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メルロ=ポンティは、身体から心をどう考えたのか──『生成と消滅の精神史』を読んで

シリーズ「現象学と認知科学──心をどこまで捉えられるか」第2回

はじめに

前回、下西風澄『生成と消滅の精神史』(文藝春秋、2022年)を読んだ話を書いた。(心をコンピュータに喩えたとき、何が棄てられたのか)

前の記事をまとめる際に、最後に、問いを残して、まとめた。モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)が半世紀前に同じことを書いていたのなら、フランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)は何をしたことになるのか。

その前に、メルロ=ポンティが何を考えた人なのかをまとめたい。

人間は、ものでもなければ、ものを見る目だけでもない

メルロ=ポンティを動かしていたのは、認知の仕組みへの関心ではなかった。人間を説明しようとすると、昔から二つの答えしか出てこない、という問題である。

ひとつは、人間も世界の中の一個のものだ、という答え。骨と臓器と肉でできた物体である。もうひとつは、人間とは世界を見ている目だ、という答え。世界の外から眺める、身体を持たない視点である。前者だと、見ている当人がいなくなる。後者だと、見ている当人が世界のどこにもいなくなる。

もし人間がものであるかあるいは純粋意識であるか、そのいずれかであるとすれば、人間は<世界にある>ことを止めてしまう。私たちは単なる骨と臓器と肉の塊でもないが、他方で身体を持たない純粋な意識でもない。自然物の一例として、宇宙にのみからめれてしまう存在でもないし、宇宙のどこにも位置を持たない特権的な視点でもない。私たちはこの世界のうちに存在し、関わり、生きている身体である。

アルフォンス・ドゥ・ヴァーレン(『行動の構造』序文)

世界にいる、という言い方はハイデガーから来ている。それに対して、メルロ=ポンティには不満があった。ハイデガーは、人が道具を使う場面を中心に現象学を語った。時計を見る。ハンマーを打つ。そのとき、腕が動くこと、目が見えることのほうは、あって当たり前のものとして扱われている。

メルロ=ポンティは、そこが一番知りたいところではないか、と考える。そこで、もう一段、下へ降りる。心と対象が出会うことを可能にしている、身体と行為の層までだ。

鍵盤は、自分で動く

『行動の構造』で彼は、刺激があって反応がある、という捉え方を疑っている。彼自身の喩えが分かりやすいので紹介したい。

刺激と反応という考え方は、生き物をピアノの鍵盤のようなものと見る。外から指が降りてきて、鍵を押す。音が鳴る。入力があって、出力がある。

しかし実際には、生き物は自分のほうから、どの鍵を差し出すかを選んでいる。目の構造、耳の働き、神経の感度、今どちらを向いているか。それによって、世界の中の何が刺激になりうるかが決まる。叩かれる前に、何が叩けるかを、生き物のほうが決めている。鍵盤のほうが動くのである。

『行動の構造』でメルロ=ポンティは「行動こそあらゆる刺激作用の第一原理である」と述べ、対象から与えられる知覚刺激によって認知が可能になるのではなく(カントが対象から触発されて経験が可能になると考えとは違い)、そもそも対象による刺激さえも行動によって生成されると主張した。

対象から来る刺激によって認知が可能になるのではない。その刺激さえも、行動によって生まれる。

ここから、奇妙な結論が出てくる。行動が先なら、行動する当人も、行動より前にはいない。つまり行動によって、当人と、その当人にとっての環境が、同時に生まれる。

ヴァレラが細胞から言ったことと、同じである。

もうひとつ、この本で大事なことがある。彼は、ものが動くこと、生き物が生きること、人が話すこと、この三つを別々の層として分けた。そして、知覚はそのどれか一つに押し込めない、と考えた。石が落ちるのと同じ物理の話でもないし、かといって、生き物には目的が宿っている、という当時の生物学の話でもない。

間の層がある、とメルロ=ポンティは言った。ただ、その層がどういう仕組みで働いているかは、書かなかった、というよりも書けなかったのかもしれない。空いたままのその場所に、半世紀後、オートポイエーシスが入ることになる。

赤ん坊は、顔の線より先に、笑顔を見ている

心がどこから生まれてくるのかを知るために、メルロ=ポンティは赤ん坊を見た。心と対象がまだ分かれていない場所であり、生き物から人間へと続く段階を知る手がかりだからである。赤ん坊は、母親の顔を見るとき、輪郭の線や、色や、形を先に見ているのではない。笑っている、ということのほうを先に見ている。部品を集めて絵ができるのではなく、絵のほうが先にある。

言葉についても同じで、赤ん坊が先に聞き取るのは、言葉の意味ではなく、声の高さや調子である。母親が今どうしようとしているのか。それがわかるから、あとになって言葉がわかるようになる。順番が逆なのである。

カント(Immanuel Kant)は、人間には生まれつき決まった形があり、そこに経験という中身が入ってくる、と考えた。器と中身である。前回に書いた、あらかじめ入っているアプリケーション、という喩えがそれにあたる。

一方で、赤ん坊を見ていると、その二つは分けられない。器と中身がまだ分かれていないところから、心は育っていく。

頭の中の像は、翻訳のほうである

ここからメルロ=ポンティは、長らく心の本質とされてきた考え方を疑う。頭の中に世界の像ができる、という考え方である。

前回に出したカメラの絵が、まさにこれにあたる。外に世界があり、内に像がある。この見方だと、身体はレンズと配線にすぎない。

メルロ=ポンティは、こう言う。頭の中の像は、心の一つの形にすぎない。そして、そのもとになっている、まだ像になっていない経験との関係は、原文と翻訳の関係のようなものだ、と。

表象(vorstellung)すなわち前(vor)立てられたもの(stellung)によって知覚を捉えきれない。意識と実在という二項対立を前提とした表象は、行動というゲシュタルトは身体という媒介項をうまく位置付けられない。したがって、メルロ=ポンティは「表象的意識も意識の形態の一つにしか過ぎず」、原初的な意識と表象的な意識は、原文と翻訳との関係のようなものであると指摘する。

翻訳が先にあって、あとから原文ができることはない。カントは、頭の中の像のほうを原文だと考えた。メルロ=ポンティは、それを逆にした。身体が世界と関わっている、その生の経験が原文である。頭の中の像は、そのあとに作られた翻訳である。

翻訳には、こぼれるものがある。だから、翻訳のほうだけを見ていても、心はわからない。リンゴの赤がどこにあるのか、という話と、同じことを言っている。

ないはずの腕が、ある

身体は、心と世界のあいだを取り持っている。ただ、うまく働いているあいだ、それは目に見えない。眼鏡と同じである。かけているときには眼鏡を見ていない。眼鏡を通して外を見ている。眼鏡の存在に気づくのは、曇ったとき、ずれたとき、割れたときである。

更に、メルロ=ポンティは、身体が失われる場面を取り上げた。幻影肢である。

腕を失った人が、ないはずの腕を感じ続ける。痛みさえある。これは、神経の話として説明しても足りないし、気のせいだという話にしても足りない。世界にいる、ということの中でしか、この出来事は理解できない。その人の身体は、まだその腕で世界と関わる構えのままなのである。

右手で左手を触る

パスカル(Blaise Pascal)もハイデガーも、考えることを中心に心を捉えていた。メルロ=ポンティは、触ることに注目して、問題の次元そのものを変えた。

右手で左手を触る。それだけのことで、世界がぐるりと裏返る。

パスカルやハイデガーは、思惟を中心に意識をとらえていたが、メルロ=ポンティは、知覚、それも触覚という行為に注目することで問題系の次元を変えた。右手で左手を触る、という単純な行為によって宇宙はぐるりと裏返る。この反転の事態において「「触れる主体」が触れられるものの地位に移り、物の間に降りてくることになり、その結果、触覚は世界の只中で、いわば物の中に起こるようになるのである」。そして、メルロポンティは、このような触覚のもつ両義牲、反転性を、視覚の中にも見出していた。視覚もまた触覚的にはたらくのである。

触っている右手は、触る側である。しかし左手のほうに注意を向ければ、右手は触られているものになる。どちらが触っているのか、決められない。決めようとすると、ひっくり返る。手袋を裏返すように。

このとき、触る当人は、世界を外から眺める目ではなくなっている。ものたちの間へ降りてきて、ものたちと同じ高さに並んでいる。そしてメルロ=ポンティは、この裏返りを、見ることの中にも見つけていた。目もまた、見るものであると同時に、見られるものである。

ここで、カメラの絵が完全に崩れる。カメラは、写される側にならない。入口と出口が決まっているからである。ところが触覚では、感じる器官が、そのまま感じられるものになってしまう。入口と出口の区別が、もたない。

最晩年のメルロ=ポンティは、ここからさらに進んだ。私の身体も世界も、地続きの肉である。触れるとき、触れるものと触れられるものは地続きで、一致した場所で知覚される。私が普段提供している施術の場面で起きていることが、これだと思った。

現象学には、なかったもの

ここまでで、メルロ=ポンティがどこまで行ったかが見える。身体から心を考えるべきだ、ということを、彼は示しきった。ただし、それは論じるという形で示されている。身体が大事だと論じる行為そのものは、机の上で完結する。

エトムント・フッサール(Edmund Husserl)も同じだった。経験そのものに立ち戻れ、と彼は言い、そのための手続きまで書いた。しかし、それを実際に行える人をどう育てるかは書いていない。

ヴァレラがやろうとしていたのは、経験を科学の中で扱うことだった。脳を測ると同時に、そのとき当人に何が起きているかを言葉にする。その二つを突き合わせる。そのためには、自分の経験を精確に扱える人が要る。しかも、訓練によってそういう人を育てられなければ、科学にならない。

そこで目を向けたのが、仏教だった。理由は一つである。直接の体験を、二千年以上にわたって追求してきた実践の蓄積が、そこにあったからだ。どう教え、どう続け、何がどう変わるのかが、積み上がっているのだ。

まとめ

メルロ=ポンティの歩みは、身体が心と世界を取り持っているという話から始まった。そこから、取り持つものが失われる場面、裏返る場面を通って、身体と世界はもともと地続きだ、というところまで行った。

先に私がいて、先に世界があって、それが触れ合うのではない。触れるという出来事の中で、私と世界が分かれてくる。ここまでを、彼は論じることで示した。ヴァレラは、その先へ行くために実践を入れた。

では、なぜ論じるだけでは足りなかったのか。次回、『身体化された心(The Embodied Mind)』の原書からそこを書いてみたい。

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