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【W#116】アテネ(2)〜遺跡と海

アテネの市内観光中、一番の目玉はやはりパルテノン宮殿。主要なアテネの遺跡はパルテノン宮殿を含め7箇所。遺跡について触れる前に、ギリシャの歴史を少し触れたい。
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塩野七生氏のローマの歴史の大作「ローマ人の物語」(全15巻)の第1巻には、
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ギリシャについて以下のように記している。

紀元前八世紀のギリシアは、貴族政によって統治される都市国家(ポリス)の時代に入っていた。農業や牧畜業を主にしていた王政時代に比べて、工業商業海運業にまで手を広げたおかげで経済の発展は目ざましく、それにつれて人口も急速に増大する。
だが、貴族政の宿命でもある政争による敗者や、経済の発展過程で生じざるをえない持てる者と持たざる者の争いも、増加する一方だった。耕作地に恵まれないギリシアでは、これらの人々には国外に出るしか生きる道がない。前八世紀は、ギリシア人による植民運動が最も盛んであった時期に当る。
彼らの特質である進取の精神と冒険を好む性向が、これに拍車をかけた。ギリシア人による植民地建設は、地中海世界の全域をおおった。東は黒海沿岸におよび、西はフランスからスペインに達する。スペインのマラガもフランスのマルセイユも、この時期のギリシア植民都市を起源としている。

世界中に植民地建設を行い、同時に当時の最先端文化であったギリシャ文化を伝搬するのに果たしたのはエーゲ海。そのエーゲ海をピラウス港付近
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今回、バスでピラウス港付近をバスで移動することでその一端を見ることが出来た。ヨットが停泊する姿や美しい青色の教会も素晴らしかった。
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さて遺跡巡りはまず、パルテノン宮殿から始めた。ホテルからパルテノン宮殿までバスで移動。すぐにチケット売り場で12ユーロを支払い、パルテノン宮殿を含めた7箇所の遺跡が見れるチケットを購入した。
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さらに歩くこと10分。アクロポリスの丘の上に到着、そこには修復工事中のパルテノン宮殿がそびえ立っていた。
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紀元前431年に作られたパルテノン宮殿は、2500年を経て、戦争、汚染、不充分な保全、略奪、爆破などを受けることによって現在の姿になったとのこと。
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そうはいうものの、パルテノン宮殿の前に立つとその大きさに圧倒される。よくこんなものを遥か昔に作り、必要とする材料をここまでどうやって運んだのか?不思議に思ってしまう。
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アクロポリスの丘からみるアテネ市内は住宅や建物で密集している。
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その中に遺跡が点々としているところが面白い。
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遺跡には、ローマ時代に作られたものと古代アテネ時代につくられたものが残っており、そこを巡るのも、パルテノン宮殿で購入したチケットで可能だ(下記の写真は古代アテネの遺跡)。
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私自身、最も気に入ったのはハドリアヌスの凱旋門。ゼウス神殿のそばの道沿いに位置している。ローマ帝国時代に、皇帝のハドリアヌスがアテナイを訪れ、多数の公共建築物等の再建に力を注いだことから、後にこの門が建てられたらしい。
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ギリシャのもう一つの特徴はギリシャ教会。
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ヨーロッパを回りゴシック様式の教会の建物を見る機会が多いため、ギリシャでシンプルな教会を見れたことには意外な驚きだった。
駆け足になったがアテネについて紹介してきた。エーゲ海は非常に美しい印象があるので、機会があれば次回は、船でエーゲ海を周遊したいと思っている。

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