【B#58】意識と無意識(4)〜「考える」と「感じる」を対比としてみる〜自然に委ねることでわかることは?
本コラムでは、2017年のゴールデンウィーク中に出会った本「無意識の整え方」について、興味深いことが書かれていたので、3回に分けて書いた。
1回目は、前野隆司先生(以下前野先生)の「受動意識仮説」(「意識と無意識(1)〜意識は無意識の決定を記憶する装置?+物語を語る意識について」参照)。
2回目は、身体と心は同じものであり、身体の状態を知ることで、自分の心がわかること
そしてその心を静めるにはどうしたらいいのか?
無意識の観点から、心に目を向けることについての合氣動家の考え方を紹介した(「意識と無意識(2)〜相手に心が向いている状態の時に実力が発揮されることについて」参照)。
3回目は、私=意識という視点で、仏教はどのように見ているのか?縁を含めた考え方を紹介した上で、無意識の観点から禅ではどのような修行法があるのか?について書いた(「意識と無意識(3)〜私がいるのか、いないのか〜縁によって関係が仮に成り立っている」参照)。
4回目は、私も過去に受講したことがある、コーチング養成機関の一つ、CTIジャパン出身のコーチ山田博氏との対談で、コーチングと無意識の話が対談のテーマとして挙がってきた。
「コーチングは、意識されにくい部分を言語化する」
メソッドがたくさんあり、無意識を如何にして言語化していくか?
という観点から対談が始まったのだが、興味深いのは、「考える」と「感じる」を対比で語っていた箇所だった。
「競争する社会では、うちの会社とあの会社、うちの街とあの街、うちの家とあの家、この国とあの国とを絶えず比較します。そうして優越感を持ったり、負けないように努力しようと思ったりする。これがある程度のモティベーションになって、世の中は発展し、よくなっていくと考える。ただその前提として「こっち」と「あっち」、「自分」と「他人」を分けてしまう。この分断が歪みを生んでいるのではないか。」
そして分断によって、他人の喜びを喜べなくなってしまう。
なぜ、このようなことが起きてしまっているのか?
キーワードは「考える」だという。
「「考える」という作業は、問題をシンプルにするために、複雑な物事をより分け、シンプルにして、分析していきますよね。そうすると、どんどん細分化していってしまう。科学の世界が細かい専門分野に分かれていくのと同じです。ですから、「分断」について「考える」ということをすると、さらに分断することになるんじゃないかと思ったのです。」
ということで、「感じる力」をもっと大きく強くするために感覚を開くという、「感じる」ということが大事という考え方の下、自然を感じる=森を感じるに至ったという。
森は生態系として一つ大きな仕組みができているのだが、その中に入るようなリトリートを企画。森と触れ、そこに身を委ねることによって、感覚が広がっていき、無意識にアクセスがしやすくなるようになったという。
山田氏の言葉を借りれば、
「森にいると、そういう瞬間(どこからか降ってくるみたいにパッと思いつく)の連続になります。目や鼻、足、手、皮膚からあらゆる情報が入ってくるのですが、その中の何かがパッと意識される。なぜか気になる。突然思いもよらない考えがやってくる。これは全部無意識の働きで、開くんだと思います。」
前野氏は、感覚を鋭敏にしてただ、受け入れ続けていくと、いい発想に至るという考え方は、ブレーンストーミングやデザイン思考の中にあるという。これも無意識を使う
考えてみれば、森は自然の一部として考えると、人間の身体も自然の一部。
ロルフィングで行なっていることは、「身体」=自然にアプローチすること。感覚が鋭敏になり「感じる力」が開花。そのことで、無意識へアクセスしやすくなり、今まで違った刺激が脳へ入ってくることによって心に変化が出てくるのではないか、というように考えることができる。
もちろん、これはロルフィングだけではなく、日々実践しているヨガでも同じことが言えると思うが、ポイントとなるのは「ゆっくり」感じる力を開花させることだという。
自然と無意識との関係。もう少し、深掘りをしていくとなにかわかってくるかもしれない。温泉や自然と触れる機会を増やしているので、本コラムでもその成果については引き続き発信していきたい。