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【B#164】司馬遼太郎さん+「坂の上の雲」への想い〜瀬戸内海の旅④〜

はじめに

東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。

2024年7月26日の1630頃、松山空港に到着。2024年7月26日〜7月31日の5泊6日で、瀬戸内海(松山、尾道、広島、岡山)の4都市を巡る旅をスタートさせた(旅の企画の模様については「旅の企画+4都市を巡って感じたこと」に書いた)。

今回は、旅の2日目(7月27日)のうち「坂の上の雲ミュージアム」についてまとめたい。その前後に伺った真民さんのゆかりの地(重信川と道後宝厳寺)については「坂村真民さんと砥部町+道後宝厳寺」に詳しく書いた。

司馬作品との出会い〜帰国子女と日本への関心

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」と出会ったのは、1990年代後半のこと。父が司馬さん大ファンで様々な歴史小説を手に取っている。大学受験の浪人時代に司馬さん「竜馬がゆく」を読んで以来、当時夢中になって司馬作品を集中的に読んでいた。

その中で「坂の上の雲」はピカイチで、世界の中で近代日本がどのように発展していったのか?理解を深めるきっかけを与えてくれた。何しろ、今まで学んだことのない日本の歴史の面白さ、国内の多様性、世界の中で日本の独自性等、疑問に思うことに対して答えてくれたからだ。

日本文化への関心は、父の仕事の都合上、1977年から1984年に米国・ロサンゼルスに滞在したことに発す。米国の文明を知ることで、日本とは何か?を外国人にも説明できるようならねば!と思うようになる。

高校時代までは、読書の習慣がなかったが、大学受験に失敗。中でも共通一次の国語の点数が33点(200点満点)と最悪で、これはなんとかせねば、国立受験ができない!という想いから読書をするようになる。たまたま父の書棚に司馬作品の作品があったので、手にとるようになる。

余談になるが、その後1年間、継続的に読書を行う習慣を取り入れた結果、翌年のセンター試験で、106点(200点)にまで点数が上がり、東北大学の合格に繋がった。

司馬作品の歴史観〜戦争の体験が原点

さて、司馬さんは、独自の歴史観(司馬史観と呼ばれる)を持っており、様々な文献を読み込んだ上に、多角的な視点で歴史を語るところが面白い。司馬さんは、陸軍兵士として第二次世界大戦に参戦。敗戦を経験。陸軍内で理不尽な扱いを受けたことから。。。

なぜ、こんなくだらない戦争をしたのか?なんとくだらないことを色々してきた国に生まれんだんだろうと考え、昔の日本人は、もう少しましだったのではないかという思いから小説を書いているのが原点になっている。第二次世界大戦の頃の日本を悪、それ以前の日本は多様性に富んだ歴史といった視点が現れる傾向がある。

このため、司馬作品の昭和時代のものは暗く、読むのが耐え難い傾向がある。一方で、明治時代のものは明るく、こちらまで元気にされてくれるものだ。

坂の上の雲と明治時代

「坂の上の雲」は、松山出身の3名(正岡子規、秋山好古、秋山真之)の立身出世の物語を通じて、近代日本が明治維新からどのように国づくりを営み、最終的に日露戦争にどのようにして勝ったのか?当時の世界情勢を中心に語っているのが興味深く、何度も読んでいる。

誰にでも博士や官吏になれたのが明治時代。正岡子規は、新聞記者となり、近代俳句、短歌、文章の革新に力を注ぎ、秋山真之は海軍の中に戦略を持ち込み、近代戦術の基礎を確立、秋山好古は草創期の陸軍の中で騎兵を育てることで、日露戦争の激動期を駆け抜けていく。司馬さんの文章が素晴らしいので一気に読める。

このような背景もあり、松山市を訪れた際、坂の上の雲ミュージアムがあると聞き、真民さんのゆかりの場所を訪れる間にミュージアムを訪れることになった。

「坂の上の雲」ミュージアム〜連載の記事まで

ミュージアムの設計を行なったのは、建築家の安藤忠雄さんだった。ミュージアムのパンフレットには、安藤さんは以下のように設計した意図を語っている。

「今回、「坂の上の雲」の計画にあたって最も表現したかったのは、正岡子規、秋山好古・真之兄弟など、司馬遼太郎さんが愛した、自由の心を持ち「公」のために命をかけた明治の日本人たちの、力に満ちた時代精神です」

「建物は城山公園と市街地の境界部分に位置し、来館者は三角形を描くスローブで繋がれた展示室を、回遊式庭園を楽しむように上がっていきます。歴史と共に回遊しながら、明治の精神を感じ、一人一人が思索することのできる空間となるよう心がけました」

「この施設が、多くの人々に愛され、柴さんの志に恥じない、真の意味での「公」のための文化施設となることを、心から願っています」

さすが、安藤さんのデザインによって完成されたミュージアムだけあって、各フロアの展示物を集中的に見ることができた。2階は、ショップやラウンジ、明治時代の書籍などを紹介。3階は、近代国家へと歩み出した日本の特徴を資料とともに展示。4階は、小説に登場する三人の主人公のエピソードが展示。

特徴的なのは、司馬さんの生原稿や、小説の一部を写真を含めて説明しているところで、松山市から三人の才能がどのように生み出されたのか?江戸時代から明治にかけて彼らがどのような教育をうけ、世界に羽ばたいていったのか?思わず、立ち止まって読んでしまうそういった雰囲気があった。

圧巻は、産経新聞に連載された「坂の上の雲」の初回から最終回までの記事を壁紙に展示されていたことだ。思わず、これはすごい!という気持ちにさせてくれ、1968年4月22日から1972年8月4日まで1296回分がいかに膨大だったか。。。よく理解できた。

まとめ

今回は、旅の2日目(7月27日)のうち「坂の上の雲ミュージアム」を訪れた模様を中心に、司馬遼太郎作品との出会いを含め紹介した。

少しでもこの投稿が役立つことを願っています。

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