【B#246】物理学の苦闘と創造の本質を辿る──朝永振一郎『物理学とはなんだろうか?』を読んで
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はじめに
こんにちは、渋谷でロルフィング・セッションや脳科学をベースにした講座を提供している大塚英文です。
日本人で2人目のノーベル物理学賞を受賞したのが、朝永振一郎さん。名著『物理学とはなんだろうか?(上)(下)』は、物理学という学問が、いつ、だれが、どのようにして考え出したものであろうか?という視点でまとめられている。
共同受賞者のリチャード・ファインマン(Richard Feynman)さんの物理学の本もすごく面白いのだが、それに並ぶぐらい、朝永さんの物理学の本も面白く、2人とも、本質的に物事を語るところが似ている。
ファインマンさんの本は、独自の視点から物理学をファインマンの言葉で語ろうとしているように感じるのに対して、朝永さんは、研究者が物理学の法則を発見していく過程での葛藤を、歴史的な背景を中心に描いているだけではなく、平易な言葉で語っているのが興味深い。
特に「物理学とは何だろうか」は、1979年に発刊されたにもかかわらず、古さを全く感じさせない作品で、高校時代に手に取って読んだことがあるが、今手にとっても古さを感じさせない一冊になっている。

朝永さんは、この本で、物理学の本質的な考え方として、
「観察された事実によりどころを求める」
「仮説を導入し、それの当否を実験によって検証する」
の2つを挙げることができることを述べている。
というのも、2つの考え方がどのように歴史上の科学者たちによって体現されてきたかを見ていくと、物理学とは何かという問いが明確になるからだ。
今回は、この2つの考え方によって、物理学者がどのようにして法則を発見していったのか?その本質を迫ってみたい。
ケプラー──観測データに従うという決断(“観察された事実によりどころを求める”)
ドイツ人のヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)は、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の庇護のもと、研究に没頭する環境を得た。同じく庇護を受けたデンマーク人のティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)が残した膨大で正確な観測データを解析し、惑星の軌道が円ではなく楕円であることを導いた。
これは古代以来の信念を打ち砕く発見であり、まさに朝永さんが言う
「観察された事実によりどころを求める」
という態度を徹底した結果である。
天体は完全な円であるべきだという観念を捨て、観測事実を優先したことで、物理学はついに天の運行を“数学的法則”として記述し得る段階に到達したのである。
ガリレオ──実験・数学的自然観・慣性の洞察(“仮説を導入し、実験で検証する”)
イタリア人のガリレイ・ガリレオ(Galileo Galilei)は自然現象を切り分けて調べる“実験”を創始し、観察と仮説、検証のプロセスを物理学に持ち込んだ人物である。
斜面を転がる球の加速度、振り子の周期、落下運動の法則──これらはすべて、
「仮説を導入し、それの当否を実験によって検証する」
という科学的方法の実践である。
自然は数学という言語で書かれている
ガリレオは次のように述べた。
「自然という大いなる書物は、数学という言語で書かれている」
自然界の秩序は数と図形の構造の中にあり、それを読み解くには数学が不可欠であるという確信は、近代物理学の基礎となった。
慣性の法則と“地球は動いている”という説明
ガリレオは慣性の法則を用いて、
なぜ地球が動いていても我々がそれを感じないのか?
を論理的に説明した。
落とした石が地球の「後ろに落ちる」ことはなく、地上のあらゆる物体は地球と同じ速度を共有しているため、地球の運動は日常現象に矛盾を生じさせないと主張したのである。
この洞察はニュートン力学に直結する。
宗教裁判という圧力の中でも科学的方法を貫いた
しかし地動説の擁護は宗教権威と衝突し、ガリレオは宗教裁判にかけられ、晩年を軟禁下で過ごした。
それでも彼が貫いた「観察・実験・数学」という物理学の方法は、のちの科学に決定的な影響を与える。
ニュートン──数学で自然を統一し、同時に錬金術に没頭した人物
イングランド人のアイサック・ニュートン(Issac Newton)は微積分を創造し、天体運動と力学を統一した。
彼の本質は、
自然の中の“数学で表現できる部分”を抽出し体系化する
という態度にある。
これは、ガリレオの“自然の数学化”の思想を極限まで押し広げたものである。
一方で、ニュートンは、合理的科学者であると同時に錬金術愛好者でもあり、物質変成の神秘を探求し続けた。合理と神秘の同居は、物理学の成立が単なる合理主義の勝利ではないことを示している。
熱素説の崩壊──「観察された事実」によって破れた理論
19世紀まで熱は“熱素(カロリック)”という物質だと信じられていた。しかし以下の観察により熱素説は崩壊する。
- 摩擦による温度上昇は物質の種類によらない
- ランフォード伯の大砲実験では熱が尽きずに生じ続ける
これらは明らかに、
「観察された事実によりどころを求める」
という基準に照らして成立しえない。
熱は物質ではなく、何らかの“運動”(のちにエネルギーと呼ばれるようになる)のかたちで説明されるべきものであることが導かれた。
クラウジウスとボルツマン──仮説と数学による熱の再構築
ドイツ人のルドルフ・クラウジウス(Rudolph Clausius)が取り組んだ中心的問題は、
なぜ熱は常に高温から低温へ自然に流れるのか?
という“不可逆性”の謎である。
アイルランド人のウィリアム・トムソン(William Thomson、ケルヴィン卿)はこの性質に困惑し、高温物体だけでは仕事(動力)が得られない理由を説明しようとしたが、エネルギー保存則との整合性も含めて答えにたどり着けなかった。
クラウジウスの大転換──「なぜ」を問うことをやめた
クラウジウスはここで思いがけない決断をする。
熱が一方向にしか流れないという事実こそが“熱の本性”であると受け入れ、その原因を問う姿勢を捨てたのである。
これは、朝永さんが示す「観察された事実によりどころを求める」という原理を極限まで徹底した態度である。
エントロピーという新しい量──語源はギリシャ語 trope(変化)
クラウジウスは、熱の不可逆性を定量化するためにエントロピー(entropy) という概念を導入した。
この語は、
- ギリシャ語 trope(変化・転換)
- energy との語感の類似
を組み合わせた造語である。
したがってエントロピーとは本来、
「変化の度合い」
「変化の可能性」
「不可逆な変化を示す量」
という意味を持っている。
クラウジウスはこれを自然法則としてまとめ、
「宇宙のエントロピーは増大する」
と述べた。
クラウジウスの革新の本質
クラウジウスの革新とは、
- “なぜそうなるのか?”という原因論をいったん棚上げし、
- 事実そのものを普遍的原理として受け入れる
という、科学的態度の徹底である。
ボルツマン──分子運動から“時間の矢”を説明しようとした孤独な探究者
クラウジウスは不可逆性を“熱の本性”として受け入れたが、ドイツ人のルートヴィッヒ・ボルツマン(Ludwig Boltzmann)はここに踏み込み、
不可逆性の原因を分子運動の統計的ふるまいから説明できるのではないか?
と考えた。
分子は見えない。しかし“ゆらぎ”が不可逆性を生む
気体は膨大な数の分子から成り、それぞれが高速でランダムに衝突しあっている。この“ゆらぎ”の総体こそが熱現象の正体であり、不可逆性もその統計的性質から自然に現れる。
ボルツマンはこれを数式で表し、エントロピーを次の式で記述した。
S=klogWS=klogW
これは、エントロピー=分子の状態数 W の対数、という意味であり、
自然はより“起こりやすい状態”へ向かって進む
という直観を数学化した。
強い反発──“分子は見えない”という批判
しかし当時、分子の実在は観測されていなかったため、
- マッハ
- オストワルト
ら“実証主義者”が激しく反発した。
「観測されていない分子を議論するのは非科学的である」
という批判がボルツマンに向けられたのである。
孤独・精神的圧迫・そして悲劇的結末
ボルツマンは孤独な戦いの中で精神的に追い詰められ、1906年、悲劇的な最期を迎えることになる。朝永さんは、この歴史を通し、科学者の先見性が時に時代の理解と激しく衝突することを指摘する。
死後の復権──アインシュタインとペランが証明した
ドイツ生まれのアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)はブラウン運動を分子衝突のゆらぎとして説明し、フランス人のジャン・ペラン(Jean Perrin)はそれを実験的に検証した。
これにより分子の存在は確定し、
ボルツマンの理論は正しかった
と歴史が証明した。彼の仕事は現代物理学の中心へと昇華した。
ロシュミット──反論が科学を進める
オーストリア人のヨハン・ロシュミット(Johann Loschmidt)は、分子運動が時間反転対称であるにもかかわらずエントロピーが増大する理由を問う“パラドックス”を提示した。
この反論は統計力学の深化、不可逆過程の研究、カオス理論の発展につながった。
科学は、反論と仮説の創造的衝突の中で進歩する。
観測とは何か──量子論による再定義
量子論の登場により、観測は
対象の状態を受動的に写し取る行為ではなく、
観測者との相互作用によって結果が定まるプロセス
と理解されるようになった。
これにより、“観察された事実”という概念自身が拡張され、科学的方法はさらに深まる。
まとめ:物理学とは何か──数学・観測・仮説が交差する営み
ケプラーの観測、
ガリレオの実験と数学観、
ニュートンの体系化、
クラウジウスの不可逆性の受容、
ボルツマンの分子運動論、
アインシュタインの実証、
量子論の観測概念──
これらの積み重ねはすべて、朝永さんが示した二つの原理に帰結する。
「観察された事実によりどころを求める」
「仮説を導入し、それの当否を実験によって検証する」
少しでもこの投稿が役立つことを願っています。





