【B#61】科学の世界で学んだこと〜自分の基準を持つために必要な「感性」と「論理」
私は、2003年まで基礎医学の研究機関(東京大学大学院医学系研究科で博士課程、日本医科大学老人病研究所で博士研究員)で博士を取得し、その後、博士研究員として2年間働いていた。
その間6年間。所属していた研究機関は、超一流の生命科学雑誌である、Cell、Science、Natureに発表する研究者を輩出。その研究室出身から何人も教授が生まれているので、本当に科学の最前線で自分の能力のレベルを図る上で、適したところに所属した幸運に恵まれた。
科学者から方向転換したわけだが、
「同じような実験技術を持っているにもかかわらず、一流と二流の研究室を分けるものは何か?」
当時はついていくだけで精一杯だったが、今振り返ると、
「自分が大事にすべき基準を信じて前に進めていくこと」
の大切さを学ぶことができた。
科学は、「新しいこと」を発見するために、仮説を立て、実験を行う。試行錯誤を繰り返した上でデータ集め、ストーリーとして組み立てた上で、論文として発表していく。
そのプロセスは、
「無」から「有」を発見していく
という創造性が求められる。
そのため
「新しいこと」は何か?
という基準が必要となる。
いかに論理的に「新しいこと」はこうだ、と説明しても、指導教授に論破される日々。どのようにしていったらいいのか?深く考える機会が与えられた。
その結果、基準を考える際には、センス=感性と論理的思考の両方が必要となることがわかった。
一流の研究室に所属していると、
「世界の研究の最前線でどのような基準が必要とされるのか?」
指導教官からその「感覚」=「センス」を学ぶことができるので、自分なりの基準が出来上がっていく。
1986年にノーベル医学・生理学賞を単独で受賞した利根川進さんが対談本「精神と物質〜分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」には、
「結局科学というのは、自然の探求の訳ね。ところが、ネイチャーというのはロジカルではないのです。特に生命現象はロジカルじゃない。ロジカルに出来ていれば、理詰めで考えていけばわかるはずだけど、そうではない。ネイチャーが今こうあるのはたまたまそうなっているというだけの話なの。生物の世界というのは、何億年にもわたる偶然の積み重ね、試行錯誤の積み重ねで今こうなっているということであって、こうなった必然性なんてないわけです。ネイチャーはこうなっているんだろうといろいろ仮説を立てるわけです。一方それが当たる人と全然当たらない人といるわけです。それが当たる人、つまりその人の自然観が本当のネイチャーに近い人ほどセンスがいいということなのです。」
とセンスについて語っている。
又、京セラを立ち上げ、日本航空を立て直した経営者として知られている稲盛和夫さんの「生き方〜人間として一番大切なこと」では、似たようなことを述べている。
「この宇宙のどこかに「知恵の蔵(真理の蔵)」ともいうべき場所があって、私たちは自分たちも気づかないうちに、その蔵に蓄えられた「知」を、新しい発想やひらめき、あるいは創造力としてその都度引き出したり、汲み上げたりしているのではないか
(略)
必死になって研究に打ち込んでいるときに、その叡智の一端に触れることで、創造性を発揮して成功の果実を得ることができたのではないか。」
私は、センスというのは、ある意味で叡智に触れる、感性の一つであり、
「心から動かされる」
経験(挫折や感動、真剣に自分と向き合う経験を含める)をたくさんしているかどうかによって決まってくるのではないかと考えている。そのため、心が動かされる芸術に触れることも大事だと思っている。その詳細については「科学とアートの世界~発信や感性、情緒といった共通点など」に触れた。
世界的に有名だった数学者の岡潔氏は「人間の建設」では、
「数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないことを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者が皆その結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だといないということが初めてわかったのです。実際考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。人には知情意と感覚がありますけれども、感覚はしばらく省いておいて、心が納得するためには、情が承知しなければなりませんね。だから、その意味で、知とか意とかがどう主張したって、その主張に折れたって、情が同調しなかったら、人は本当にそうだと思えませんね。そういう意味では、私は情が中心だと言ったのです」
と数学と情について語っている。
論理的に組み立てるというのはある意味で、心が納得し、情が承知させるためのもの。
そのためには、
「論理を使って準備をして、感性で実行する」
又は
「論理を使うことで、結果的に感性が伸ばされる」
が重要で、論理と感性のバランスが自分の中の基準=軸を見つける秘訣のように感じている。
私は、ロルフィングに関わるようになってから、2年。
解剖学を含め、身体について1000時間近く学んでいるが、いつも セッションに臨むにあたって、一旦知識というのを手放し、いかにして、その人と信頼を持ってつながっていくのか?という感性の部分を重視。
そのような結果、セッションを提供中、自分の軸がぶれることなく、うまく進められるという実感がある。
まだまだ、セッションから学びたいことがたくさんあるが、引き続き、経験を積んでいきたい。