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【B#260】 宇宙飛行士とMission Controlが作った「人材採用基準」〜アポロ計画③

はじめに

渋谷を拠点に、ロルフィング®やコーチング、タロット、脳活講座を行き来しながら、考えること・感じること・身体感覚(肚・丹田)が、自然にひとつの判断としてまとまっていく状態を取り戻すための場をつくっている大塚英文です。

私は毎年の年初、読書の年間テーマを決める。2026年は「宇宙開発」と「中世仏教」にしている。

宇宙開発の中でも「アポロ計画」のことは、現在の「宇宙開発」を知る上で、重要だと思う。

今まで、
「どのようにして国家主導でプロジェクトが運営され、成功の秘訣はなんだったのか?」
「どのように宇宙船をデザインしたのか?」
の2つの視点で、アポロ計画についてまとめてきた。

今回は、

「誰を宇宙に送るのか?」

そして同時に、

「誰に、地上で判断させるのか?」

というアポロ計画の本質的な問いからブログをまとめていきたい。

なぜ「誰を選ぶか」が、アポロ計画の核心だったのか

アポロ計画は、単なる技術プロジェクトではなかった。それは国家規模の意思決定実験に近い。未知の領域に人間を送り込み、生還させる。そのために必要なのは、技術そのものよりも、不確実性の中で判断できる人材だったと言っていい。

ロケットは設計できる。だが、未知の状況でどう振る舞うかは、設計図だけでは決まらないからだ。

不確実性を扱える人間とは何か

1950年代末、宇宙飛行のリスクは想像を絶していた。無重量環境で人間は意識を保てるのか?放射線はどの程度影響するのか?再突入時の熱とG(重力)に人間は耐えられるのか?医学的にも、心理的にも、データはほとんどなかった。

つまりNASAは、「正解が存在しない問い」に挑んでいたのである。

このとき求められたのは、完璧な人間ではない。未知の状況でパニックを起こさず、冷静に観察し、状況を報告し、必要なら即断できる人間だった。この「未知を扱う態度」こそが、のちにTom Wolfe(トム・ウルフ)が “Right Stuff” と表現した文化の中核になる。

人材設計は、フェーズごとに変わっていく

マーキュリー計画の初期では、「まずは生きて帰る」ことが最大目標だった。そのためには、危険な実験環境に慣れている人材が必要だった。

アポロ計画では違う。

  • 月軌道への飛行
  • 月面着陸
  • 複雑なドッキング操作
  • 科学観測
  • 長期ミッションの運用

計画が進むにつれ、必要な能力は増えていった。つまりNASAは、固定された理想像を求めたのではない。
フェーズごとに理想像を更新していった。
この柔軟性が、アポロ成功には必要とされた。

「宇宙飛行士」だけではない

もう一つ重要な点がある。宇宙飛行士ばかりが注目されるが、実際にアポロを成功させたのは、ヒューストンのMission Controlだった。宇宙飛行士が現場で判断するのは事実だが、彼らの背後には、何百人ものエンジニアとフライトコントローラがいる。

そしてこのMission Controlもまた、ゼロから設計された職業だった。

  • 前例はない
  • マニュアルも存在しない
  • 失敗は国家的危機になる

だからこそ、宇宙飛行士と同様に、地上側の人材設計も戦略的に行われた。結局、アポロ計画は「技術の勝利」であると同時に、人材設計と組織文化の勝利でもあったという点であるを強調したい。

マーキュリー7 ― 宇宙飛行士という制度を設計した瞬間

前述のように、アポロ計画の核心は「技術」ではなく「人材設計」にあった。その出発点が、1959年のマーキュリー7選抜である。しかしこれは単なる採用ではない。それは、「宇宙飛行士とは何か」を国家として定義する行為だった。

そしてその制度設計に決定的な影響を与えたのが、当時のDwight D. Eisenhower(ドワイト・アイゼンハワー)大統領である。

アイゼンハワーの決断 ― 軍人に限定せよ

NASA内部では、民間パイロットや科学者も候補に含める案があった。その中、アイゼンハワーは明確に方針を示した。宇宙飛行士は軍のテストパイロットに限定する。この決断は、技術的判断というより政治的判断だった。

理由は3つある。

冷戦下のリスク管理

宇宙開発はソ連との国家競争の最前線だった。失敗すれば国際的屈辱となる。

軍人であれば、

  • 機密保持が徹底され
  • 組織的統制が可能で
  • 国家への忠誠が明確である

国家として説明責任を負いやすかった。

極限任務への心理的適性

テストパイロットは、すでに

  • 未知の機体を飛ばし
  • 不具合を前提にし
  • 死亡リスクと隣り合わせで仕事をしていた

宇宙飛行は実験であり、成功が保証された任務ではなかった。民間人よりも、軍の試験文化に慣れた人材の方が適していると判断された。

管理可能な母集団

軍のテストパイロット学校修了者は人数が限られている。履歴も明確で、評価体系も整っている。アイゼンハワーは、未知の挑戦を“制度的に管理可能な枠”に収めた。

マーキュリー計画の宇宙船が人材を規定した

マーキュリー宇宙船(カプセル)は極端に小さい。

  • 身長制限(約180cm以下)
  • 年齢制限
  • 体重制限

つまり理想像から人を選んだのではない。宇宙船の物理制約が人材像を決めた。この時点で宇宙飛行士は、冒険家ではなく、国家実験の構成要素として設計されている。

Lovelaceクリニック ― 人体を“宇宙仕様”に定義する

医学的選抜を担ったのがLovelace Clinic(ラブレース・クリニック)である。

ここでは常識外れの検査が行われた。

  • 高G遠心機試験
  • 感覚遮断実験
  • 極端な温度環境
  • 精神的耐性テスト

宇宙空間で人体がどう反応するか分からない以上、強い人間ではなく、壊れかけたときに冷静でいられる人間が求められた。ここに“Right Stuff”の原型がある。

“Right Stuff”とは何か

作家Tom Wolfeが後に名付けた “Right Stuff”。それは勇気ではない。感情を誇示しない冷静さである。

  • 危険を語らない
  • 恐怖をドラマ化しない
  • 状況を最優先する

これはテストパイロット文化そのものだった。NASAは、この文化を宇宙に持ち込もうとした。

女性が排除された理由 ― 制度設計の帰結

Lovelaceは後に女性パイロットにも同様の試験を行った。いわゆる「Mercury 13」である。しかし彼女たちはNASA宇宙飛行士にはなれなかった。

理由は、

軍のテストパイロット経験が条件だったからである。

当時、女性は軍のジェット戦闘機部隊やテストパイロット学校に入れなかった。能力の問題ではない。制度設計が排除していた。宇宙開発は技術史であると同時に、社会制度史だと捉えると理解できる。

米国とソ連 ― 二つの宇宙飛行士像

AstronautとCosmonautの違い

ここで視野を広げる。米国がテストパイロット文化を宇宙に持ち込もうとしたのに対し、ソ連はより早い時期から、宇宙船側の自動化を前提に、別の人材像を作っていった。

ソ連が1960年に20名規模の最初の候補者から訓練を進め、重点メンバーを1960年2月25日までに秘密裏に絞り込んでいった。Vostok programでは自動制御が中心であり、宇宙飛行士は監視者の役割が強かった。

選抜基準は、

  • 男性
  • 若年
  • 小柄
  • 軍パイロット

米国と同様に軍出身だが、制度設計の思想は異なる。

まとめるなら、

米国のastronautは、操縦・試験・運用の文化を背負った“前線の運用者”であり、ソ連のcosmonautは、国家システムの一部として最適化された“搭乗者”だった。もちろん個人は多様である。しかし制度設計の思想として、この対比が見えてくる。

制度が未来を決める

この思想の違いは、後の歴史で象徴的に現れる。

アポロ11号でNeil Armstrongが手動で着陸地点を変更した判断。もし宇宙飛行士が「搭乗者」として設計されていたなら、この瞬間は存在しなかったかもしれない。制度設計は、人間の振る舞いの可能性を決める。

アポロ計画で、宇宙飛行士像はどう進化したのか

さて、マーキュリー7(Mercury 7)はアイゼンハワーの政治判断のもと、軍テストパイロット中心で制度化された。アポロ計画を目指す過程で、そのモデルは更に拡張されていく。

まずは全体像を整理する。

宇宙飛行士選抜の変遷(Group 1〜5)

グループ通称主な条件・特徴宇宙飛行士像
Group 11959Mercury Seven軍テストパイロット限定、身長制限、工学素養国家実験の前線に立つ軍エリート
Group 21962New Nine民間パイロットも対象、工学能力重視運用+技術議論が可能な操縦者
Group 31963The Fourteenテストパイロット必須要件緩和柔軟な飛行経験+システム理解者
Group 41965Scientists博士号取得者採用実験対象から実験者へ
Group 51966Original 19大量採用、バックアップ制度前提チーム型・高度専門職へ

この表から見えてくるのは、単なる人数増加ではない。宇宙飛行士という職業そのものの進化である。

Group 1(1959) ― 制度の原型

マーキュリー7は、宇宙飛行士を

軍のテストパイロット
未知に耐える心理安定性
国家実験の前線担当者

として定義した。ここでは「Right Stuff」文化が制度化された。宇宙は航空の延長線上にある、という発想だった。

Group 2(1962) ― 拡張の始まり

アポロに向け、NASAは工学能力をより重視する。

民間テストパイロットも対象に含まれ、
宇宙飛行士は単なる操縦者から、
技術議論に参加できる存在へと広がる。

Group 3(1963) ― 柔軟化

テストパイロット学校修了が絶対条件でなくなる。重要なのは「制度の固定化」を避けたことだ。NASAは理想像を守るのではなく、ミッションに合わせて更新した。

Group 4(1965) ― 科学者の導入

博士号取得者を採用。アポロは月面探査という科学ミッションでもあった。

宇宙飛行士は、操縦者、研究者、観察者という三位一体の存在へと変化する。

Group 5(1966) ― システム内の専門職

大量採用により、バックアップ制度が整備される。宇宙飛行士はもはや孤高の英雄ではない。チームの一部として最適化された専門職へと進化する。

要は、NASAは、理想像を守る組織ではなく、ミッションに応じて理想像を更新する組織だった。それがアポロ成功の重要な一因となる。

Mission Control ― 宇宙飛行士以上に重要だった「地上の頭脳」

宇宙飛行士は目に見える英雄である。しかしアポロ計画を成功させたのは、宇宙空間よりもむしろ地上だった。ヒューストンのMission Control。そしてその設計者がChris Kraftである。

もし宇宙飛行士が「前線の運用者」だとすれば、Mission Controlは「判断の中枢神経」だった。

宇宙よりも未知だったのは「運用」

ロケットは理論があった。軌道力学も計算できた。

しかし、有人宇宙飛行をリアルタイムで運用する職業は存在しなかった。

  • どのタイミングで誰が判断するのか
  • 宇宙飛行士と地上の権限はどう分けるのか
  • 異常時の責任は誰が負うのか

前例はゼロだった。ここでクラフトが行ったのは、単なる採用ではなく、文化の創造だった。

なぜ若く、未経験だったのか

クラフトは、経験豊富な管理職ではなく、

  • 若いエンジニア
  • 航空試験出身者
  • 実務経験はあるが宇宙経験はない人材

を中心に集めた。

なぜか。

答えはシンプルである。前例に縛られていないから。宇宙運用という仕事は、航空の延長ではあったが、同じではなかった。既存の航空管制モデルをそのまま持ち込めば失敗する。だからクラフトは、新しい仕事を、新しい頭で設計するという選択をした。

コンソールとは何か?

Mission Controlの写真を見ると、横一列に並ぶ長い机と、正面の巨大スクリーンが目に入る。しかし本質は、その机の一つ一つにある。それが「コンソール(console)」である。

コンソールとは、単なる机ではない。それは特定の専門領域を担当する判断席である。

例えばアポロ計画時代の代表的なコンソールには、次のような役割があった。

  • FIDO(Flight Dynamics Officer)
    軌道計算を担当。宇宙船の位置・速度・軌道修正を管理。
  • GUIDO(Guidance Officer)
    誘導・ナビゲーション・コンピュータを監視。
  • EECOM(Electrical, Environmental and Consumables Manager)
    電力、酸素、温度、生命維持系を管理。
  • CAPCOM(Capsule Communicator)
    宇宙飛行士との唯一の公式通信窓口(通常は宇宙飛行士経験者)。
  • RETRO(Retrofire Officer)
    地球帰還軌道の計算と逆噴射タイミングを管理。

各コンソールは、担当領域においては絶対的専門家である。しかし、最終判断を下すのは中央のChris Kraftが担ったFlight Directorだった。

Flight Directorという役割の発明

クラフトが確立した「Flight Director」は、

  • 最終判断者
  • 全コンソールを統括
  • ミッションの成功と失敗の責任を負う

という明確な権限構造を持った。

これは重要だった。判断が分散すれば、混乱が生まれる。宇宙では一瞬の遅れが致命傷になる。クラフトは、「誰が決めるか」を明確にした。

Tough and Competent と若者文化

Mission Controlの文化は、後に「Tough and Competent」と表現される。感情的にならず、議論は徹底的に、しかし最終判断には従う。この文化は、テストパイロット文化とは似て非なるものだった。

宇宙飛行士は個人の冷静さが求められた。Mission Controlは、チームとしての冷静さが求められた。

当時のフライトコントローラの多くは30代前半だった。

経験不足ではなかったのか。

むしろ逆である。

  • 数学に強い
  • 計算に強い
  • 新しいコンピュータ技術に適応できる

アポロは、デジタル時代の始まりだった。若い世代は、コンピュータとの協働に抵抗がなかった。ここに世代的優位があった。

宇宙飛行士との役割分担

NASAは意図的に役割を分けた。

宇宙飛行士は前線の判断者。Mission Controlは全体最適の判断者。

この分離があったからこそ、アポロ11号の着陸時に

Neil Armstrong

は手動で判断を下し、同時に地上は全体状況を把握し続けられた。もし権限が曖昧だったなら、あの着陸は成立しなかった。

人材設計という視点から見ると

宇宙飛行士の選抜が「前線の能力設計」なら、Mission Controlの設計は組織の神経系設計だった。

  • 若く
  • 優秀で
  • 前例に縛られず
  • 最終責任を引き受ける文化を共有する

クラフトは、人材を集めたのではなく、判断の文化を設計したと言って良い。

まとめ

アポロ計画の成功は、三層構造に支えられていた。

① 宇宙飛行士の進化
② Mission Controlの役割分担設計
③ 明確な責任と決断権の配置

月へ行ったのはロケットではない。制度である。アポロ計画は、技術が完璧だったから成功したのではない。失敗がなかったからでもない。

NASAは、失敗が起こる前提で制度を設計した。

  • 前線と地上を分け
  • 権限を明確化し
  • 人材像を更新し続けた

これは宇宙史にとどまらない。組織論であり、経営論であり、国家設計論である。

宇宙開発を語るとき、私たちはロケットに目を奪われる。しかし本当に学ぶべきは、

未知に挑むとき、誰を選び、どう役割を分け、誰に決断させるのか。

アポロ計画は、その問いへの一つの完成形だった。

それは、人間の能力の勝利というより、人間をどう配置するかの勝利だったと言っていいでしょう。

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