【P#88】コーヒーの歴史〜どのように製造されるのか?〜刺激薬の歴史⑦
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はじめに
東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。
緑茶やコーヒーに含まれるカフェインとは何か?精神刺激薬(stimulant)として分類されるカフェインについて、2回に分けて、脳に与える影響と、社会に与えたインパクト(資本主義、コーヒーハウス、茶道、宗教)についてブログに紹介した。
今回は、カフェイン飲料のお茶とコーヒーについて取り上げたい。前回は、お茶、今回は、コーヒーについて取り上げる。
コーヒーの発見〜語源、由来
西洋では、コーヒー、お茶、チョコレートを含めたカフェイン入りの飲食品が普及するのが1600年代。英国でこれらの商品が到着するのは1650年頃。コーヒーが東アフリカで知られるようになったのが、その数世紀前。コーヒー豆の発見は、エチオピアで850年頃と考えられている。
コーヒーは、原産国のエチオピアで古くからコーヒーを育てていた「Kaffa(カファ)」という地名に由来する説と、ワインの意味で使われたアラビア語の「Qahwah(カフワ)」から、ワインに似た覚醒作用のあるコーヒーに充てられたという説の2つがある。日本では「珈琲」「可否」「架非」「加非」「咖啡」等と表現される。
発見の経緯が面白い。9世紀にカルディという名の牧畜民が、飼育していた山羊が、Coffea arabicaの赤い豆を食べた後、不可思議な振る舞いとして、夜通しで起きていたことを発見。これを、地元の修道院の修道院長をシェアしたところ、赤い豆から作ったドリンクを試し、興奮作用があることに気づく。
15世紀までに、コーヒーは、東アフリカで栽培され、アラビア半島で売買されていることがわかっている。スーフィー教徒が宗教の儀式に集中できるように使われていたことがわかっており、これは、歴史的にお茶が仏教徒の瞑想の集中の手助けするのと似ている。
コーヒーハウスの普及〜アラビアからヨーロッパへ
数世紀の間に、アラビアの世界で、コーヒーハウスが普及し、1570年頃にはコンスタンティノープル(現イスタンブール)には、600軒にも及んだらしい。北と東のオスマン帝国に広まっていく。コーヒーハウスは、ニュース、ゴシップ、ゲームを講じる等、人との集まりの場として機能した。
イスラムの世界にて、コーヒーは、アルコールに代わる飲料として使用され、当時の科学技術の普及に大いに貢献したらしいことを、マイケル・ポーランは述べている。最終的に、コーヒーハウスは英国に普及。社会的に大きな影響力を持つことになる。
コーヒーベルト
コーヒーは、コーヒー農園で、コーヒーノキ(コーヒーの木、Coffea)の栽培と果実の収穫が行われている。コーヒーノキは、気温0度を下回ると、枯死し、風の強い地域では5度前後の気温でも枯死するため、寒さの弱い。そのため、コーヒーベルトと呼ばれる北回帰線と南回帰線の間の70カ国でのみ作られる。
コーヒーの果実から生豆を取り出し、生産国で集積されて、消費国へ。コーヒー独特の香味を生み出すため焙煎し、水、お湯を加え、抽出することで最終的にコーヒー飲料が出来上がる。
コーヒーには、エチオピア原産のティピカ種(Tipica)に由来するアラビカ種(Coffea arabica)、コンゴ原産のロブスタ種(カネフォーラ種、Coffea canephora)、リベリカ種(Coffea liberica)と合わせてコーヒーの3原種と呼ばれている。
コーヒーの成分〜カフェインとポリフェノール
コーヒーの生豆から焙煎していく過程で、成分の変化が起きる(下記の成分表参照)。コーヒーの覚醒作用は昔から利用。コーヒー100mlには約60mgのカフェインが含まれていて、摂取後、30分後には脳に到達する。
コーヒーには、クロロゲン酸などのポリフェノールが豊富に含まれ、カフェインよりも多く、コーヒーを飲むことで、がんや糖尿病、動脈硬化などの予防に有効であるという研究成果も出ている。
カフェインの量が400mg(コーヒーでは4~5カップ程度)よりも多くなった場合、過剰摂取の可能性がある。その場合は、脳への影響として、めまい、心拍数の増加、興奮、不安、震え、不眠、消化器系への影響は、下痢や吐き気、嘔吐等が知られている。
まとめ
今回は、コーヒーについて、どのように発見し、作られ、アラビアからヨーロッパに広まったのか?を中心にまとめさせていただいた。最後に、コーヒーの成分について、カフェインとポリフェノールについて書いた。
少しでもこの投稿が役立つことを願っています。