【W#54】ポーランド(2)〜アウシュヴィッツ(1)
今回のポーランドへの旅の大きな目標の一つは、アウシュヴィッツとアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所をこの目で見ること。2014年11月22日に実現した。
ワルシャワに到着してから、すぐにwarsaw travel toursに連絡して3時間以内にツアーを予約。760 ズウォティ(約26,000円)で購入した。翌日、早朝の電車(午前4時58分ワルシャワ中央駅発)で約3時間かけてクラクフ中央駅へ。
そこでドラーバーと待ち合わせ、車で45分かけてアウシュヴィッツ収容所へと向かった。
今回、訪れたのが2つの強制収容所。オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に作られたアウシュヴィッツ第一強制収容所(以下、アウシュヴィッツ収容所)。
そして、ブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られたアウシュヴィッツ第二強制収容所(以下、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所)。
アウシュヴィッツ収容所はポーランド軍兵営の建物を利用して1940年5月に作られた。欧州の中心に位置していて鉄道のアクセスが良い、そして炭鉱や石炭の産地が近くにあることや軍馬の調教場として使われていたことから土地が広いこと等から選ばれたらしい。
一方で、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は1941年10月に一から建設された。こちらは東京ドームの37個分といわれ、最初のアウシュヴィッツ収容所よりもはるかに大きい。
2つの強制収容所には合計で1,300,000人送られ、その中でユダヤ人1,100,000人、ポーランド人140,000-150,000人、ジプシーは23,000人、旧ソ連政治犯が15,000人、その他(同性愛者、身体障害者等)は25,000人。1,100,000人がナチスによって殺され、そのうち90%近くはユダヤ人で大半は毒ガス室で殺戮が行われた。
当初、難民の写真を撮っていたのだが、人数が多くなってからは写真を撮るのをやめ、管理番号を刺青を入れるように変更。また荷物は戦争遂行に欠かせない資源としてすべて没収。縦じまの囚人服が唯一の所持品となる。
英語のガイドに案内されながら、見学はアウシュヴィッツ収容所から始まった。Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)の看板を通過するとレンガで作られた建物が沢山あることに気づく。
レンガで作られた建物は番号がついており、中には博物館として展示されているものもある。
博物館には当時の写真やナチス・ドイツによって難民から没収した靴、スーツケースやその他などが展示されている。
印象的だったのが、毒ガスとして使われたカンが大量に使われていたことを示す展示があったことだった。
また、銃殺が行われた死の壁や毒ガス室もみることができた。
収容所の周りには当時の鉄網も残っている。
アウシュヴィッツ収容所は合計で2時間近くかけてゆっくりみることできた。アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は次回取り上げる。