【W#135】モロッコ(4)〜マラケシュ(1)〜市内観光
2015年4月3日、フェズからマラケシュに向けて出発した。520km近くを高速道路で、2時間半おきに休憩をとりつつ向かった。午前8時出発の午後4時半頃到着の日程であったが、緑の多い景色に驚いた。
バスの道中に学校を幾つか見かけることができた。私立の学校を除き授業料は無料。CIA Handbookによると、モロッコの人口は3,300万人。そこの中で、若年(25歳以下)の人口の占める割合は約45%と高い。先生が不足していることから、授業も生徒がまとまった形で何度か(時間帯を変えて)交代することで対処しているらしい。参考に識字率は男性で76%、女性で50%だ。これでもだいぶ改善されている。今回お世話になった現地の観光ガイドによると、1999年に現国王のモハメド6世に変わってからは中産階級も台頭してきて10年前の中産階級の割合が25%だったのに対して、現段階で57%に上がったらしい(中産階級とは、月に1,000ユーロ以上稼ぐこと)。
さて、フェズからマラケシュへ移動中の周辺には化石が見つかることがあり、道路の休憩所には化石が売っていた。
そして、休憩所には祈りの部屋も。
マラケシュに到着すると、フェズと違う街並みの雰囲気を感じることができた。マラケシュは別名「赤い街」。建設当時に赤い土の日干しレンガを使って建てられたために街全体が赤い(フェズは茶色の街)。マラケシュの語源は、泥棒が多かったため、モラ(通る)ケシュ(早い)街から由来している。
フェズから遅れること約300年。1070年にフェズからマラケシュに首都が移動した際に建設。マラケシュはオアシスであったため、灌漑路の整備を含めた都市化を進めた。水はアトラス山脈からの雪解け水をマラケシュまで引っ張ってきている。
参考にマラケシュの人口は、約90万人で、カサブランカ、フェズ、ラバットに次いで4番目の都市だ。
フェズ、マラケシュ、カサブランカ、ラバットの全ての街で目立っていたのが、道路の所々にあったFountain(泉)。水を得るのが難しい砂漠で育ったイスラム文化において水が重要であるということが伝わって来るまちづくりになっている。
マラケシュは他の都市と同様城壁があり、城壁内の旧市街と城壁外の新市街を分けている。
マラケシュで有名なのはジャマ・エル・フナ広場。ジョン・F・ケネディが1963年に暗殺された後、未亡人のジャクリーン・ケネディが真っ先に訪れたのがマラケシュ。彼女が最も気に入っていたのがこの広場だったらしい。この広場は、都市化された11世紀から存在する非常に伝統的で交易と文化の中心として栄えてきた。蛇やサルの大道芸人、刺青を入れる人、歯を抜く人など様々な人がいて、食べ物のマーケットや土産屋で賑わっている。
また良かった点として、マラケシュに到着して初めてラクダを観れたこと。ラクダのしゃがむ姿がかわいらしかった。
マラケシュの郊外にオーリカ渓谷(Ourika Valley)がある。そこで生活するベルベル人の家を訪問したので、次にそこでの体験について書きたい。