【J#101】鶴見神社・總持寺を訪れて〜曹洞宗の大本山、貝塚、三島由紀夫さん
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はじめに
東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。
2024年4月14日(日)、横浜市鶴見へ。三ツ池公園、鶴見神社と總持寺へ。最高気温が22度、快晴という、快適な天気で、面白かったので、ブログにまとめたい。
トレッサ横浜で昼食+三ツ池公園へ
現在住んでいる綱島の家から、ショッピングモールの「トレッサ横浜」へは、徒歩10分でアクセスできる。より近くには、ショッピングモールの「アピタテラス横浜綱島」があるが、トレッサの方が大きく、大きな買い物やアピタテラスで見つからないものはトレッサで済ませることが多い。
トレッサ横浜で昼食を済ませた後、港北バス(トレッサ横浜前・バス停)を使って三ツ池公園に向かった。横浜市に引っ越してから、1年3ヶ月が過ぎるが、バスの利便性が高い。綱島と鶴見を結ぶバスの路線が充実しているというのもあるのでしょう。渋谷区に住んでいた頃に比べ、移動手段としてバスを使う頻度が高まっている。
公園では、旧友に会う機会があり、驚いたが、妻・亜希子は鶴見で生まれ育ったこともあり、公園を散策して懐かしいという印象を感じていた。思いの外、公園の敷地は大きく、自然を満喫するのに適した場所だと感じたが、休日(日曜日)だったため、人で賑わっていた。
横浜最古の鶴見神社〜貝塚、三島由紀夫さん
三ツ池公園に1時間半滞在後、港北バスで、鶴見駅へ移動。徒歩圏内にある「鶴見神社」を参拝した。妻・亜希子の産土神である神社は、川崎・横浜の間の最古の神社として知られている。
昔は、杉山神社(杉山大明神)と呼ばれ、境内は五千坪の敷地を有していたそうだ。推古天皇の時代(1400年以上前)に建立。1920年(大正9年)には、名前が鶴見神社に変わる。あの有名な源義経も参拝したことのある由緒ある神社。神社に来て最も印象に残ったのが「紋章」。「鶴」のデザインが可愛い。
鶴見神社・本殿の裏には、縄文時代の貝塚遺跡がある。更に、古墳時代には土器も造られ、神社が建立する前に、祭事としても使われていたそうだ。
三島由紀夫さんとのゆかりも深い神社として知られている。若かった時代の三島さんは、バー「仔馬」の常連。三島さんは、経営者の大塚孝治さんと仲良く、ご子息さんの名付け親となったそうだ。このようなご縁があったため、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決後の40年祭で鶴見神社内に「清明宮」が建立されたのことだ。
次に、曹洞宗の大本山・總持寺へ移動した。
曹洞宗の大本山・總持寺
私の墓地は、世田谷区の豪徳寺にある。豪徳寺の流派は、曹洞宗。曹洞宗の大本山は、福井の永平寺と鶴見の總持寺の2つ。前者は、2001年8月に訪れたことがあるが、まだ後者は訪れたことがなかった。せっかく、鶴見駅まで来たので、最後は、總持寺へ参拝することにした。
歴史的には、道元禅師(「高祖(こうそ)」と呼ぶ)が、中国から日本へ仏教の教え(曹洞宗の考え方)を伝え、四代目の瑩山禅師(「太祖(たいそ)」と呼ぶ)が、日本全国に広めた。このため、この二人が曹洞宗の祖として知られている。2024年4月で瑩山禅師の700回忌にあたり、様々なイベントが開催中での参拝となった。
道元禅師は、福井の永平寺に総本山を建立し、四代目の瑩山禅師は、石川県能登の門前町にあったお寺を譲り受け「總持寺」と改称。1898年の火災で消失したのを機に、1911年、横浜市鶴見区へ大本山を移転し、現在に至っている。
大本山だけあって、境内は広いし、自然も豊か。全て歩こうと思ったら1時間以上かかるぐらいの距離感。修行僧が掃除をしている姿があったが、いくら掃除しても掃除しきれない広さを体感。個人的には、三ツ池公園よりも、居心地良さを感じることができた。
まとめ
綱島に引っ越してから、神奈川県内の主要な神社仏閣には行くようにしている。今回は、鶴見神社、總持寺を中心に散策したことを中心にまとめさせていただいた。