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【B#258】アポロ計画は「失敗の科学」だった──システム工学、脱人主義、そして人間中心への転換

はじめに

渋谷を拠点に、ロルフィング®やコーチング、タロット、脳活講座を行き来しながら、考えること・感じること・身体感覚(肚・丹田)が、自然にひとつの判断としてまとまっていく状態を取り戻すための場をつくっている大塚英文です。

私は毎年の年初、読書の年間テーマを決める。2026年は「宇宙開発」と「中世仏教」にしている。

アポロ計画の中で、特に知りたいことは、

「どのようにして国家主導でプロジェクトが運営され、成功の秘訣はなんだったのか?」

という点だ。

今回のブログでは、上記の疑問を、同時代に並走していたもう一つの大きなプロジェクト(ベトナム戦争)との比較から、アポロ計画がなぜ成功したのか?についてまとめてみたい。

ベトナム戦争とアポロ計画:同じ国家、官僚機構、合理主義で運営、その違い

1960年代、アメリカは歴史上稀に見る二つの巨大プロジェクトを同時に抱えていた。ひとつは、泥沼の消耗戦へと突き進んだベトナム戦争。もうひとつは、人類を月面へと送り届けたアポロ計画である。

この二つのプロジェクトを動かしていた「知性」の正体は、驚くほど似通っていた。中枢には、国防長官ロバート・マクナマラ(Robert McNamura)がいた。フォード・モーターの社長から転じた彼は、数値を武器に組織を最適化する「計数管理(Systems Analysis)」の信奉者であり、「ベトナム戦争の設計者」とも称される。

同じ国家、同じ官僚機構、同じ合理主義。それを、デイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)は、「ベスト&ブライティスト(Best and Brightest)(最良の、最も聡明な人々)」と表現している。

それにもかかわらず、なぜベトナムは史上最大の失政となり、アポロは人類史上最大の偉業となったのか?それを分けたのは何か?

それは

「失敗という事象をどう定義し、そこに人間をどう配置したか」

デイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)は彼らを「Best and Brightest(最良で最も聡明な人々)」と呼んだ。

それにもかかわらず、なぜベトナムは失敗し、アポロは成功したのか。

分水嶺は、

「失敗をどう定義し、そこに人間をどう配置したか」

そして、システムと人間をいかに統合したかという点にあった。私の関心である「脳・心・身体感覚」の統合の問題でもある。

ジェイムズ・ウェッブ:政治という変数を「設計」した男

アポロ成功の鍵は、NASA第2代長官ジェイムズ・E・ウェッブ(James E. Webb)にある。技術者ではないが、法律、経営、国家予算管理の経験を背景に、巨大プロジェクトを成立させる外部環境を設計した人物である。

Piers Bizony著「Man Who Ran the Moon. – James Webb, JFK and the Secret History of Project Apollo」で初めて彼の存在の大きさを知った。

残念ながら、James Webbのことは、宇宙飛行士の伝記にはほとんど登場しないため存在としては目立たない。その理由としては、現場主義としてではなく、組織の運営を円滑に進めるために黒子に徹していたというのが大きいと思っている。

宇宙飛行士(Niel Armstrong、Buzz Aldrin、Frank Bormanや、Al Shepard、Deke Slayton等)の伝記(自伝も含む)にはほとんど登場しない。彼は黒子に徹し、組織を成立させる基盤を整えることに徹底したからだ。

業者選定という名の「産業地政学」

ウェッブは、アポロの契約企業を全米各地に戦略的に分散させた。これは、単なる経済合理性としての判断ではない。「全米のどの州の議員も、アポロ計画を中止すれば地元の雇用と経済が崩壊する」という状況を作り出すことで、議会に対して「支持基盤」を構築した。

その分担は極めて戦略的だったし、業者の選定も率先して行った。

  • マクドネル(ミズーリ州):一人乗りのマーキュリー、二人乗りのジェミニ宇宙船を主導し、有人飛行の基礎を築いた。
  • ノースアメリカン(カリフォルニア州):アポロ指令船・機械船、およびサターンVの第2段を開発。
  • グラマン(ニューヨーク州):月面に降り立つ唯一の手段、月着陸船(LM)をゼロから設計。
  • ボーイング(ワシントン州/ルイジアナ州):巨大なサターンVの第1段を担当。
  • IBM(ニューヨーク州):サターンVの航法コンピュータおよび地上管制のメインフレーム(System/360等)を供給し、巨大なデータ処理を一手に引き受けた。
  • MIT(マサチューセッツ州):アポロ誘導コンピュータ(AGC)のソフトウェアを開発。人類初のデジタル航法を司った。

IBM選定のエピソード:トップの「覚悟」を問う

地上計算センターの構築にあたり、NASAはIBM、CDC、GE、RCAの4社を候補に挙げた。ここでの選定プロセスは、ウェッブの凄みを象徴している。

ウェッブはこれら4社の社長を一堂に集め、一つの部屋に呼び入れた。そして、目の前でNASAが求める過酷な要件(requirement)を提示。

「これに完全に合致し、やり遂げる意思があるのはどこか?」

と一斉に問うたのである。他社が技術的な難易度やコストに二の足を踏み、回答を濁すなか、唯一IBMのトーマス・ワトソン・ジュニア(Thomas Watson Jr)だけが、その場で「我々にはできる。やり抜く」と断言した。

ウェッブは、マクナマラのような書類上の数値比較(脳)だけで判断しなかった。

相手の目を見て、その言葉の奥にある「マインド(心)」と、組織としての「責任感(身体性)」を直接見極めたのだ。この「肚」で決める選定眼こそが、IBMという最強のパートナーをアポロ計画に引き込む決め手となった。

国防長官・マクナマラとの熾烈な予算の攻防

余談になるが「ベトナム戦争の設計者」マクナマラは、すべての予算を「費用対効果」で測ろうとし、戦費捻出のためにNASA予算を削りにきた。

驚くべきことに、議会のことを熟知しているウェッブは、それに怯むことなく、アポロを「冷戦における自由主義のショーケース」として定義し直し、ケネディを味方に引きつけ、マクナマラの冷徹な管理主義から現場を守るための最強の盾となった。

NASAは文民組織:国防省からの影響を排除

さらにウェッブが配慮したのは、「NASAの独立性」である。

当時、強力な権限を持つ国防省(DoD、Department of Defense)は、NASAの技術や予算を軍事目的に転用しようと虎視眈々と狙っていた。しかしウェッブは、NASAをあくまで「シビリアン(文民)組織」として維持することにこだわった。

国防省の影響を排除するために、あえて軍の施設を流用せず、独自のセンターを全米に新設し、研究成果の公開性を堅持した。これにより、NASAは「軍事の下請け」という近視眼的なロジックに飲み込まれることなく、自由な発想と長期的視点による「科学の探求」という純粋な情熱(心)を維持することができたのである。

現場の魂:Space Task Groupから有人宇宙センターへ

政治がウェッブなら、技術と現場を支えたのはBob Gilruth(ボブ・ギルルース)Max Faget(マックス・ファジェット)である。

ギルルースの統率とファジェットの直感

NASAの有人宇宙飛行の礎を築いたのは、ラングレー研究所のわずか35名から始まったSpace Task Group(STG)だった。リーダーのギルルースは、控えめながらも現場のエンジニアから絶対的な信頼を寄せられる「心の拠点」だった。

そして、その右腕だったのが天才設計者ファジェットである。彼は「弾道突入カプセル」という、当時の常識を覆す形状をナプキンの裏に書き留め、マーキュリーからアポロに至る宇宙船の基本設計を導き出した。

やがて、彼の設計は、理論(脳)だけでなく、パイロットが実際に操縦し、生き残るための「身体感覚」に根ざしたものへとマーキュリー(1人乗り)、ジェミニ(2人乗り)、アポロ(3人乗り)の計画に沿って発展していく。

組織の進化:Manned Spacecraft Centerへの移行

計画が巨大化するにつれ、STGはバージニア州からテキサス州ヒューストンのManned Spacecraft Center(有人宇宙センター、ジョンソン宇宙センター)へとその機能を移転・拡張させていく。

この移行は、単なる引っ越しではない。少人数の「村」のような連帯感(身体性)を維持しながら、数万人が動く巨大な「システム」へと組織を脱皮させる、極めて困難なプロセスだった。ギルルースは、官僚化しがちな巨大組織の中で、いかに「現場のエンジニアが自由に発言し、間違いを認め合える文化」を守り抜くかに腐心。

この「風通しの良さ」こそが、後にアポロの免疫システムとなる。

Mission Control:システムと人間が融合する「場」

ヒューストンの管制官(Mission Control(ミッション・コントロール))はアポロ計画の「心臓部」であり、ギルルースが守り抜いた現場文化が結実した場になった。

宇宙船の出発から到着まで、どのようにコミュニケーションを取るのか?その仕組みを作る必要があった。

ここで重要な役割を果たしたのが、クリス・クラフト(Chris Kraft)。ミッション・コントロールの仕組みを作り、運用の責任者だった。クラフトは「Flight – My Life in Mission Control」という素晴らしいを書いている。ぜひ、ご興味のある方はチェックいただきたい。

宇宙船と管制官のコミュニケーション:世界各国に通信局を設置

クラフトがまず大事にしたのは、どのようにコミュニケーションを取るかだ。そこで作られたのが、TAGIU(Tracking and Ground Instrumentation Unit)だ。ポイントは、軍の通信施設を使うのではなく、新たにNASA専用のものを1から作り出すことだった。

TAGIUは、マーキュリー計画で宇宙船と地上を常時結ぶために構築された世界規模の追跡・通信ネットワークである。宇宙船は地球を周回するたびに地平線の向こうへ消えてしまうため、アメリカ本土だけでは通信が途切れてしまう。NASAは、宇宙船の軌道に沿って地球全体に地上局を配置した。

具体的には、バミューダ、カナリア諸島、ナイジェリア、オーストラリア、ハワイ、カリフォルニアなどに追跡局を設置し、さらに大西洋やインド洋には通信船を展開した。各拠点にはレーダーやテレメトリー受信設備が整えられ、宇宙船の位置情報や機体データ、宇宙飛行士の音声が次の局へと引き継がれていった。

このネットワークによって、ミッション・コントロールは宇宙船の状態をほぼ途切れなく把握できるようになり、異常時にも即座に判断を下せる体制が整った。ロケットだけでなく、地球規模の通信網を同時に設計することこそが、宇宙飛行を「運用可能なシステム」に変えた核心だったのである。

更に、宇宙船での変化が刻一刻と変化していく中、ミッション・コントロールが全ての情報を把握し、宇宙船に伝えていくという仕組みも出来上がった。

宇宙飛行士と管制官の役割分担:CapCommの誕生

もう一つ、Mission Controlを作るにあたって、一つの大きな対立があった。

「誰が宇宙船を指揮するのか」

という宇宙飛行士と管制官との主導権争いである。

クラフトは、「地上からのデータに基づき、管制官が指揮を執るべきだ」と主張した。

一方、宇宙飛行士を束ね、宇宙飛行士の一番最初の選抜試験を合格した7人(Mercury 7)の一人るディーク・スレイトン(Deke Slayton)は、「コックピットにいる人間が最終決定権を持つべきだ」と譲らなかった。地上(脳)か、現場(身体)か。

両者は激論の末、一つの画期的な制度を生み出した。それがCapCom(カプコム:Capsule Communicator)である。これは、「飛行士への直接の通信は、別の宇宙飛行士のみが行う」というルールだ。

管制官という「システム側の専門家」たちが弾き出した膨大なデータは、CapComというフィルターを通ることで、「飛行士に伝わる言葉(身体感覚を共有する言語)」へと翻訳される。

スレイトンは仲間の命を守るために、クラフトはシステムの整合性を守るために、このインターフェースを完成させた。これにより、管制室という「巨大な脳」が、宇宙飛行士という「手足」と直感的に繋がることになった。

ミッション・コントロールの人材採用:枠にはまらない技術者を選ぶ

クラフトのミッション・コントロールの人材採用にも特徴があった。クラフトは、採用にあたって大学在学時の成績は気にせず、重要視したのは、工学諸分野に対する幅広い趣味と、プレッシャーに負けずに仕事に取り組む決意だったという。

例えば、飛行運用では難解な工学理論の理解は必要なかったが、雑多な技術概念、データを素早く理解する能力が要求されていた。飛行中の宇宙船で求められる管制官は、時間的なプレッシャーのもと、膨大な情報を正確に処理することが求められる。

このため、クラフトは、技術者の標準的なキャリアパスよりも、枠にはまらない技術者を求めた。それは、下記の考えに象徴的に現れている。

「新しいアイデア、新しい能力、新しいやり方はいつも若者から出てくる」

現場の規律「Tough and Competent」

クラフトのもとで育った人材の一人にジーン・クランツ(Gene Kranz)がいる。クランツの、アポロ13の時に、Mission Controlでリーダーシップを発揮する姿は、映画「アポロ13号」で詳細に描かれている。

クランツは、クラフトの思想を現場へ応用し、ミッション・コントロールを確固たる仕組みを確立した人材の一人だ。

クランツの「Failure is not the Option – Mission Control from Mercury to Apollo 13 and Beyond」によると、彼らはアポロ1号内の火災で3人の宇宙飛行士の死亡事故の後、「Tough and Competent(不屈かつ有能)」という倫理を全スタッフに叩き込んだ。

  • Tough(不屈):自分のミスから目を逸らさず、責任から逃げない「肚」の据わった状態。
  • Competent(有能):何が起きても対応できるよう、心と頭を常に研ぎ澄ましておく状態。

ここには、管制官たちは、異常の兆候があれば即座に声を上げ、たとえ上司であってもデータに基づき異論をぶつけた。失敗を前提にしているからこそ、誰もが「今の判断は正しいか?」と問い続ける身体感覚(違和感)を大切にしたのである。

IBMが弾き出すデータ(脳)、直感(心)、そして極限状態での身体感覚。これらが一つに統合されたのである。この姿勢が、後述のアポロ13号帰還につながる。

分散型NASA:対立が生む「健全な緊張」

佐藤靖氏の『NASAを築いた人と技術:巨大システム開発の技術文化』が指摘するように、NASAは単一の組織ではなく、独自の文化を持つ「王国」の集合体だった。

  • マーシャル宇宙飛行センター(アラバマ州):ウェルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)率いる。ドイツ流の「自前主義」を尊ぶ、一つ一つテストを重ね検証しながらロケットを完成していく保守的な職人気質。
  • ジョンソン宇宙センター(テキサス州ヒューストン):宇宙飛行士と運用を司る。自由で民主的、技術者を大切にする、相互評価の仕組みを確立。
  • ゴダード宇宙飛行センター(メリーランド州):海軍の研究所が母体。通信と科学観測を担う、学術的な気風。失敗
  • ジェット推進研究所(JPL)(カリフォルニア州):無人探査と自律制御を誇る「象牙の塔」。

ベトナム戦争ではサイゴンからの「都合のいい数字」がワシントンへ送られたが、NASAではこれらセンター間の「健全な対立」とNASA本部との適度な緊張感で、設計の脆弱性をあぶり出す免疫システムとして機能した。

ジョー・シェイの悲劇とジョージ・ロウの再生:人間性の統合

アポロ計画が真に偉大だったのは、一度「脱人主義(システムによる管理)」へ振り切った後、再び「人間」を取り戻した点にある。

アポロ1号の事故:ジョー・シェイと脱人主義の限界

アポロ宇宙船事務所長ジョー・シェイ(Joe Shea)は、システム工学の権化だった。彼はIBMのメインフレーム、MITの論理、数百万の部品を「完璧な機械」として統合しようとした。現場から上がる情報も独占し、自らが決断していく。

当時プロジェクトを進めていく上で重要だったが、対話も軽視した結果、現場技術者の「微かな違和感」を切り捨ててしまった。

1967年1月、アポロ1号火災事故。合理性の極致に潜んだ欠陥が3人の宇宙飛行士の命を奪った。これは「脳(論理)」だけで管理し、「心(不安)」と「身体感覚(現場の違和感)」を疎かにした結果だった。

アポロ8号の成功:ジョージ・ロウと人間中心への転換

事故後を継いだジョージ・ロウ(George Low)は、合理主義の中に「人間」を戻した。彼は数値化できない現場の不安を吸い上げ、対話を重視した。その事例が

1968年のアポロ8号での大胆な地球周回から月周回への計画変更。ロウの決断は、単なる計算の産物ではない。システムへの信頼(脳)、仲間の技量への信頼(心)、そして訓練で培われた確信(身体感覚)が、ロウという指揮官の下で高度に統合されたからこそ、人類は初めて地球を離れる決断ができたのである。

失敗を前提とした「判断」の科学:アポロ11号と13号

アポロ11号:最後は人間が判断する

1969年、アポロ11号。月面着陸直前にコンピュータが「1202アラーム」を鳴らした。マクナマラ的な「脳だけの管理」なら即中止だった。

しかし、訓練で失敗を繰り返していた管制官の身体感覚は、「これは処理オーバーフローであり、着陸自体に問題はない」という確信を数秒で導き出した。高度なソフトウェアを、最後は人間の「統合された判断」が救った。

アポロ13号:システムの「身体性」

1970年、アポロ13号の爆発。グラマン製の月着陸船を「救命ボート」に転用し、IBMのシステムを駆使して帰還軌道を再計算した。この極限状態を切り抜けたのは、冷徹なシステム設計(脳)と、絶対に諦めない意志(心)、そしてマニュアルを超えて機器を操作する現場の技術力(身体感覚)の完全な融合だった。

まとめ

アポロ計画の成功は、ウェッブの「政治工学」、分散型組織の「健全な対立」、そして「人間中心の合理主義」が統合された結果である。

ベトナムでは、マクナマラの合理主義が「脳」だけで現実を裁こうとし、人々の「心」と「身体」を無視した。その結果、数値は現実を隠蔽する「鎧」となった。

対してアポロでは、合理主義が人間の脳、心、身体感覚を支え、未知へ挑むための「翼」となった。

アポロは「失敗の科学」だった。

それは、失敗を排除するのではなく、失敗をシステムの一部として認め、それを超えるために「人間の全体性」をどう関わらせるかを追求した物語である。

システムで管理するのか、人間で管理するのか。その究極の答えは、両者の対立にあるのではない。高度なシステムを足場にしながら、最後は人間の「統合された生命力」が責任を持つ。このアポロの教訓は、AIが台頭する現代において、私たちが組織を設計する際のもっとも重要な羅針盤となるはずだ。

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