剣山への旅・3日目──正式参拝から次郎笈へ、最後は祖谷のかずら橋へ
2026年8月23日(日)、旅の3日目。
この日は、今回の旅の最大の目的である剣山登山に挑んだ。
前日は、白人神社、磐境神明神社、高根資料館を巡り、剣山に「ソロモンの秘宝」が眠っているという伝説をたどった(『山に登る前に「ソロモンの秘宝伝説」をたどる』参照)。
高根資料館では、剣山の発掘に人生をかけた高根正教・三教親子の資料を見せていただき、粟飯原興禅住職から、鏡石や鶴亀岩、発掘跡について直接お話を伺った。いわば前日に、剣山をめぐる「物語の地図」を手に入れたのである。
そして3日目、いよいよ、その物語の舞台となった山へ、自分たちの足で登ることになった。
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見ノ越の劔神社で、初めての正式参拝
登山を始める前に、まず訪れたのが、標高約1,400メートルの見ノ越に鎮座する劔神社(つるぎじんじゃ)である。剣山観光登山リフトの見ノ越駅の近くにあり、剣山登山の入口を守る神社でもある。
伝承によれば、劔神社の創建は仁和年間(885~889年)にさかのぼるとされる。毎年4月29日には山開き神事が行われ、登山者の安全を祈願してきた、剣山信仰の重要な拠点である。今回、私たちは、劔神社の宮司である馬岡秀雄さんに正式参拝を執り行っていただいた。
実は、神社で正式参拝を受けるのは、私にとって初めての経験だった。
普段の神社参拝では、鳥居をくぐり、手水で身を清め、拝殿の前でお賽銭を納め、二礼二拍手一礼で祈る。それに対して正式参拝では、拝殿の内側へ上がり、神職によるお祓いや祝詞奏上を受け、玉串を奉って拝礼する。いつもの参拝とは、空間との関わり方がまったく異なる。
特に印象に残ったのが、拝殿に響く太鼓の音と祝詞だった。
太鼓の音が鳴り響くと、その振動が耳から入るだけでなく、身体全体に伝わってくる。続いて奏上された祝詞も、言葉の意味を頭で理解するというより、独特の抑揚と声の響きを、全身で受け取るものだった。正式参拝とは、理屈で理解するものではなく、空間の響きとともに全身で感じるものなのだ。
そのことを初めて体験できたのが、とても面白かった。
太鼓と祝詞の響きに包まれながら姿勢を正して座る時間は、これから登る山に対して、身体と意識の両方を整える時間になった。
前日は、剣山をめぐる数多くの伝説を聞いた。正式参拝のなかで感じたのは、知識や物語とは少し違うものだった。これから山へ入らせていただくことへの挨拶と、無事に戻ってくることへの祈りである。
剣山は観光地であり、登山の対象でもある。しかし、同時に、古くから信仰の対象となってきた霊峰でもある。そのことを、登山を始める前に身体で確認する時間となった。
劔神社で「鏡石」を見せていただく
正式参拝のあと、馬岡宮司から、劔神社に伝わる鏡石を見せていただいた。これは、事前に見ていた山口智子さんのYouTubeチャンネル「山口智子の風穴!?」の「ソロモンの秘宝伝説の証 劔神社」で紹介されていたのと似た体験だった。
前日に高根資料館で聞いた話のなかでも、鏡石は重要な位置を占めていた。高根正教は、剣山の発掘によって、鏡のように表面が磨かれた石を発見したと主張した。それを自然石ではなく、何者かが加工した人工物と考え、剣山の地下に人為的な構造物が存在する証拠の一つと捉えたのである。
高根側の記録では、発掘された石の大部分は当時の当局に持ち去られ、その一部だけが残されたとも語られている。もちろん、その石が本当に古代の人工物であるのか、ソロモンの秘宝や古代イスラエルと関係しているのかは、学術的に確認されていない。それでも、前日に写真や資料を通して知った鏡石を、翌朝、登山口の神社で実際に見せていただくことができた。
資料として知ることと、現物を目の前にすることは違う。石そのものが何を証明しているかとは別に、高根親子をはじめ、多くの人々がこの石に意味を見いだし、剣山の地下にある何かを想像してきた。その物語の一端に、直接触れることができたように感じた。
登山リフトで、見ノ越から西島へ
正式参拝を終えたあと、剣山観光登山リフトに乗り、登山口の「見ノ越駅」から「西島駅」へ向かった。リフトの全長は830メートル。見ノ越駅から西島駅までの高低差約330メートルを、およそ15分で上っていく。登山リフトといっても、スキー場にあるものと同じような一人ずつの座席で、周囲を覆う屋根や窓はない。
そのため、上っていくにつれて変化する植生や山の空気を、直接感じることができた。眼下には見ノ越周辺の景色が広がり、背後には四国山地の山々が見えてくる。剣山は標高1,955メートルで、石鎚山に次ぐ西日本第2の高峰である。それでも、日本百名山のなかでは比較的登りやすく、登山初心者から経験者まで多くの人が訪れる。
その大きな理由の一つが、この登山リフトである。標高約1,750メートルの西島駅まで一気に上がることができるため、そこから自分の体力や目的に合わせて山頂へのルートを選べる。
西島駅から選べる三つの登山コース
西島駅から剣山山頂へ向かう主な登山道は、三つに分かれている。
一つ目は、山頂まで最短で登る尾根道コースである。距離は約900メートル、所要時間は約40分。階段や傾斜のある場所も多いが、短時間で山頂を目指せる。
二つ目は、大剣神社コース(大剣道コース)である。距離は約1,200メートル、所要時間は約60分。途中で大劔神社を参拝でき、少しコースを外れると、日本名水百選に選ばれた剣山御神水にも立ち寄れる。
三つ目は、遊歩道コースである。距離は約1,980メートル、所要時間は約80分。三つのなかでは最も距離が長いものの、比較的緩やかで、剣山の自然を楽しみながら歩けるコースである。
私たちは、行きは最短となる尾根道コースを使い、帰りは遊歩道コースを通ることにした。
尾根道コースで、剣山山頂へ
この日の天気は曇りだった。山頂から遠くまで見渡すには、晴れていた方がよかったかもしれない。しかし、真夏の登山という点では、強い直射日光をそれほど浴びずに歩けたため、むしろ登りやすかった。
標高が上がるにつれて空気が涼しくなり、周囲の景色も変わっていく。剣山という名前から、切り立った岩場を登る険しい山を想像するかもしれない。しかし、実際には登山道がよく整備されており、山頂部も広く、比較的なだらかである。
今回、私は普段の運動靴で登った。実際に登ることはできたものの、尾根道コースには小石や大きな石があり、上りでは足場を選びながら進む必要があった。石に足を取られたり、身体のバランスを崩したりする可能性もあるため、滑りにくい登山靴と、身体を支えるステッキやトレッキングポールがあった方が、より安全に登れただろう。
一方、帰りに選んだ遊歩道コースは、距離こそ長いものの、尾根道コースより傾斜が緩やかで、足元も比較的歩きやすかった。そのため、下りについては、尾根道コースをそのまま戻る場合ほど、滑ったり転んだりする懸念は感じなかった。
剣山は初心者にも登りやすい山ではある。しかし、「登りやすい」ということと、特別な準備をしなくても安全に歩けることは同じではない。特に尾根道コースを上る場合には、登山靴やトレッキングポールなど、山に適した装備を用意した方がよいと実感した。
西島駅を出発してから約40分。やがて視界が開け、木道が整備された広い山頂部へ出た。ついに、標高1,955メートルの剣山山頂に到着した。前日に高根資料館で写真や地図を見ながら想像していた場所に、今、自分の身体で立っている。
雲が多かったため、遠くの山々をすべて見渡すことはできなかった。しかし、山頂の広い笹原と、雲の向こうに連なる四国山地の稜線には、都市の展望台とはまったく異なる開放感があった。
当初の予定を変え、次郎笈へ
剣山山頂に到着した時点では、次郎笈まで行くことは予定していなかった。山頂から次郎笈へ続く美しい稜線を目にすると、せっかくここまで来たのだから、この先まで歩いてみたいという気持ちが湧いてきた。
そこで私は、
「ここまで来たのなら、次郎笈へ行きましょう!」
と提案した。
こうして予定を変更し、剣山山頂から約2.5キロメートル先にある次郎笈(じろうぎゅう)を目指すことになった。次郎笈は、剣山の西南西に位置する標高1,930メートルの山である。剣山山頂から次郎笈へ続く、笹に覆われた稜線は、剣山を代表する風景の一つでもある。
遠くから眺めると、稜線を気持ちよく歩いて行けそうに見える。実際には、剣山山頂から一度大きく下り、そのあと次郎笈へ向かって登り返さなければならない。見た目以上に高低差があり、意外に体力を使う道だった。それでも、笹原のなかを通る一本の登山道に引かれるように、私たちは先へ進んだ。
最後は一気に駆け上がるような気持ちで登り、次郎笈に到着することができた。
次郎笈の山頂は、剣山山頂とは違った印象だった。剣山の山頂は、木道が敷かれた広く穏やかな空間である。それに対して次郎笈は、そこへ至る稜線と登り返しも含めて、より「自分の足で山を越えてきた」という感覚が強かった。当初は予定していなかった場所だけに、到着したときの達成感も大きかった。
次郎笈の「鏡岩」を見る
剣山から次郎笈へ向かう縦走路の途中と、その周辺には、特徴的な岩が見られる。その一つが、次郎笈の鏡岩と呼ばれる岩である。
前日に高根資料館で、粟飯原住職から、剣山や次郎笈周辺にある鏡石や岩について詳しい話を伺っていた。木内鶴彦氏が次郎笈付近の鏡石を見た際、「以前に見たことがある」と語ったこと。その石は、古代に光を送るために使われたとする説。剣山には一定の周期で光柱が立つという伝承。
これらは、考古学や歴史学によって確認された話ではない。前日にそのような物語を聞いたうえで、実際に次郎笈周辺の鏡岩を見ると、自然と想像力が刺激された。岩を、地質学的な過程で形成された自然物として見ることもできる。一方で、古代の人々が何らかの目的で利用したのではないか、あるいは、この岩に特別な意味を見いだしたのではないかと想像することもできる。
それが事実であるかどうかとは別に、物語を知ることで、山の見え方は変わる。前日に手に入れた「物語の地図」と、目の前にある現実の風景が、この場所で重なった。
仲間と歩調を合わせて下山
次郎笈まで到達したあとは、来た道を戻り、剣山側へ引き返した。剣山山頂方面へ戻り、帰りは遊歩道コースを選んだ。遊歩道コースは約1,980メートルあり、西島駅まで約80分かけて下った。
行きに使った尾根道コースの約900メートルと比べると、距離は倍以上ある。その分、傾斜は比較的緩やかで、周囲の自然を眺めながら歩くことができる。私自身は、次郎笈まで歩いたあとも、それほど強い疲労は感じていなかった。一方で、旅仲間の人たちには、剣山と次郎笈を往復した疲れがかなり出ていたようだった。遊歩道コースの長さが身体にこたえ、次第に歩幅も小さくなっていった。
同じ道を一緒に歩いていても、体力や疲労の現れ方は一人ひとり異なる。そのため、全体の歩調を合わせながら、ゆっくりと西島駅を目指した。天候が曇りだったため、強い日差しに体力を奪われなかったのは幸いだった。それでも、全員で無事に西島駅へ戻ったときには、大きな安堵があった。
そこから再びリフトに乗り、見ノ越へ下った。朝、正式参拝を受けて山へ入り、剣山山頂から次郎笈まで歩き、再び劔神社のある見ノ越へ戻ってきた。登山前の祈りが、一日の体験をひとつにつないでくれたように感じた。
八幡神社を経て、祖谷のかずら橋へ
下山後は八幡神社へ立ち寄った。正直なところ、剣山登山を終えた直後だったこともあり、八幡神社については、それほど強い印象は残っていない。その後、この日の宿泊先である祖谷渓温泉 ホテル秘境の湯の近くにある、祖谷のかずら橋を訪れた。
登山を終えて、あとは宿で身体を休めるだけだと思っていた。しかし、この日の最後に待っていたのは、別の意味で身体に強く残る体験だった。
祖谷のかずら橋──美しいというより、恐怖だった
祖谷のかずら橋は、日本三奇橋の一つに数えられる吊り橋であり、国の重要有形民俗文化財に指定されている。橋の長さは45メートル、幅は約2メートル。水面からの高さは約14メートルあり、約6トンのシラクチカズラを使って造られている。遠くから眺めると、深い緑に包まれた渓谷と、自然素材で造られた橋が調和し、非常に美しい。
しかし、実際に渡ってみると、印象は一変した。
足元に並べられた木の間隔が広く、その隙間から、はるか下を流れる祖谷川が見える。一歩進むたびに橋が揺れる。足をどこへ置けばよいかを確認しながら、手すり代わりのかずらをつかみ、慎重に前へ進まなければならない。
私にとって、それは風情のある橋を楽しむというより、恐怖でしかない体験だった。山の登り下りでは、足元は地面につながっている。しかし、かずら橋では、足元の隙間から谷底が直接見える。自分の身体が空中に置かれていることを、否応なく意識させられる。同じ「歩く」という行為でも、地面の上を歩くのと、揺れる橋の上を歩くのとでは、身体の反応がまったく違う。
頭では橋が安全に管理されていると分かっていても、身体は素直に恐怖を感じていた。
平家の落人と弘法大師──かずら橋に残る二つの伝説
祖谷のかずら橋の由来については、いくつかの説が残されている。一つは、源平合戦に敗れて祖谷へ逃れた平家の落人が、追手が迫ったときにすぐ切り落とせるよう、植物のかずらを使って橋を架けたという説である。
祖谷地方には、平家の落人にまつわる伝承が数多く残されている。
剣山にも、壇ノ浦の戦いで入水したとされる安徳天皇が、実際には生き延びて祖谷へ逃れ、剣山に草薙の剣を納めたという伝説がある。今回、劔神社や剣山を訪れ、さらに祖谷のかずら橋まで足を延ばしたことで、安徳天皇と平家の落人をめぐる伝承が、剣山から祖谷へ地理的につながっていることが分かった。
私は今年、改めて『平家物語』を読む予定にしている。
その意味でも、実際に剣山と祖谷を訪れ、安徳天皇や平家の落人にまつわる土地を歩くことができたのは、非常によい予習になった。これから『平家物語』を読むとき、壇ノ浦で終わる物語だけでなく、その後も人々の想像のなかで生き続けた安徳天皇や、山深い祖谷へ逃れた平家の人々の姿も重ねられるだろう。
もう一つは、四国を巡っていた弘法大師・空海が、川を渡れず困っていた村人のために橋を架けたという説である。平家の落人と空海。歴史的背景の異なる二つの物語が、一つの橋の由来として語り継がれている。
今回の旅では、初日に屋島寺を訪れ、翌日の最終日には善通寺と出釈迦寺を訪れる予定だった。その旅の途中で、祖谷のかずら橋にも空海の伝承が残されていることを知ったのは、とても興味深かった。
四国では、どこへ行っても空海の足跡や伝説に出会う。そのすべてが歴史的事実として確認されているわけではない。しかし、空海という人物が、四国の人々の記憶のなかで、どれほど大きな存在となっているかを示している。
平家の落人伝説と空海伝説。二つの物語が重なる橋を実際に渡ったことで、祖谷のかずら橋は、単に怖い観光名所ではなく、今年予定している『平家物語』の読書と、今回続けてきた空海の探究を結ぶ場所になった。
3年ごとに架け替えられる橋
祖谷のかずら橋は、現在も3年ごとに架け替えられている。材料に使われるのは、シラクチカズラという植物である。橋全体には約6トンものシラクチカズラが必要とされる。しかし、橋に使える太さまで成長するには20年から30年ほどかかり、近年では地元だけで十分な量を確保することが難しくなっている。
そのため、現在は高知県の国有林などからも材料を調達しているという。自然素材を使った橋を維持することは、決して容易ではない。一定期間ごとに材料を集め、多くの人の手で橋を架け替える。さらに将来の材料を確保するため、シラクチカズラの植樹も行われている。
かずら橋は、単に昔の姿を残した観光施設ではない。地域の人々が材料を集め、技術を継承し、定期的に造り直すことで存在し続けている、生きた文化なのである。渡っている最中は恐怖でいっぱいだったが、橋を渡り終えてから、その構造と維持の仕組みを知ると、見方が少し変わった。
あれほど怖かった橋を、人が自然の材料と手作業によって造り、何世代にもわたって守り続けてきた。その事実には、素直に驚かされた。
物語を知り、身体で山を歩いた一日
この日は、見ノ越の劔神社で、初めて正式参拝を受けることから始まった。太鼓と祝詞の響きを全身で受け取り、鏡石を見せていただいたあと、登山リフトで西島駅へ移動した。
尾根道コースを登って剣山山頂に立ち、当初の予定を変えて、さらに次郎笈まで足を延ばした。帰りは仲間と歩調を合わせながら遊歩道コースを下り、最後には祖谷のかずら橋で、登山とはまったく異なる恐怖を味わった。
前日は、剣山をめぐる伝説を、言葉と資料によって学んだ一日だった。3日目は、その山へ実際に入り、自分の身体で歩いた一日だった。伝説が真実であるかどうかは分からない。しかし、拝殿に響いた太鼓と祝詞、鏡石の姿、次郎笈へ続く稜線、鏡岩、足元の石、そして揺れるかずら橋の恐怖は、すべて現実の体験として身体に残った。
最終宿泊地へ──翌日は再び空海と円珍の世界へ
祖谷のかずら橋を渡ったあと、この日の宿泊先である祖谷渓温泉 ホテル秘境の湯へ向かった。
この旅も、残すところあと1日である。翌日は徳島を離れて香川県へ戻り、空海誕生の地に建つ善通寺、空海が幼少期に身を投じたと伝えられる捨身ヶ嶽禅定の麓にある出釈迦寺、そして最澄の直弟子の一人である円珍ゆかりの金倉寺を訪れる予定である。
初日は屋島寺で、鑑真から最澄、空海へとつながる仏教史に触れた(『香川県(高松)・徳島県(剣山)への3泊4日の旅をスタート──屋島寺で、鑑真と空海がつながった』参照)。
2日目は、白人神社、磐境神明神社、高根資料館を巡り、古代ユダヤとソロモンの秘宝をめぐる伝説をたどった(『山に登る前に「ソロモンの秘宝伝説」をたどる』参照)。
3日目は、その物語の舞台となった剣山へ、実際に登った。
そして最終日は、再び空海と円珍という、日本仏教史の世界へ戻っていく。剣山を中心に、仏教、神道、古代史、伝説、自然、そして身体的な体験がつながっていく。3日目は、そのすべてが最も濃密に重なった一日となった。


