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【Y#36】近代ヨガの歴史(1)〜クリシュナマチャリア〜ヨガは一人一人に合わせて練習方法を組み立てること

今までヨガのワークショップで学んだことを中心にコラムという形でまとめてきた。その過程でヨガの歴史についてヨガのインストラクターから伺うことができたので、一度まとめてみたいという思いがあった。なぜ、近代ヨガがヨガスートラで書かれているアーサナの考えと乖離があるのか?という疑問もあるのだが、どのようにしてアシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガが作られたのか?知りたいというのもある。そこで、私なりの調べた結果としてわかったことを中心にまとめていきたい。

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それを考えるきっかけを与えてくれたのが、2013年5月25日にUnder the Light Yoga Schoolでは、ヨガの解剖学で有名なレスリー・カミノフ氏(Leslie Kaminoff)のトレーニングに参加した際に、現代のハタ・ヨーガというのはどういった歴史をたどってきたのか?話していただいたこと。
アシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガ、アイアンガー・ヨガを含め、現代的なヨガというのは、すべてある人にたどり着くことができる。現代ヨガの父と呼ばれるティルマライ・クリシュナマチャリア(Tirumalai Krishnamacharya、1888年〜1989年)だ。

クリシュナマチャリアの息子であるT.K.V. Desikacharの著書、The Heart of Yoga: Developing a Personal Practice(残念ながら邦訳が出ていない)によると、クリシュナマチャリアが生まれたのが、1888年11月18日。

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9世紀にYoga Rahasyaを編集した Nathamuniまで家系をたどることができるという幸運もあり、若い頃から父からヨガの指導をサンスクリット語で受ける。12歳の頃にバラモン系の学校へ入学。ヴェーダのテキストを学びつつマイソール王立大学にも通いだして、一通りのインド哲学とヨガを学んだ後、転機が訪れる。1916年にヒマラヤのカリアシュ山の洞窟に住んでいるRamamohan Brahmachariにヨガについての教えを乞うようになったからだ。そこで7年間、ヨガに必要な実践的な知識(病気を抱えている人たちにどのように対処したらいいのか?というヨガセラピーを含め)やヨガ・スートラの知識について習得していく。

Leslie Kaminoffによると、師匠を離れる際
「洞窟を離れる際に、結婚し家族を築きなさい。そして南インドでヨガを教えなさい」
と言われたという。師匠=Guruのいうことはは絶対。地位の高かった家系に育ったクリシュナマチャリアはそれまでの地位を捨てて、マイソールでヨガを指導するようになる。

Mark Singleton: ‘Yoga Body – Origin of the Modern Posture Practice’(邦題:マーク・シングルトン:「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」)によると、1920年代までのヨガを実践する人は社会的に地位が低く、貧民が行うことであり、大道芸人(魔術師や乞食を含め)の近い存在だったという。

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当時のマイソールは、マハラジャ・クリシュナラジャ・ウディア4世の支配下にあり、身体文化の再興の拠点であった。ヨガの技術を学んだクリシュナマチャリアは、マハラジャの指揮下で働き、1933年〜1955年の間教えることとなる。1937年には西洋からも学生がきて教え子をもつことになるが、この頃にアイアンガーやパタビー・ジョイスも学んでいる。

クリシュナマチャリアの指導の特徴は、T.K.V. Desikacharの言葉を借りれば、

The essence of my father’s teachings is this: it is not that the person needs to accomodate him- or herself to yoga, but rather the yoga practice must be tailored to fit each person.
我が父の教えの特徴としては、その人がヨガの教えに従うというわけではなく、ヨガの練習法は一人一人に合わせて組み立てられる必要がある。

例えば、彼の弟子であるパタビー・ジョイスに教えたアシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガは、当時若かったパタビー・ジョイスを含め若い男子向きに組み立てられているという。アイアンガー・ヨガは、当時怪我のリハビリに専念していたアイアンガーに対して、どのようにしてヨガのポーズをとったらいいのか?からアライメント重視のヨガを教えるようになる。そして、T.K. B. Desikacharには、ヨガ・セラピーという病気のある人向けのヨガを伝えていく。

このように同じ師匠にもかかわらず違った流派となって表れているというのは、ある意味ヨガというのは一人一人に合わせて違う練習方法があるべきだという考えがあるというクリシュナマチャリアの考えの反映に他ならないと思う。

マイソールに在住していた頃のクリシュナマチャリアの時代背景をマーク・シングルトン:「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」)の本から引用すると、

「インドがイギリスの植民地だった頃、ヨーロッパ式の体操が取り入れられましたが、やがて19世紀末にインドがイギリスから独立しようとする中で、国産エクササイズを生み出そうという動きが生まれ、古典的なハタ・ヨガの技法を取り入れて欧米の体操やボディビルディングなどと融合させる実験的な試みが始まり、20世紀に入ってからアシュタンガ・ヨガを始めとする新しいスタイルが生まれてきたことです」
クリシュナマチャリアの関心は、マイソール在住時代とマドラス在住時代と変わってきている。マイソール時代は、上記のように身体運動=エクササイズの要素の強いヨガだったが、マドラス時代は、アーユルヴェーダやヨガを使った病気の治療へと向かっていった。きっかけは1952年、マドラス在住の著名な政治家の病気をヨガを通じて治療を行うことができたからだという。拠点をマイソールからマドラスへ移し、1976年にT.K.V. DesikacharがKrishnamacharya Yoga Mandirumを設立。1989年にクリシュナマチャリアがなくなるまで、この学校をサポートし、ヨガセラピーの観点で教えるようになる。

今回はクリシュナマチャリアを中心に近代ヨガの歴史について触れた。

では、近代ヨガの歴史とアシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガについてはどうか?その点については「近代ヨガの歴史(2)〜欧米エクササイズとヨガの融合」をご参照いただきたい。

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