【J#36】関西の旅(2)〜適塾
前回の貴船神社に続いて(【旅コラムVol.159】参照)、2015年5月26日と27日に関西に訪れた際の模様について書く。今回は、大阪の地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅から歩いて5分以内にある、緒方洪庵の適塾だ。
緒方洪庵の適塾については、司馬遼太郎氏の「花神」に描かれているが(緒方洪庵のお弟子さんで日本陸軍の創始者の一人である大村益次郎が主人公)、大阪大学医学部の前身で、正式名称は適々斎塾。緒方洪庵は、武士の子であったが、虚弱体質のため医師の道を歩む。慶應義塾大学創始者の福沢諭吉がかつてここで学んだことがあり、福翁自伝にも適塾で学んだ内容が描かれている。
適塾は、医学を学ぶ場だったというが、実際はオランダ語(蘭語)で書かれた書物を読むことが中心だったため、兵学家、砲術家を含めた数千人がここに集まったらしい。江戸時代は識字率が100%近いといわれている。江戸時代の塾という存在が、明治維新への準備へとつながり、その後のスムーズな西洋の知識を吸収するのに役立ったと思うと、その一つがこうした形で残っているというのは感慨深い。
例えば、世界一周して感じるのは、諸外国を見ると外国語で科学用語をもっている言語は少ない印象を受けること。そして、日本のように科学を自国語で語ることができるというのは稀のように思う。そう考えると、適塾のように勉強熱心な日本人が過去にいたことが、どれだけ世界へ羽ばたくのに役立ったか。その事実一つだけとっても面白い。
全盛期の頃、2階の塾生室は満杯で活気があった。ここで塾生は寝起きして、その部屋の片隅にある日蘭辞書があり、終日交代で回覧していたらしい。
適塾では、当時使われた書物の複製(日蘭辞書、病理学を含めた医学書)が展示されていたが、写真に収めることができず。見ていて、当時の塾生が如何に熱心に西洋の知識を吸収して行ったのか?といった熱気みたいなものを感じることができた。
さて、国内に戻ってきてから、鎌倉(【旅コラムVol.155】参照)、長崎・佐賀(【旅コラムVol.156】、【旅コラムVol.157】参照)、新潟・越後妻有(【旅コラムVol.158】)、貴船神社(【旅コラムVol.159】参照)と今回の適塾と、何箇所か地方の特徴的な場所を訪れることができた。
地方の復興についていろいろと考えさせられることがあるが、そこで、一つ紹介したい本がある。デービッド・アトキンソン氏の「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」だ。
元ゴールドマン・サックスの社員だけあって、数字で地方分権をどのように進めていったらいいのか?を取り上げた本として、非常に明確に日本の現状について説明している。例えば、世界ではGDPに対する観光業の貢献は平均9%だが、日本の場合は約2%になっていること。日本を訪れる観光客は年間 1,036万人(2013年)、これは香港(2,566万人)の半分。観光業収入をみると、日本は149億ドルで、マカオの28.9%。一人当たりで観光 に最もお金を落とすのはオーストラリア人、以下ドイツ人、カナダ人、イギリス人、フランス人、イタリア人と続くが、日本には台湾、韓国、中国という近隣諸国からの観光客が圧倒的に多いということなど。
デービッド・アトキンソン氏は、25年日本に住んでいて文化財の修復に携わる会社の社長を務めているイギリス人による本書は上記のように数字で日本の観光業の現状と問題点を説明しているところわかりやすく、腑に落ちるところが多かった。
この本は、イギリスの観光業と比較している点も興味がもてる。例えば、イギリスは海外から3,000万人訪れるという。90%の人が1箇所以上の文化財を観光しているという結果もでており、観光客がつかう費用の32%を文化財に、残りの68%が(文化財をみるついでに)ホテル・ショッピング・カフェやレストランに使っている。その結果、生み出される雇用がなんと265万人(イギリス人労働者の2900万人の9.1%)。
このようにイギリスの経済で非常に大きな役割を果たすようになった観光業はどういった歴史的経緯で成り立ったのか?イギリス人が1974年頃、文化財を守 らなければならないという意識になり、どういった歴史的経緯で最終的に共有財産という考えに至ったのか?が記されている。このように70年代から意識が変わって、現代のイギリスの観光が隆盛を誇るようになったということを考えると、日本にも望みがあるのではないかと思う。参考に、イギリスは 年間500億円の保存修理費を使っている。
これからもいろいろな地方都市を訪れようと思っているが、どのように地方を再生していくのか?という観点はこれからも大事にしつつ、私自身ができることを模索していきたいと思う。