【B#245】「持つ(Having)」世界から「生きる(Being)」世界へ──エーリッヒ・フロムの「生き方」から学ぶ
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はじめに
こんにちは、渋谷でロルフィング・セッションや脳科学をベースにした講座を提供している大塚英文です。
最近、エーリッヒ・フロム(Erich Fromm)の3冊
『愛するということ』(原題 Art of Loving)

『生きるということ』(原題 To Have or To Be?)

『よりよく生きるということ』(原題 The Art of Being)

を洋書で読み直し、彼の思想が今の時代にもつ意味を改めて強く感じた。そこで、今回は、フロムが歩んできた人生を紹介しながら、本の内容に入っていきたい。
その前に、まずフロムという人物について触れておく。
Erich Fromm(エーリッヒ・フロム)──時代に傷つき、時代を照らした思想家
エーリッヒ・フロム(1900–1980)は、ドイツ生まれの社会心理学者・精神分析家であり、人間の自由・愛・生き方をテーマに一貫して探究した思想家として知られている。
ユダヤ系家庭に生まれたフロムは、若くして哲学と精神分析を学び、フランクフルト大学の社会研究所(後の「フランクフルト学派」)で研究活動を始めた。1933年、ナチス政権が成立。ユダヤ人であるという理由だけで生命の危険にさらされ、フロムは祖国を捨てて亡命せざるをえなくなる。
ドイツ → スイス → アメリカへと移動するこの過程で、
彼は
- 祖国の喪失
- 文化と言語からの断絶
- 人間が権威に従属していく過程の目撃
- 破壊と暴力の横行
という深い体験をする。
この経験は、のちの著作の核となった。
ナチス体験がフロムにもたらした思想的問い
亡命後、フロムが問い続けたのは、次の一点である。
なぜ人は“自由”を求めながら、強い権力のもとに逃げ込むのか?
この問いが名著 『自由からの逃走』(1941)(原題 Escape from Freedom) を生む。そこでフロムは、ナチスを支持した市民の心理の根底にある三つの力を指摘した。
権威主義(Authority)
強いものに従うことで安心しようとする。
破壊性(Destructiveness)
孤独や不安を破壊衝動へと転化する。
機械的順応(Automaton Conformity)
他者と同じであることで自分を守る。

フロムは見抜いていた。これらはすべて、「所有(having)」への執着が生む防衛反応だということを。
フロム思想の核心:「所有の生き方」から「存在の生き方」へ
ナチス体験の影響を受けつつ、フロムは人間存在の本質に迫る問いへと向かった。それが『生きるということ』(原題 To Have or To Be?)で展開される。ポイントは、having-mode(持つこと) と being-mode(生きる・あること) の区別にある。
having-mode(持つこと)──外に向かい続ける生き方
having-mode を支配する価値観は、
- 何を持っているか
- どれだけ所有しているか
- どれだけ成果を上げたか
という「外側の尺度」である。
フロムは having-mode の特徴を次のようにまとめる。
“Having is based on possessing and controlling.”
― 生きるということ
メリットは明快だ。成績、地位、評価を得やすい。しかし、同時に限界もある。
- 失う恐れに常に怯える
- 比較が止まらない
- 内側の豊かさが育たない
- 他者も「所有物」として扱いがちになる
ナチスのファシズムも、大量消費社会も、having-mode の暴走によって生まれた。だからこそフロムは、このモードに強く警鐘を鳴らす。
being-mode(生きる・あること)──内から湧き上がる生き方
一方で being-mode は、自分の内側の力が、今ここで能動的に表現されている状態である。
- 愛
- 理解
- 喜び
- 創造性
- 応答性(responsiveness)
- 気づき(awareness)
これらは「持つ(Having)」ものではなく、「なる(Being)」ものである。
フロムはこう述べる。
“Love, understanding, and joy are aspects of being—not things one has.”
― 生きるということ
この内面から湧き上がる生命感こそ、彼が亡命後の喪失体験から見いだした「もう一つの希望」だったと言える。
『愛するということ』──愛は所有ではなく「存在の技法」
フロムは『愛するということ』で、愛を“感情”ではなく “能動的な技法(art)”としてとらえた。
“Love is an activity, not a passive affect; it is an expression of one’s being, not of one’s having.”
― 愛するということ
つまり、愛とは being-mode の成熟した表現である。
所有としての愛(having-mode)は、
- 相手を独占したい
- 愛を保持したい
という「持つ」発想に陥る。
存在としての愛(being-mode)は、
- 相手の存在を喜ぶ
- 相手の成長を願う
- 自ら愛を実践する
という能動的な姿勢をとる。
この理解は、現代のマインドフルネス・ボディワーク・コーチングに通じる「プレゼンス」の思想とも深く繋がっているのではないかと思う。
『よりよく生きるということ』──存在を磨く“気づき”の哲学
フロムは晩年、この being-mode をより深めるために、『よりよく生きるということ』を書いた。
“Being fully awake, fully aware, fully responsive— this is the condition for love.”
― よりよく生きるということ
ここに示されているのは、“目覚めて在ること”そのものが、愛の前提であるという視点。
これは、私が提供しているロルフィング・セッションやコーチングで大切にしている
- ニュートラリティ
- プレゼンス
- 応答性(responsiveness)
とまさに同じ考え方として捉えることができる。
三冊を統合すると見えてくるフロムのメッセージ
三冊を並べると、フロムの思想は一つの軸を中心に展開している。
『愛するということ』
愛とは、存在(being)から湧き上がる能動的な技法。
『生きるということ』
所有から存在へのシフトが、人間の成熟の核心。
『よりよく生きるということ』
being-mode を磨くための実践と覚醒の哲学。
愛とは、being-mode がもっとも成熟したときに自然に立ち現れる生命の表現である。
ナチスによって「所有の危険」と「自由の脆さ」を実体験したフロムだからこそ、彼は“存在の力”に徹底して希望を託したのだと思う。
まとめ──所有の時代を超えて、存在の時代へ
私たちの日常は “having-mode” を加速させる構造に満ちている。成果・効率・比較・SNS・評価。これらは所有の尺度に寄りかかっている。
だからこそ今でも、フロムの思想は通用するし、学ぶことがあると思う。
“持つ” から “生きる(being)” へ。このシフトは、愛・創造性・つながり・気づきなど、人間の本質的な豊かさを取り戻す道筋である。
フロムの3冊は、外側の所有ではなく、内側の存在に目を向けるとき、私たちがどんな人間になりうるのかを静かに教えてくれる。
少しでもこの投稿が役立つことを願っています。





