【B#230】「古代ゲノム研究の人類学からみる、我々はいつから人間なのか」のセミナーを拝聴して
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はじめに
こんにちは。渋谷でロルフィング・セッションと脳科学をベースにした講座を提供している大塚英文です。

2025年10月15日(水)の午後6時半から都内で安川新太郎さん主催で行われたセミナー(BRAIN WORKOUT EXTENSION)に参加してきたので、ご報告させていただきたい。
BRAIN WORKOUTとの出会い
2025年9月21日、都内で開催されたアインシュタインのドキュメンタリー動画(NHKスペシャル・アインシュタイン・ロマン)の上映会に参加した。そこで、安川新一郎さんと出会った。安川さんの私塾の参加者が大半だったのだが、一人一人が素晴らしい質問を投げかけていた。
そこで、安川さんの「BRAIN WORKOUT」を手に取って拝読。人類の脳の進化を「6つのモード」に整理し直し、知能のアップグレードを語っている点、非常に面白く学びも深かった。

会が終わった後、安川さんとのやりとりの中で、2025年10月15日(水)から、BRAIN WORKOUTをテーマにしたセミナーを開催することについて、ご案内いただいた。
このセミナー(BRAIN WORKOUT EXTENSION「人間知性(HUMAN INTELLIGENCE)の探究」)は、全6回(2025年10月〜2026年3月)で構成され、BRAIN WORKOUTで取り上げた各テーマ(運動、睡眠、瞑想、対話、読書、デジタル)に各界の有識者を招いて迫まるらしい。
幸運なことに初回のスケジュールが空いていることわかり、急遽、2025年10月15日の初回のセミナーに参加することにした。テーマは人類学。東京大学大学院理学研究科生物科学専攻ゲノム人類学研究室の太田博樹教授を招いた講演会で、テーマは「古代ゲノム研究の人類学からみる、我々はいつから人間なのか」だった。
今回は、セミナーの内容を中心にまとめたいと思っているが、その前、私自身が人類学の興味を持っているのか?から始まり、太田教授の本の紹介、DNAシークエンサーの歴史、そして最後にセミナーの内容へと進めていきたい。
「サピエンス全史」と人類学の発展
私は、ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)の「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」を繰り返し拝読していく中、
「人間は、どこから来て、いかにして現在に至ったのか」
について、科学的(人類学)な視点から、どこまでサピエンスについて明らかになっているのか?興味を持つようになった。
私は、2001年3月、大学院で博士号(PhD)を取得(専門分野が分子免疫学)。現代の人類学は、分子生物学的な方法を取り入れた研究が全盛を迎えている。
一方で、フィールドワークを行う人類学にも興味があったので、昨年(2024年)には人類学をテーマに、集中的に本を読む機会を作った。

篠田謙一著の『人類の起源』では、
- 歩いて広がる力」
- 脳の容積の変化ー他者とつながる力
- 多様性を受け入れる柔軟性
の3つの視点から、サピエンスの歴史を知ることができた。
ディヴィド・グレーバー著・ディヴィド・ウェングロウ著の「万物の黎明」では、ハラリの「サピエンス全史」が語っていた一直線上の物語のように人類の歴史が歩むことなく、考古学的な例外の史跡が多く発見されているという事実が紹介されていた。

古代社会で、都市運営を行う際には、ヒエラルキーがなく、平等社会が実現していたこと。農耕の技術はすぐに受けいられたのではなく、数千年の年月を経て、天才ではない、普通の人間たちによって徐々に取り入れられてきたこと。女性が重要な役割を果たしていたこと等、いまだに解明できていないことの多さにびっくりだった。
サピエンスについてわからないことだらけなんだというのを改めて認識。人工知能と人間の違いを知る上で、今後とも人類学は注目されると思うが、今後、人類学の解明を通じて、人間の特徴についてより明らかになることが期待できると思っている。
さて、今回、人類学の教授のセミナーを拝聴するのは初。そして、太田教授とも初対面。そこで、研究内容を事前に知りたいと思ったので「古代DNAから見たサピエンス史」を手に取ってから臨むことにした。
「古代ゲノムから見たサピエンス史」(太田博樹教授の本)

古代ゲノム学の誕生
この本は、化石や形態学でしか語ることのできなかった人類学が、分子生物学の解析技術が大幅に進んだことで、古代DNA(ancient DNA)=古代ゲノム学の誕生したこと。そして、考古学的な知見と結びつくと、サピエンスの歴史がどのように見えるのか?等に迫った一冊になっている。
最新の成果を取り上げているが、分子時計、DNAの構造、ゲノム、遺伝子といった基礎用語をしっかりと説明した上で、ネアンデルタール人、デニソワ人の全ゲノム配列の解明及び成果の意義。なぜ、縄文人のプロジェクトを立ち上げたのか?を含めわかりやすく説明している。
マックスプランク研究所の組織文化
個人的には、太田教授が、2022年のノーベル医学・生理学賞を受賞したマックス・プランク協会・進化人類学研究所(以下、エヴァ)のスバンテ・ペーボ(Svante Pääbo)教授の研究室に2年間留学したという体験を本にしているところが面白かった。その体験記。
本に研究室の雰囲気についてまとまっているので、一部引用したい。
ドイツにある大学は、全て国立大学であるが、マックスプランク研究所は、いかなる大学からも独立している。スクラップ・アンド・ビルド方式といって、成長めざましい研究分野には、巨額な投資をし、また成果の出ない研究所は、迅速に潰してしまうか、縮小し、将来性のある別の分野と合併させ、新しい研究所を創設する。
ペーボ教授が属していたマックスプランク研究所は、上記の組織の文化の元で古代ゲノム学が発展させていく。太田教授によると、マックスプランク研究所の予算が協会全体として年間二兆円を越える予算がつく。参考に、現代の日本の研究体制の規模では想像できない金額だ。
しかも、若い研究者を「幹部候補」として、育成する仕組みが確立されている。例えば、エヴァでは、大学院生やポスドクも、一人に一つの居室が与えられている。驚くべきことに、大学院生の実験には、それをサポートする技術者が、少なくとも一名、付いていたという。
私も院生の経験があるが、日本では、大学院生が学費を支払い、奨学金を得ることも狭き門で、たいて大人数で一つの部屋を居室で研究することが強いられるのだ。エヴァに集まってくる若者たちは、失敗のリスクをかえりみず、素晴らしい環境で研究に没頭できるのだ。
マックスプランク研究所と似たような雰囲気があるのは、理化学研究所だ(詳しくは「「科学の楽園」の理化学研究所〜どのように創造的な組織を作るか?〜科学と産業の融合の事例」参照)。しかしながら、同研究所では、スクラップ・アンド・ビルド方式は採用していない。
本では、その他に、チンパンジーと人間の違いをゲノム情報だけではなく、環境によって情報が変わるというエピジェニテックスの視点も紹介。今まで拝読した人類学(古代ゲノム学)から見たサピエンスの歴史の中で、同書が一番わかりやすかった本だった。ぜひ、この分野にご興味のある方、チェックいただきたい。
さて、太田教授のセミナーの内容に移る前に、一つ補足したいことがある。それは、2003年に終えたヒトゲノム計画(HGP)とその後に、DNA技術がどのように発展していったかだ。取り上げる理由として、米国の国家主導で行われていたこと。研究の世界は国家が非常に重要な役割を果たすことが理解できると思うからだ。
ヒトゲノム計画+ゲノム解析技術の発展とイノベーション
ヒトゲノム計画の完了(2003年)
2003年、米国衛生研究所(National Institute of Health、NIH)の傘下にある国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)の主導のもと、ヒトゲノム計画(Human Genome Project, HGP)が完了した。ヒトの全DNA配列(30億塩基対)を解読、約13年と30億ドルが費やされた。
当時使われた技術は「サンガー法」と呼ばれる古典的なDNA解析法(DNAシークエンサー(sequencer)、シークエンス(sequence)は配列という意味)で、一本一本のDNAを蛍光色素で標識し、電気泳動で読み取る方法。精密ではあるものの、莫大な費用と時間がかかった。
HGPの成功は「生命の設計図を解読した」という歴史的快挙といって良かったが、同時にコスト的に「誰もが自分のゲノムを読める時代はまだ遠い」ことを示していた。
$1000 Genome Projectの登場(2004年ー2014年)
HGP完了からわずか1年後、NHGRIは、次なる挑戦を掲げる。2004年、「$1000 Genome Project」──すなわち、1人のゲノムを1000ドルで解読する技術を開発するという大胆な研究プログラムだった(2014年に終了)。
このプログラムは、当時としては非現実的な目標だった。ここに、米国の国力の凄さを感じるのだが、NIHは高リスク・高インパクト研究への資金を供給。イノベーションを大学やスタートアップ企業に技術開発を委ねることにした。
さらに、「コスト/ゲノム」データを継続的に公開し、業界の進歩を見える化。これは「ムーンショット(大いなる飛躍)」を科学的に牽引する上で重要な政策的仕組みだったと言える。
2005年頃から、従来のサンガー法に代わる画期的な技術が登場する。それが次世代シーケンサー(Next Generation Sequencer: NGS)だった。NIHのビジョン、ベンチャーの野心、そして研究者たちの粘り強い努力が、20年で「30億ドル→1000ドル」という奇跡を生み出していく。
腸内細菌叢、個別化医療と人類学への応用
このコスト削減により、簡単に低コストで効率良くゲノム配列を解読することができるようになった。そこで、人の腸内細菌叢、個別化医療などのイノベーションにつながっていく。予想外だったのが、今回のテーマとなった古代人類学への応用だった。
前述のように、ネアンデルタール人の全ゲノム配列を解明した、ペーボ教授にノーベル賞が与えられた。ネアンデルタール人の化石から、独自のDNAの抽出法を独自に確立し、その発展の上で解明された訳だが、DNAシークエンサーのコストダウンが果たした役割も大きいのだ。
前置きが長くなってしまったが、これらの事前知識を元に、今回のセミナーの内容をまとめたい。
「古代ゲノム研究の人類学からみる、我々はいつから人間なのか」(今回のセミナーの内容)
安川さんのテーマプレゼンテーションから始まり、人工知能と人間の違いはどこにあるのか?最新ロボットを例(Figure 03)にYoutube動画をシェアしながら、紹介。この動画は衝撃的すぎて、ロボットの未来がどうなるのか?ChatGPTと結びつくとどうなるのか?近い未来を感じさせる内容だった。
安川さんは、太田教授のプレゼンに入る前に、
- 人間はどこから人間なのか?
- 日本人はどこまで日本人なのか?
- 人類は一夫一妻は本当か?
の3つの問題意識を提起。この視点で太田教授の話を聞くことができたので、非常にわかりやすく内容が入ってきた。
人間はどこから人間なのか?
太田教授は、古代ゲノムの研究を通じて、人の進化を研究している。先述のゲノムの解読技術の発展はどのように進んだのか?を説明しつつも、ネアンデルタール人、デニソワ人の全ゲノム解読からみたサピエンスとの違いを紹介。
更に、類人猿(テナカザル、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)との違いを通じて人間とは何か?を説明した。
面白かったのは、
- サピエンスは、人に教えることができる、チンパンジーは、人に教えることができない
- 人類の起源は、チンパンジーから分岐した700万年前のこと
- ヒトの起源は、ネアンデルタール人からサピエンスが分岐した30-10万年前のこと
- ヒトは類人猿と違うのは、犬歯がないこと、性差わかりにくくなっていること
等、わかりやすくサピエンスと他の生物の違いを定義し、説明したことだった。しかしながら、人間はどこまで人間なのか?学問の発展とともにわかりにくくなっている現状についても指摘している。
日本人はどこまで日本人なのか?
太田教授の研究室では縄文人のプロジェクトを進めている。課題は、日本は酸性土壌、温暖湿潤の気候のため、本土(本州、四国、九州)では骨そのものが残りにくい。一方で、貝塚や、沖縄半島の石灰岩の岩場や洞窟はアルカリ性。人骨が残りやすいという。
古代の日本人の研究では、ミトコンドリアDNA(母系遺伝)や一部のマーカー遺伝子が使われてきた。これらは情報量が少なく限界もあった。
太田教授の研究室では、伊川津貝塚から見つかった化石から、縄文人のゲノム配列を読むことに成功。何と、解析を進めていくと、ラオス・マレーシアで発見されたホアビニアン文化人と多くの遺伝的バリエーションを共有していたらしい。
今後、縄文人や渡来人がどのようにして日本に押し寄せてきたのか?解明されていけば日本人の期限が明らかになってくるのではないかと思う。
人類は一夫一妻は本当か?
一夫一妻については、オランウータン(シングルマザー)、ゴリラ(一夫多妻)、チンパンジー・ボノボ(多夫多妻)について語っており、サピエンスについては、一夫一妻ではなく、「恒常的な性的受容性」という興味深い表現で説明していた。

人類学者のエマニュエル・トッドは、「我々はどこから来て、今どこにいるのか? アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」で、各国の家族構造と教育、そしてその歴史的影響を整理しているが、古代ゲノム学から見た視点ではなかったので、非常に興味深かった。
午後6時半から開始し、終わったのが午後9時。懇親会会場に移ってから、2時間。あっという間に時間が過ぎ、太田教授と色々と情報交換もできた。
まとめ
今回は、BRAIN WORKOUT EXTENSION「人間知性(HUMAN INTELLIGENCE)の探究」のセミナーの第1回に参加した模様についてご紹介させていただいた。
人間とは何か?人類学(古代ゲノム学)の視点から、今まで知らなかったことが多く、学びも深かった。
このような貴重なセミナーに誘っていただいた安川さん、運営スタッフの皆様、ありがとうございました!そして、太田教授。素晴らしいプレゼンに感謝しています。