【J#60】『古事記』を読むと見えてくる世界(2)〜日本の古典の基本的な考えと神々に対する見方について学ぶ
2019年9月28日(土)、神辺菊之助先生(以
本コラムでも紹介してきたように、私も様々な神社へ参拝に伺う機会があり、以前より「古事記」に興味を持っていた。
そこで漫画から原書まで手にとって読んでみたが、登場してくる神の数が多いことや、西洋の神とどう違うのか?日本書紀と古事記との違いは?等、どこから取り組んでいったらいいのか?よくわからなかった。
友人が開催する読書会で神辺先生と出会ったのだが、5年かけて、独自の読み方で古事記を読破することでわかってきたことがある、と伺い、その考え方について知りたいと思っていた。
前回(同年7月7日)に入門編を開催(「『古事記』冒頭部分をきちんと読むと見えてくる世界:古事記を通じて日本を知ろう」参照))。
古事記とは何か?
どのような形でセミナーを開催するか?
古事記とはどのような背景で成り立ったのか?
仏教との関係は?
稗田阿礼の
同時代の世界情勢(書き言葉がなかった時代から書き言葉が確立した時代への移り変わり)
『古事記』の構成上の特徴等。
関連学会の最新の研究成果も踏まえ、多角的に『古事記』の全体像を国内の文献を紹介しながら論理的に説明して行った。
現在、スピリチュアル・ブームにのって神社参拝は一つの流行。どちらかというと、直感が重視されている世の中で、宗教を理解していくためには論理的思考も重要となる。
神辺先生によると、キリスト教もカルヴァンによる読み方(「『古事記』冒頭部分をきちんと読むと見えてくる世界:古事記を通じて日本を知ろう」参照))によってキリスト教圏の論理的思考が飛躍的に高まったという。
そこで、それを実際に日本の古典=「古事記」に適用するとどうなるのか?
いよいよ『古事記』本文を読み、何が書いていあるのか?
冒頭の文章の
天地初発之時於高天原成神名天之御中主神
次高御産巣日神
次神産巣日神
を紹介しつつ、一つ一つ丁寧に読み進めて行った。
1)天地初発、高天原とは何か?
2)天之御中主神(アメノミナカヌシの神
の2つが中心となり、キリスト教の神と比較しながら、説明。
天地初発については、諸々の説があるが、
聖書(キリスト教)は、「初めに神は天と地とを創造された」と神の存在が起点となって神の物語が組み立てられているのに対して、古事記(日本)は、「最初から天地があった、天として自らを意識し、地は自らを意識し、世界は世界となった」と神の存在が不在となった神の物語になっている
と驚くべき説を紹介。
高天原は、どのような場所であるか、古事記では説明されていないこと。
天之御中主神は、
1)天の中心にいる神でないこと(天の中心は北極星であり、太陽であり、月でもある;天の中心はそのどれもあり、どれか一つに縛られない)
2)神格化した神でないこと(西洋や中国の思想では、抽象的な概念で神を表現するが、日本は、多くの人々が中心と思う具体的な神として捉えている)
3)宇宙の創造主の神でないこと(絶対神、創造神ではない)
のような誤解があり、天の聖なる中心にあるところの神=天之御中主神の意味であり、世俗的な権力・権威や一神教的な絶対神などの抽象的な考え方を持った神ではなく、具体的に一人一人の中にある神の意味を持っている。
私は、天之御中主神を創造主と捉えていたので、このような読み方には正直驚いた。しかし、神仏習合の伝統的な日本文化のことを考えると、納得できる。
高御産巣日神(タカミ
これには、聖書の例えがわかりやすく、聖書には「光あれ」の言葉が出てくる。この言葉は光と生命を作り出すために、神が「光あれ」と命令。神が発言することで、創造している意味であり、神が主体的な意識を持って光、生命の2つを作って行ったのではないか、そしてそれこそ、上記の2つの神(高御産巣日神と神産巣日神)を区別する意味があるのではと紹介していった。
他にも、聖徳太子はSMAPと同じようなグループ名だったという説を含め、色々な考えを紹介して本当に面白く。あっという間の3時間が経過して行った。
今回は、参加したみなさんが一人一人質問をし、場が盛り上がった感じがある。
神辺先生は次回は、もっと面白くなるよ。と言ってたので、是非とも楽しみにしていたい。次回の開催日は9月28日(土)の午後7時からの予定だ。2回目だが、前回の復習も行いつつの2回目ですので、もしご興味がありましたら、ご参加の方ご検討いただければと思っています。
今回もカレーとデザートを提供させていただいた。次回も食事を提供させていただきますので、よろしくお願いいたします!!