【W#130】グラナダ〜アルハンブラ宮殿
いよいよ、トレドからバスで南へ。グラナダという街に着いた。スペインで言えばアンダルシア地方と呼ばれるこの地域。ここにはオリーブの木がたくさん植えられており、世界の50%のオリーブの生産の主要な役割を担っている。バスの移動中にオリーブの木は何度も見かけることができた。
ここでのハイライトは、アルハンブラ宮殿(スペイン語でla Alhambra:赤い城塞という意味)。今回の旅では、スペイン、モロッコとポルトガルの旅であり、キリスト教徒が本宮殿を奪還する前の支配者のモロッコの歴史に初めて踏む込むといってもいい。そして、1492年に陥落する前までは最後の砦としてモロッコ王朝にとっても最も大事な拠点だった。
7週間前には予約が一杯となってしまうという人気のスポット。当日券を得るため、午前4時頃から並ぶこともあるそうだ。ただし、確実に取得できるとは限らないらしい。
ちなみに、ローカルガイドによると早朝からは、日本人団体観光客が集中するらしい。実際に見ることができたが、中国や韓国の観光客も見かけることができた。
アルハンブラ宮殿は、外敵から守るという城塞の性質の他、住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていたらしい。
アルハンブラ宮殿は、午前8時半にローカルガイドを伴って宮殿の方に入場。チケットは合計で5回程チェックを受けながらの見学となる。
入 口を入ると、アルハンブラ宮殿よりも高い建物が右側に目立っている。1492年にキリスト教徒勢がアルハンブラ宮殿を陥落させた後、意図的に宮殿よりも背の高い、しかも外面に装飾を施したデザインでカルロス5世宮殿が建設される(下の写真で右側の大きな建物がカルロス5世宮殿)。
カルロス5世宮殿は、王家の避暑地として使われた。宮殿見学後この建物を訪れたが、正方形の建物の中央に、 円形の中庭を設けるという設計になっており、美しい。
スペ インのルネサンス様式の傑作の一つと呼ばれるこの建物で、アルハンブラ宮殿をとともに見るとキリスト教の文化とイスラム教の文化の対比を見ることができて 面白い。というのも、イスラム教は【旅コラムVol.xxx】で触れたが、キリスト教の建物と違い、外面よりも内面重視のデザインをとるからだ。
イスラム教の建物の特徴は水道設備が整備されていること。砂漠の多い地域でイスラムは普及したことというのもあり、水をいかにして建物に取り込むのか?が一つの課題だった。アルハンブラ宮殿の場合も、雪解け水をセアラ・ネバダより引いてきている。
さて、アルハンブラ宮殿を前に進んでいくと、天井が彫刻が施されており、これは最も驚くべきことはタイル。一枚一枚手作りで職人によってはめ込まれているらしい。
偶像崇拝が禁止されているため、内装に人物像の代わりに幾何学的な模様やアラビア文字の入った彫刻が施されている。
イスラム教の建物は基本的に床に絨毯を広げるため、自然と天井周りにも凝ったデザインになっていく。
宮殿で有名な二つの中庭には、ライオンの中庭がある。噴水がいかにイスラム教において大切か、ということがよく分かる。
ライオンの中庭の隣には大きな部屋がありベッドルームとして使用。それにしてもその天井の姿がまるで鍾乳洞に見える(このデザインのことをムカルナスという)。
おまけにステンドグラスの装飾も天井にある。
興味深かったのは、宮殿の中にイスラム式のハマム(風呂)もあることだったが、これは現在修復中だが、当時の豪華さを感じられる。
最後に宮殿を出る前に、キリスト教徒がアルハンブラ宮殿を奪還後に付け加えた部屋へ。全く違った雰囲気を感じさせる空間に思えた。
外を出て、しばらく歩くと、ヘネラリーフェ(El Generalife:「天の楽園」という意味)と呼ばれる王族のための離宮がアルハンブラ宮殿の反対側に隣接している。
ヘネラリーフェからは、アルハンブラ宮殿を見渡すこともできる。
ヘネラリーフェにある庭園が美しく、イスラム庭園の傑作と呼ばれているアセキア中庭もここにはある。最も印象に残った場所だ。
観光時間は合計で3時間。まだ語りたいことは山ほどあるが、アルハンブラ宮殿の雰囲気は伝わったと思う。現在モロッコのマラケシュで本コラムを書いているが、マラケシュで見ることのできた宮殿とそっくりだという点。まさか、こういったイスラム教徒の建物がスペインで観れるとは夢にも思わなかった。スペイン人がこの建物を保管したのは、おそらく彼らのルーツにイスラム教があり、その文化を尊重してきたということだと思う。イスラム教は隣国のモロッコがもたらしたものである。モロッコの旅の模様についても本コラムでも書いていく予定のため、今後この建物と比較しながら語っていきたい。