【J#108】坂村真民さんと砥部町+道後宝厳寺〜瀬戸内海の旅③〜
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はじめに
東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。
2024年7月26日の1630頃、松山空港に到着。2024年7月26日〜7月31日の5泊6日で、瀬戸内海(松山、尾道、広島、岡山)の4都市を巡る旅をスタートさせた(旅の企画の模様については「旅の企画+4都市を巡って感じたこと」に書いた)。
今回は、旅の2日目(7月27日)で伺った詩人の坂村真民さんのゆかりの地(重信川と道後宝厳寺)を中心に紹介し、次回「坂の上の雲ミュージアム」についてまとめたい。
坂村真民さんと砥部町
なぜ砥部町か?〜焼き物と川への思い
今回の旅の前半の目的は、3日目(7月28日)坂村真民記念館のイベントに参加すること。同イベント終了後に、尾道に移動する予定のため、2日目は、早朝の飛行機で松山市入りした2名を加えた6名で、真民さんの晩年過ごした砥部(とべ)町を訪れることにした。
真民さんは、どのように魂を揺さぶるような詩を書いたのか?現地を訪れ、同じような真民さんの詩を愛する友人の皆さんとその感想を共有する。今回このような最高な体験ができたと思う。真民さんのことを知る上で、背景を知ると、より理解できると感じているので、砥部町と真民さんとの関係についてまとめていきたい。
砥部町は、真民さんの晩年(58歳〜97歳、昭和42年〜平成18年)過ごした場所だ。真民さんは、焼き物が好きで、焼き物の里に近いところに住みたいという願いと川に対する思い入れから、晩年、松山の私立新田高校へ国語の教師として赴任した際に、重信川に近い住居を選び、「たんぽぽ堂」と称するようになる。
規則正しい晩年
坂村真民記念館の公式ガイドブック(改訂版)によると、毎日午前12時に起床。読経、読書、坐禅に充てる。午前3時26分自宅庭の朴の木の下で、寅の一刻の祈りと三つの祈りを実践したそうだ。
三つの祈りとは、
一つ、宇宙の運命を変えるような核戦争が起きませんように
二つ、世界人類のユニテ(一致)が実現しますように
三つ、生きとし生けるものが平和でありますように
だ。
午前4時に重信川を渡り「彼岸の祈り」(月、明星、朝日からの光の吸引、人々の平安・家族の無事を祈り、志願成就等)を行う。午前5時には、クコの実の粉とをはちみつとハブ茶で溶いて飲み、詩作、書を書くことを実践する。午前7時に朝食、午前8時〜午後12時に詩作、書を書く。
午後12時におやつを取った後、手紙の返信、読書、「詩国」宛名書き、発送作業、午後3時に夕食、午後4時に入浴、午後4時半には就寝。このように規則正しい生活の晩年を過ごす。
このような生活習慣を何十年続けていくことで、詩のインスピレーションが降りてきたのだろう。生み出された数々の詩は、若い人から経営者まで、多くの人たちの人生の指針となり、希望を与えてきたのだと、重信川を訪れた時に感じることができた。
詩国の創刊〜一遍上人の影響と42年間
真民さんが、国語教師として宇和島東高校へ赴任した頃(47歳〜58歳、昭和31年〜昭和42年)の昭和37年、哲学者の森信三先生と出会う。真民さんは、宇和島で講演した森先生の宿を訪れ、初対面。2日間にわたって語り合った後、森先生の強力な勧めもあり、個人詩誌の「詩国」を創刊する。
一切を捨て、踊り念仏を持って遊行した一遍上人は、真民さんが影響を受けた人物の一人。50歳の時に真民さんが眠る道後宝厳寺で一遍上人の立像と対面し生涯忘れないほどの感動を受けたそうだ。
今回の旅では、立像が(平成25年)に消失。現在では、一遍上人の立像のレプリカが展示されている。私自身、このレプリカを見て心から感動したことを思うと、実物を見た真民さんの感動する様子を想像できる。
「現代の覚者たち」によると、一遍上人は「南無阿弥陀仏・決定往生六十万人」の願いを立てたという。衆生済度のため、「南無阿弥陀仏」と書いたお札を配って(賦算)歩いて、全国を巡礼する。残念なことに、一遍さんの賦算は、十五万千七百二十四人で終わる。三十四万八千一一百七十六人残った。
真民さんは、その賦算の行持を自分が継ごうと決意。「南無阿弥陀仏」を書いて配っても、今の人は受け取ってくれないことから、その現代版の詩を配ることにした。そこで上記の「詩国」を毎月無料で配布し、42年間(平成16年まで)、500回、継続することになる。
真民さんゆかりの場所〜重信川+道後宝厳寺のお墓参り
今回は、レンタカーを借りて、松山市内から車を走らせること20分。真民さんが「彼岸の祈り」をした重信川の橋に到着し、追体験をさせていただいた。
その後、大街道に戻り、昼食。次に向かったのが「坂の上の雲ミュージアム」だった。同ミュージアムについては別のブログにて紹介するが、その後に伺った真民さんが眠る道後宝厳寺についてまとめたい。
道後宝厳寺には、再建された一遍さんの立像と真民さんが眠る墓がある。
本堂の左には「一遍上人堂」があり、その中に立像と真民さんの詩(一遍上人にゆかりのあるもの)が展示されている。
お墓は、本堂の奥の頂上にあり、行き方は二通りある。注意深くサインを読むことで辿り着くことができるが、場所の知っている人の案内がある方がいい。墓に辿り着くと、九州の熊本の方向に向かっていて「念ずれば花ひらく・真民」の文字が刻印されている。
お墓参りが終わった後、道後温泉・大和屋本館へ。
無料でみかん蛇口があるので、みかんジュースを嗜みながら、温泉に浸かり、英気を養った。
まとめ
今回は、旅の2日目で伺った真民さんのゆかりの地(重信川と道後宝厳寺)を中心に紹介させていただいた。いよいよ3日目、坂村真民記念館でのイベントについて紹介したい。