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【W#138】モロッコ(7)〜カサブランカ

カサブランカといえば、第二次世界大戦中の1942年に公開されたハリウッド映画「カサブランカ」を思い起こす。今回の旅では、バスの中で映画「カサブランカ」を見ることができた。この映画を観るのは3度目。当時、カサブランカはナチス・ドイツの影響下にあったフランスのヴィシー政権の支配下に置かれていたが、ドイツの支配から逃れてきた人たちが、カサブランカから中立国のポルトガルを経由してアメリカに渡ることを夢みていた。この映画は基本ラブストーリーなのだが、米国の枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)との戦争に入っていたため、米国はこの映画を通じて、ドイツを悪役に仕立てることによって戦争のプロパガンダを行っていたことがよく分かる作品だ。
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余談になるが、この原稿を書いている段階でモロッコを離れ、スペインを経由してポルトガルのリスボンに訪れているが、その滞在期間中にドイツの支配から逃れてきた王族等が住んでいた場所を見ることができた。本コラムではリスボンについて書く際に触れたい。
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なお、映画「カサブランカ」の舞台となったリック・カフェは、カサブランカで見ることができる。
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カサブランカは、スペイン語でカサ(家)、ブランカ(白)から「白い家」という意味。人口は410万人とモロッコ最大の都市であり、モロッコの商業・経済の中心として栄えている。紀元前10世紀の頃から人は住んだと言われているが、本格的に都市として再建されたのが、ポルトガルの支配の時代の1515年。Casa Branca(ポルトガル語で白い家)という名が付けられた。残念なことに、1755年のリスボンの大地震によってポルトガル人が去り、モロッコ王朝によって統合された。
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18世紀から19世紀にかけてスペインや列強との貿易で人口も増えていくが、世界が列強により植民地化される過程で、カサブランカも1912年フランス領になる。フランス保護領の初代提督のウベール・リヨーテによってカサブランカの都市が整備されることになる。やがて、フランスのヴィシー政権に引き継がれ、連合国によって北アフリカを占領。1943年、カサブランカでは、米国のフランクリン・ルーズヴェルト大統領と英国のウィンストン・チャーチル首相との間で会談が行われている。
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自由フランスの支配を受けたのちに、1956年、フランスからモロッコは独立する。アルジェリアやチュニジアとは違って、44年で独立を果たすことになる。その際にモロッコ王国となるのだが、王族との関係については、次回ラバットを取り上げる際に触れたいと思う。
カサブランカは大西洋に面している都市で、マラケシュの「赤の都市」に対して「白い都市」。マラケシュとフェズとは違った雰囲気を感じたが、この都市はどちらかというと近代都市でヨーロッパに近い。
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カサブランカに滞在したのはわずかだったが、その間ハッサン2世のモスクを外から見ることができた。
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全て国民の寄付によって建設費が賄われ、8年かけて建設された。3大モスクともいわれ、非イスラム教徒も見学可能だ。海の上に建てられており、大西洋に面している。次に90km離れたラバトについて取り上げる。

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