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【Y#39】近代ヨガの歴史(2)〜欧米エクササイズとヨガの融合〜インドのナショナリズムから生まれた

クリシュナマチャリアは70年にわたって指導を行ってきたが、マイソール在住時代、非常に革命的な体操的なヨガを世界に広めた。アシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガはこのシステムを発展させたものとして有名。ここからパワーヨガを含めた様々な流派が生まれていく。

Mark Singleton: ‘Yoga Body – Origin of the Modern Posture Practice’(邦題:マーク・シングルトン:「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」)によると、

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身体を動かす=運動をすることが重要だという考えが芽生えたのは、19世紀末のアテネでの初のオリンピック開催されたことによるところが大きいという(アテネの模様については、【旅コラムVol.116】参照)。

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個人的には、19世紀のナポレオンの登場により戦争に対する見方が一変。それまで一部の人たちによって限定的に行われた戦争が、全国民が戦争に動員されるようになったということから、運動に対する意義が見直されたのではないかと思う。

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そのムーブメントは、欧米のみならずその植民地にも広がっていく。1920年以前には「体育という言葉はこの国(インド)やこの国の教育システムにはなかった」インドでは、キリスト教会の一団体であるキリスト教青年会(YMCA)が大きな役割を果たし、キリスト教的な価値観に基づく、身体作りの作法が広まっていった。

前回(「近代ヨガの歴史(1)〜クリシュナマチャリア」参照)、1920年代までインドでヨガを実践する人は社会的に地位が低く、貧民が行うことであり、大道芸人(魔術師や乞食を含め)に近い存在だったことについて触れた。

オリンピックの普及に伴い、国のナショナリズムがスポーツと結びつくようになり、時の権力者(ナチス・ドイツや旧ソ連を含めた社会主義政権)が政治的に利用するケースが増えてくる。インドでも独立運動の中で、運動=身体の文化が政治的に利用されていく過程で、大道芸人が行ってきた伝統的なヨガというものが見直されていく。

古典的に記載されていたハタ・ヨーガ的な手法が欧米のエクササイズやボディビルディングの手法を取り入れることで、欧米型エクササイズに対抗。インド独自の近代ヨガというものが完成。その役割を担ったのが、前回取り上げた、クリシュナマチャリア及び、そのパトロン達(マイソール政権もその一つ)だったという。現にマイソールのマハラジャ・クリシュナラジャ・ウディア4世は、YMCAを強力にサポートしていく。

「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」によると、アシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガ(以下アシュタンガ・ヨガ)も欧米のエクササイズとヨガが融合される形で生まれた。アシュタンガ・ヨガはポーズが全て決まっており、その手順についてはヴァマナ・リシの書いた5,000年前の「ヨガ・クランタ」という本に基づいて、クリシュナマチャリアがヨガの師匠であるRamamohan Brahmachariから教わり、クリシュナマチャリアがカルカッタの図書館で発見、翻訳。その後、パタビー・ジョイスに伝えたというのが、私が一番最初にアシュタンガ・ヨガを知った時に学んだこと。この本は、実在していないところを見ると、本当かどうか、「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」は疑問視している。

その上で、実例を挙げている。例えば、「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」における、太陽礼拝についてだ。太陽礼拝は、ヨガの全ての要素が入っており、最も基本とされるシークエンスだが、上記の本の一部を引用すると

「近代的に太陽礼拝を始めたのは、プラティニディ・パント(アウンドのラージャ)であり、(ボディビルダーの)K・V・アイヤーと同様サンドウの方法でのボディビルディングを熱心に実践していた人物である。彼が、アーサナのダイナミックなシステムを取り入れたシークエンスを普及させたのであり、これが現在もポーズ中心のヨガのクラスで盛んに取り入れられているのだ。パントが書いた太陽礼拝のマニュアルには、「1897年に・・・私たちは(サンドウの)器具と本を買い揃え、彼の指示に従って10年毎日身体を鍛えた」と書かれている。今日の国際ヨガ界では、すっかりインド・ヨガの伝統的テクニックと考えられている太陽礼拝は、ボディビルダーによって考案され、アイヤーのような別のボディビルダーによって、ボディビルディングの方法の一種として使われて普及したものだ」

そして、

「太陽礼拝がクリシュナマチャリアのヨガ・システムに取り入れられるようになったのは、クリシュナマチャリアのヨガ・シャーラの数メートル先にあった教室でアイヤーの方法を教えていたK・V・アイヤーと彼の高弟アナント・ラオの影響だという。当時少年としてシャーラで練習していたというT・R・S・シャーマは、双方の教室に近かった記憶があり、さらにそうしたボディビルディングのクラスと、夕方のヨガのクラスが同じ時間に開かれてたことを付け加えてくれた」

当時、ヨガ・アーサナのリストの中に入っていなかった太陽の礼拝をクリシュナマチャリアがヨガ・アーサナのシークエンスに加えたのは、当時のクリシュナマチャリアの考え方である、インドの体育の教育方法を基礎に個人的な創意工夫を付け加えていったものとして取り入れたのではないかと推測している。

また、アシュタンガ・ヴィンヤーサという言葉も1970年代になってアメリカの実践者がマイソールに訪れるようになってから付けられたという説も紹介。それまでは単にアーサナと呼ばれていたらしい。

その他、カウントはなぜ5回なのか?を含め、興味深いことが「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」に書かれているが、ここでは割愛したい。
歴史的背景を知るということは、ヨガを練習する上で、大切なことだと思う。

というのも、伝統的なものというのは何か?ということも考えさせてくれるからだ。これからも、機会をみつけては歴史ついて語ってみたい。

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