入れるようになる。MDMAを含め取り入れ、患者さんが一回のセッションで、心の壁を壊し、無意識に埋もれたものを表面化させ、成果を上げる。

一方で、LSDやサイロシビン同様、市民にもMDMAが広まる。エクスタシーという名で広がっていくと、神経系に害を及ぼすのではないかという動物実験の結果も報告されるようになる(このデータは嘘であることが後に判明)。1970年に米国政府が使用を禁止する決意をする。

ゼフは、MDMAの必要性を感じ、地下で長きにわたって地下で活動するようになる。ゼフは、長いキャリアを通じて、地下セラピーの手順を成文化。患者と交わすべき「同意事項」「他言の厳禁」「性的接触の禁止」「セッション中はセラピストの指示に従う」「薬は小杯で与える」等、儀式的な要素を加える。

しかも、ガイド自身が、自分が処方する薬を試してみなければならないこと、方向や目的地は、自然に任せた方がいい、ガイド役は客観性の仮面を外し、自分を曝け出すこど等も伝えたという。

何と、ジョンズ・ホプキンズ大学を含めた研究機関で幻覚剤の研究が再開された後、新人のガイドを育成するために優秀な地下のガイドが雇われたそうだ。

幻覚剤のFDA承認プロセスの確立〜リック・ドブリン

ゼフによってクチコミで広がったMDMAは、リック・ドブリン(Rick Doblin)に伝わる。1953年、ニューヨークに生まれたドブリンは、Tom Shroderの「Acid Test(日本語未邦訳)」による自由な校風だったらしいニュー・カレッジ・オブ・フロリダに入学。幻覚剤を自由に使える環境下で、LSDを体験することができた。

1982年にMDMAに出会い、幻覚剤のセラピストが天職ではないかと思うようになり活動を開始。残念なことに、MDMAは、1985年に禁止薬物の指定を受けたことから、連邦法を変えないと夢が実現したいと悟る。すごいのは、そこでハーバード大学ケネディスクールで公共政策を学んで博士号を取得したことだ。

米国の審査当局のFDAの薬物承認のプロセスの仕組みを学び、熟知すると、幻覚剤承認までの道筋を博士論文としてまとめた。現在、サイロシビンやMDMAの審査は、ドブリンが確立した手順に従って、進めている。

ドブリンは、宗教の各宗派の争いをおさめるには、人と人とを隔てる障壁を壊して共感を育てるMDMAを世界中のリーダーたちに送るのが一番と考え、実行している。

1986年、ドブリンは、自分の活動を組織化するためにMAPS(Multidiciplinary Association for Psychedelic Studies)を立ち上げた。政府のお金ではなく、寄付30年にもわたる紆余曲折を経て、臨床試験を実施するためのFDAの許可を得ることに成功。

ドブリンは、2000年に運命的な出会いを果たす。サウスカロライナ州在住の精神科医でPTSDの専門家のMichael Mithoeferと看護師のAnn Mithoeferとの出会いだ。

彼らとの運命的な出会いにより、ドブリンは、幻覚剤の臨床試験を進めていくことになる。参考に、MAPSは、小規模な臨床試験に資金援助。MDMAがPTSDの治療に役立つことを明らかにしている。臨床試験はPhase IIIを終え、ネーチャーメディシン(2023年9月13日号)に報告している。

基本、1名の患者に対して、2名のセラピストで対応。目隠しをし、音楽をかけながらセッションを進めていく。セラピストは1,000時間に及ぶトレーニングを経て認定を受ける。全米で300人近いセラピストが認定を受けているが、将来25,000人を目指すとのことだ。

米兵が抱えるPTSD〜後遺症と自殺

Tom Shroderの本には、20年前(2004年)のデータが紹介されている。一般的に、退役兵(Veterans)が政府から補償を受け取るのに申請する疾患として、身体障害よりもPTSDの方が、7倍の速さで増えているそうだ。20万人以上の退役兵が43億ドル(約6700億円)の支払いを受けることになる。

しかも、ベトナム戦争から帰還後にPTSDによって苦しんでいる人は、30年経っても未だに苦しんでいる人もいて、イラク、アフガニスタンの戦争と合わせて、PTSDを含む精神疾患を抱えた患者数は130万人にも及び、23人/日の割合で自殺を図っている。米軍の予算を圧迫する可能性がある。

そのような状況でも、MAPSがMDMAの臨床試験を行っていく上で必要な1000万ドル(約11億5000万円)の予算のなかに、米軍から一切支給されていないのは、本当に驚くべきことで、MAPSが如何に、国家に頼らずに進めていたという気概を感じる。

今後、MDMAの臨床試験の進捗に期待したい。

MDMAの作用機序〜セロトニンとドーパミンを上げる

スタンフォード大学医学部のAndrew Huberman教授のポッドキャストの「The Science of MDMA & Its Therapeutical Uses」は、非常にわかりやすくMDMAの作用機序について説明している。

MDMAは、3,4-methylenedioxymethamphetamineの略だが、名前の中に「メタアンフェタミン(methamphetamine)」が含まれている。日本ではヒロポンとして有名なメタアンフェタミンは覚醒剤の一つ。第二次世界大戦に日本軍に対して「疲労回復」や「眠気解消」を目的に使用されていた。

メタアンフェタミンは、強力にドーパミンを上げる作用があり、大脳の中枢の興奮作用があり、覚醒する作用がある。依存症があるため、覚醒剤取締法の一つに指定されている。このため、一見MDMAは覚醒剤なのではないかと思うかもしれない。

興味深いことに、MDMAには幸福感を出すセロトニンを上げる作用がある。ドーパミンとセロトニンという2つの作用があるおかげでMDMAの特徴である、多幸感や、他者との共有感といった意味での作用をもたらすことが知られている。

このような作用を示すため、ほとんどの専門家は、MDMAを幻覚剤と分類するのではなく、内なる神を体験する言葉から由来する「エンセオジェン(Entheogen)」と呼ぶことが多い。

まとめ

今回は、化学合成によって作られた幻覚剤(注、幻覚剤と分類しない専門家もいる)の一つ、MDMAについて紹介した。今後、PTSDの治療薬として承認される日が来ることが予想され、引き続き注目していきたい。

少しでも、この投稿が役立つことを願っています。

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