【B#72】哲学(1)〜超自然的原理と反哲学〜西洋独特な哲学はどのようにして生まれたのか?
アメリカのロサンゼルスに幼少期に過ごし、アメリカで小・中学校の教育を、
「どのような教育を米国は提供しているのか?」
欧米で発展したサイエンスを日本の大学で学問(分子生物学)として、
「どのようにして新しい知識が生まれるのか?」
という観点
と
外資系の製薬会社で、
「どのようにして新しい知識が商品=人類の貢献に結びつくのか?」
という、3つの側面から貴重な経験をすることができた。
欧米には根底に流れる思考の方法=世界観というものがある。
その世界観を追うものを彼らは「哲学」という学問を通じて体系化している。
驚くべきことに、ヨーロッパのドイツで受けた、ロルフィングの基礎トレーニング期間中にも、一見無関係にみえる哲学が登場。
例を挙げると、デカルト、フッサール、メルロ=ポンティ、ハイデッカー、ゲーテを含め、現象学、構造主義、ゲシュタルトなどの人物や用語等。
Rolf Institute of Structural Integration(米国ロルフ研究所)が発行している科学誌には、身体についての哲学が語られているものも多数あり、ロルフィングが欧米由来であり根底には哲学があることを強くうかがわせるものを感じることができた。
又、フェイズ2のGiovanni Felicioni先生は絵画とその背景となる哲学や現代思想に造詣が深く(例えば「絵画史と身体(1)〜西洋絵画史からみる身体の見方」参照)、Tonic Functionの説明の中に、ギブソンのアフォーダンス理論も出てくる。
私自身、西洋の哲学=世界観に流れる歴史はどうなっているのか?以前より興味があった。それは、ボディワークのロルフィングの効果を知る上でも有用だが、西洋と東洋の思想の違いにもつながっていくと思う。
そしてヨガにもヨガ・スートラという哲学があるように、ロルフィングにも哲学(現象学、構造主義)があるので、それについて深く考えたいというもある。
そこで、いつものように「哲学」についての本を手に取り、色々と調べてみた。そこで、何回かに分けて本から学んだ西洋哲学について書きたい。
まず
「西洋に独特なものである」
という視点から日本の哲学者が書いた本がある。
木田元さんの「反哲学入門」だ。
木田さんの哲学観は独特だ。
例えば、
「人生観とか世界観とか道徳思想とか宗教思想と哲学とは無関係ではないまでも、決して同じではありません。そういうものなら、日本にだってあるわけですが、誰もそれを「日本の哲学」とか「日本の哲学思想」と呼びません。
(略)
哲学は、それらの材料を組み込む特定の思考様式で、どうやらそれは「西洋」という文化圏特有のものとみて良さそうです」
と述べており、哲学というのは一つの固有の文化であるという、私が世界一周中に感じたことを述べている。
それを前提として、
「何からの超自然的原理を設定し、それを参照しながら、存在するものの全体を見るようかなり特定の思考様式だ」
と「思考様式」について言及している。
では、日本やそれ以前に古代ヨーロッパでそれとは、違う考えがあったのかどうか。
実は、日本やソクラテス・プラトンの前の古代ギリシャ人は、
「存在そのものの全体」=「自然」
と呼び、
少なくとも、
「存在そのものの全体」=自然を超えた「超自然的な存在」
が自然を作り上げる
とは違った考え方をとっていた。
この考えは、人間を特権的な位置に立って自然を支配するのではなく、自然の中に生きて、自然にかえる、つまり生成消滅する自然の一部という考えにつながり、おそらく日本人には馴染みのある考え方だと思う。
古代ギリシャ人も「万物が自然」と表現していた。
転機が訪れたのは、ソクラテス・プラトンが登場してからだ。
ソクラテスによって「万物が自然」などといった自然にまつわる知の体系を全て否定し、一度古代ギリシャ人の世界観がリセットされ、哲学という名の学問を作る。
そして、ソクラテスの刑死後、弟子の一人であるプラトンがその遺志を受け継ぎ、「超自然的な原理」という考えを作り上げる。
興味深いことに、ソクラテス亡き後、プラトンは、世界の放浪の旅に出かけ、様々な思想と出会ったという。
例えば、
エジプトや北アフリカに立ち寄り、
ユダヤ教=信仰する唯一の神によって創造される世界
や
ピュタゴラス教団の信仰する「数」による自然を超える数字の原理(一種の数秘術)
に触れ、
彼独自の<イデア>という考えにたどり着く。
それは、生成しなければ消滅もしない<イデア>という超自然的な原理を設定。「自然」はそうした原理に則って形成される、単なる材料(質料)であり、物質に過ぎないという考え方であり、その考えをアカデメイアという学校を通じて展開していく。
すごいのは、その後、1800年後半までこの考えが西洋を支配。著名な哲学者によって「超自然的な原理」が言葉を変えつつ、受け継がれていく。
例えば、アリストテレスは、「純粋形相」、キリスト教神学では「神」、デカルト(及びカント)は「理性」、そしてヘーゲルは「精神」と、それぞれ「超自然的原理」を言葉で説明していく。
そして、「超自然的な原理」を追求した哲学を「プラトニズム(プラトン哲学)」(メルロ=ポンティは「反哲学」といった)と表現したニーチェが、それを批判、解体するまで2500年近く続くことになる。
その流れに乗って、マルクス、フッサール、メルロ=ポンティ、ハイデッカーやサルトル等が東洋思想に近い「自然的な思考」=「生きている自然」をベースとした哲学を展開するようになる。
次の「西洋哲学における「主観」「客観」の意味とその関係」には、反哲学となった時代以降の哲学について、そしてロルフィングがどのような形でこの思想に影響を受けているのか?書いている。
ご興味がありましたら、チェックください。