【W#152】スリランカ(2)〜キャンディと仏歯寺
2015年6月13日。日本を出発し、スリランカに到着した時の模様については前回書いた(【旅コラムVol.161】参照)。キャンディ市のQueen Hotelにチェックイン。
翌日(2015年6月14日)、キャンディ市の仏歯寺とアイアンウッド国立公園内にあるローズ・クォーツ・マウンテンの観光を行った。
その説明に入る前に、少しスリランカの歴史について取り上げたい。
スリランカは、2,500年にも及ぶという。紀元前5世紀に最も古い先祖であるシンハラ人が北インドから移住して王朝を作る。紀元前3世紀には仏教(上座部仏教、小乗仏教)が伝わり、シンハラ人の屋台骨となる。紀元前2世紀にはヒンズー教が主とするタミル人が入ってくる。シンハラ人とタミル人はそれぞれ独自な言語を持ち、人口20,000,000人のうちシンハラ人が72.9%、タミル人が18.0%を占める。
スリランカは過去にポルトガル(16世紀)、オランダ(17世紀)、イギリス(18世紀)の植民地の下へ。そのため、スリランカでは英語が共通言語として通用する。1948年2月4日にはイギリスから独立し、当初はセイロンという国名で呼ばれた。セイロンは外国から与えられた名前であったために、1972年にスリランカという国名に改称。意味は、シンハラ語の「スリ」=光り輝く、「ランカ」=島に由来する。
1983年からシンハラ人とタミル人との間の内戦が26年間にわたって行われたが、それも終結。復興需要や観光業が発達するようになり、経済も成長し続けている。
日本との関係で興味深いのは、1951年にサンフランシスコ講和会議において、後のスリランカの首相となるジャヤワルダナ蔵相が
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、憎悪をすてることによって止む」
というブッダの言葉を演説で引用。アジアにとって日本の存在は重要であると考え、対日賠償請求を放棄し、国際社会への復帰がすぐにできるように助けていた。意外に知られていない事実でここに来て初めて知った。スリランカは日本にとって中国、インドに次ぐ経済援助国で、そのことをスリランカ人は忘れていないため、国全体が親日的である。
今回、最初に訪れたキャンディ市は、スリランカにある7つの世界遺産のうちの一つ。スリランカの中央に位置し、シンハラ人による最後の王朝の都とも言われている。仏教の聖地の一つで、ブッダの犬歯が納められている仏歯寺(Temple of the Tooth)がある。
この寺にブッダの犬歯が運ばれたのは、ブッダの入滅後、4世紀。王都が移動する毎に仏歯も移動。現在の仏歯寺に納められた。仏歯寺に入ったのが、午前9時頃。Queen Hotelの対面に男女別の入り口に入るところからスタートした。
仏歯寺の内部は思ったよりも派手でない装飾で飾られているが、タイのお寺と違ってなんだか非常に落ち着く印象を受ける。
仏歯寺の周辺を観光した後に、蓮の花をお供えをした。
興味深かったのは、お寺の中に図書館があり、シンガラ語で書かれたお経が納められている。
仏歯寺には、仏歯が納められている部屋がある。
1日に3回プージャという礼拝があり、運良く早朝の部の礼拝の模様を見ることができた。この時だけは仏歯が納められている部屋の扉が開かれる。
太鼓の音とともに1時間続くという。ごく触りのところを見た後に、お寺の途中に猿を見つつ、象の剥製を見ることもできた。
駆け足で、キャンディ市にある仏歯寺を紹介してきた。現地ガイドによると仏教とは宗教ではなく、あくまでも哲学。スリランカ人にとって仏教というのは生き方の指針みたいなものとのこと。お寺を去るころには、現地の人たちで長蛇の列を見るにつれて、スリランカの人々に仏教に占める位置の大きさを感じることができた。
次回はアイアンウッド国立公園内にあるローズ・クォーツ・マウンテンとその翌日に訪れたシーギリア・ロックについて紹介したい。