【B#216】感情は「内側」ではなく「間」にある──感情と文化の新しい関係性
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はじめに
こんにちは、渋谷でロルフィング・セッションや脳科学に基づいた講座を提供している大塚英文です。
今回は、バチャ・メスキータ(Batja Mesquita)による『文化はいかに情動をつくるのか──人と人のあいだの心理学』(原題:Between Us: How Cultures Create Emotions、翻訳:高橋洋、解説:唐澤真弓)をご紹介したい。


この本は、「感情は個人の内側から自然に湧き上がるもの」という通念に疑問を投げかけ、文化の中で感情がいかに“構成されている”のかを明快に解き明かしている。
感情は「内なる体験」ではなく、「関係の中の出来事」
Mesquitaが本書で最も強調するのは、「感情は個人の内面の状態ではなく、社会的・文化的関係の中で生じる“対人的現象”」という点である。
たとえば、「怒り」という感情は、アメリカでは自己主張や正義の主張と結びついて「正当な怒り」とされることが多い。一方で、日本やアジアの文化圏では、怒りは集団の調和を乱すものとして抑制される傾向が強い。つまり、同じ「怒り」であっても、「何を意味するか」「どう表現すべきか」は文化によって大きく異なる。
Mesquitaは、こうした感情の違いを「文化的脚本(cultural scripts)」と呼び、それぞれの文化が特定の社会的価値観にもとづいて感情を構成していると述べている。
「構成主義的感情理論」──Lisa Feldman Barrettとの接点
Mesquitaの文化構成主義的立場は、神経科学者リサ・フェルドマン・バレット(Lisa Feldman Barrett)の理論に大きな影響を受けている。

バレットは代表作『情動はこうしてつくられる』の中で、次のように述べている。
“Your brain uses past experiences, organized as concepts, to guide your actions and construct your experiences, including emotions.”
(あなたの脳は、過去の経験を「概念」として整理し、それを使って行動を導き、経験──感情を含む──を構成している)
つまり、私たちが「怒り」や「悲しみ」と感じるとき、それは決して本能的・普遍的な反応ではなく、脳がこれまでの経験に基づいてその瞬間の状況を「概念」で解釈し、“この場面ではこう感じるべきだ”という経験を構成しているということである。
Mesquitaの視点は、この「意味づけ」の素材となる“過去の経験”が、個人の記憶だけでなく、文化的に共有されたスクリプトや価値観によって形づくられていることを強調する。
すなわち、
- バレット:「感情は、脳が“概念”を使って構成するもの」
- メスキータ:「その“概念”は、文化の中で育まれるもの」
というように、両者の理論は「感情とは生まれつきの反応ではなく、構成されるものだ」という点で一致しつつ、その構成要素が「脳内の過去経験」か「文化的実践」かという焦点の違いによって、見事に補完し合っている。
豊富な事例:文化ごとの「感情の地図」
『文化はいかに情動をつくるのか』の魅力は、理論だけでなく、実際の文化比較の事例が豊富に紹介されている点にある。いくつか印象的な事例を紹介する。
アメリカと日本の「恥」の捉え方の違い
アメリカの若者にとって「恥」は自己評価を下げるネガティブな感情であり、避けるべきものである。一方、日本では「恥」は社会規範を内面化した健全な感情であり、他者との関係を保つために重要視される。
→ 同じ「shame」でも、文化的な「感情の地図」によってまったく異なる意味になることがわかる。
トルコの「gücenmek(グジェンメック)」
トルコ語には、「gücenmek」という特有の感情語がある。これは「侮辱されたことで心が傷ついたが、それを直接表現するよりも静かに距離を取る」といった、非常に対人関係的な感情である。アメリカ文化には直接対応する言葉が存在しない。
→ 言語は感情の多様性を支える重要な要素であることを示している。
「私とあなた」の間に感情がある
Mesquitaは本書のタイトル『Between Us(私たちのあいだ)』に込めたように、「感情とは私の内側にあるものではなく、私とあなたの“関係”に生まれるもの」であると繰り返し述べている。
この視点は、セラピーやコーチング、ボディワークの場面にも通じる深い洞察である。たとえば、クライアントが「不安」と言ったとき、それは単に個人の内部状態というよりも、「誰に」「何に対して」どんな関係性の中で生まれているのか──そこに注意を向けることで、まったく異なる理解と介入が可能になる。
感情の“多様性”と“柔軟性”を知ることの意味
MesquitaとBarrettの理論は、共に感情を「固定された反応」ではなく、「文化や文脈によって柔軟に変化する構成物」としてとらえ直す視点を与えてくれる。
この視点を持つことは、次のような実践的な意味を持つ。
- 自分の感情に対して、より寛容になれる
- 他者の感情に対して、より理解的になれる
- 「感情=自己の真実」という固定観念を手放せる
- 異文化理解や対話において、感情を翻訳する力が育つ
おわりに──“関係性の感情”を生きる
私たちは、感情を「私の中にあるもの」と考えがちであるが、実際にはそれは常に「私たちのあいだ(between us)」にある。
本書を通して強く感じたのは、感情を通じて私たちは常に誰かとつながろうとしているということ、そしてその感情のかたちや意味づけは、文化という見えないレンズを通して構成されているということである。
感情を“自己の内側”ではなく、“関係の中”でとらえ直すこと──それは、現代の多様性ある社会において欠かせない感性である。
感情の文化的構成に関心がある方には、
リサ・フェルドマン・バレットの『How Emotions Are Made(感情はこうしてつくられる)』をお勧めしたい。この本の要約は、ブログ記事にしているので、ご興味のある方は、チェックくださいね!
さらに、感情と身体、文化と神経科学の交差点に関心がある方には、私のセッションや講座の中でも詳しく紹介しているので、どうぞ気軽にご相談いただきたい。