【B#22】見える人と見えない人の世界観
ここ最近、ロルフィングの予約が入っていない時に
- 人と会うこと
- 本を読むこと
の2つを大事にしていることに気づく。人と会うことに関しては、本コラムでも触れてきたので、もう一つの本について触れたい。
帰国直後の2015年4月26日(日)、友人2人と一緒にDialog in the Dark(ダイアログ・イン・ザ・ダーク、以下DID)のイベントに参加した(【旅コラムVol.154】参照)。本イベントは、真っ暗闇の中、視覚がなくなった環境下というのがどういった環境なのか?視覚障害者とともに探っていく。立場が逆となることで、世の中や世界観が変わるのが面白い。関連書籍を含め旅コラムVol.154】に紹介しているので、是非チェックしていただきい。
今回「目の見えない人は世界をどう見ているのか?」という本を紹介したい。
著者は、健常者が8割近く依存している視覚を失った視覚障碍者がどのようにして空間認識しているのか?感覚をどのように使っているのか、身体の使い方やコミュニケーションの方法等、欠点としてみるのではなく、健常者とは違った世界観で物事を捉えるという視点で語っているところがいい。
それは、
「障害者の体を知ることで、これまでの身体論よりもむしろ広い、体の身体の潜在的な可能性まで捉えることができるのではないか」
という言葉に現れていると思う。
自分で説明するよりも著者の言葉を紹介した方がいいので、下記に列挙したい。
- 見える人は三次元のものを二次元かしてとらえ、見えない人は三次元のままとらえている。つまり、前者は平面的なイメージとして、後者は空間の中で捉える。
- なぜなら、視覚を使う限り「視点」というものが存在するからです。視点、つまり「どこから空間やものを見るか」です。「自分がいる場所」(略)「私の視点から見た空間」となる。
- 見えない人は、物事のあり方は、「自分にとってどう見えるか」ではなく、「諸部分の関係が客観的にどうなっているか」によって把握しようとする。その客観性こそ、見えない人特有の三次元的な理解を可能にしているものでしょう。
- 見えない世界では、サーチライトの役割を担うのは目ではなく、足なのです。自分が立っているそこが土なのか、絨毯の上なのか、傾いているのか、平らなのか?体重をかけていいのか?まずいのか?
- 足をサーチライト的に使うとはどういうことか、見える人でも味わえるスポーツがあります。ボルダリングです。
- 足は、運動と感覚の両方の機能を持っているのです。地面の状況を触覚的に知覚しながら体重を支え、さらに全身を前や後ろに運ぶものである足。
- 見えない人の頭のイメージは、見える人の頭の中のイメージよりも「やわらかい」のではないか。そう感じることがあります。見えるとどうしても見えたイメージに固執しがちですが、見えない人は、入ってきた情報に応じて、イメージを変幻自在にアップデートできる。つまり、イメージに柔軟性がある。そんなふうにみえる。
さすが、科学者ならでの視覚障碍者から聞き出した情報に基づいてどういった五感の使い方があるのか?が視覚障碍者を欠点としてみるのではなく、あくまでもニュートラルにみるとこうも違った形で見えるのかと感じて興味深い。
ロルフィングは、五感をいかにして呼び起こすか?という視点が大事になる。見える世界と見えない世界からみた五感の使い方を除くと、身体の可能性を感じる。これからも、いろいろな視点から身体について考えていきたい。