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【B#193】脳は“ズレ”を生きている──予測誤差・能動的推論・自由エネルギーから見た人間の知性

はじめに

東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。

私たちはふだん、「目で見たものが現実だ」「聞こえた音が真実だ」と、なんとなく信じて暮らしている。しかし、近年の脳科学が明らかにしているのは、そうした感覚が「世界をそのまま受け取っている”わけではない」という事実だ。

例えば、人の顔を見分けるとき、遠くに見える人影を「○○さんかもしれない」と即座に判断した経験はないだろうか。そのとき脳は、実際の視覚情報に先んじて、「きっとこうだろう」という予測を立てている。脳は、世界を待っているのではなく、先に仮説をつくりながら世界を見ているのである。

こうした脳の働きを、「能動的推論(Active Inference)」と呼ぶ。
環境から情報を受け取るだけの“反応する脳”ではなく、過去の記憶と経験から未来を予測し、予測が外れたときには誤差を修正し、学習していく──それが脳の本質的な姿である。

この現代的な脳のモデルを、わかりやすく、かつ理論的に丁寧に解きほぐしてくれるのが、乾敏郎氏と門脇加江子氏による『脳の本質──いかにしてヒトは知性を獲得するか』(中公新書)である。

「脳は、環境をただ反応的に受け取るのではなく、環境を予測し、誤差を検出し、その誤差を最小化するように行動する」
──乾敏郎・門脇加江子『脳の本質』より要約

つまり、脳は“世界をそのまま知る”ために働いているのではない。世界を仮説的に構成しながら、自分にとっての現実を少しずつ組み立てている。その仮説と現実とのズレを、どう受け取り、どう修正していくか──そこに、私たちの知性の核がある。

予測誤差を最小にすることが“知性”である

人間は、未来を的確に予測し、その予測が現実と異なった場合には誤差を検出し、モデルを修正する。あるいは、誤差を小さくするように行動を変える。

この一連のサイクルが、知的活動の本質だ。

学習とは、すなわちこのサイクルを繰り返すことである。予測の精度が高まれば誤差は減り、脳内における不確実性は低下し、それがポジティブな感情につながる。逆に、予測が外れ続けると誤差が蓄積し、脳はネガティブな情動を生み出す。

不確実性の低下が快であり、その最小化が脳の目的である。

この誤差の検出に関わる神経伝達物質が、ドーパミンである。ドーパミンは、報酬の予測と実際の報酬とのズレを検出する神経系の中枢的な役割を担い、その誤差に基づいて学習を促進する。

視覚から始まる「推論としての知覚」

『脳の本質』は、視覚を通した知覚もまた「推論」の一形態であるという。

私たちは、網膜に映った曖昧な像を受動的に処理しているのではない。むしろ脳は、事前に「この形は○○であるはずだ」という予測モデルを立てており、その仮説を網膜像と照合することで、現実世界を“構成”しているのである。

たとえば、遠くに見えるぼんやりした影を「人かもしれない」と推測するのは、視覚情報だけでなく、過去の記憶や状況への期待といった予測が加わっているからである。これは「ベイズ的推論」や「知覚の再構成」として知られている脳の基本原理である。

生成モデルは胎児期から形成される

『脳の本質』が革新的であるのは、脳の予測モデル(=生成モデル)は、生後ではなく、胎児期からすでに形成されはじめていると論じている点にある。

胎児は、母体の心音や血流、体位変化に伴う重力の変化といった情報を繰り返し受け取り、それに基づいて「世界はこう動く」「こう反応する」といった基本的な身体知を培っている。

この生成モデルは、出生後の視覚・聴覚・触覚といった外界とのインタラクションを通じてさらに精緻化されていく。

脳は、すでに持っている仮説(内的モデル)を、感覚入力によって修正・更新しながら「より確からしい世界像」を構築し続けるのである。

自由エネルギーとは何か?──不確実性を減らす力

神経科学者カール・フリストンが提唱した「自由エネルギー原理(Free Energy Principle)」は、こうした予測と誤差の仕組みを数理モデルとして定式化したものである。

ここでいう「自由エネルギー」とは、物理学のエネルギーではなく、脳内における「予測と現実のズレ=不確実性」を意味する。このエネルギーが大きいほど、脳は「今、何が起きているのかわからない」状態にあり、行動も判断も不安定になる。

だからこそ、脳はこの自由エネルギーを最小化するように、絶えず環境を観察し、予測を立て、行動を調整していく。

感情は「予測のズレ」に対する内的フィードバック

不確実性が下がれば、脳は「状況が予測可能である」と判断し、ポジティブな感情が生まれる。

逆に、不確実性が増すと、不安やストレスといったネガティブな情動が引き起こされる。感情とは、予測の精度に対する内部的評価である。

能動的推論と“人間らしさ”

能動的推論の特性は、以下のような人間的特徴と深く結びついている。

柔軟性──未知の状況への適応

予測が外れたときに柔軟に対応し、モデルを修正できる。これが学習と成長の源となる。

エージェンシー──環境を操作する力

人間は、自らの予測を成立させるために環境を変えることができる。これは人間の行動的な知性における核心である。

感情・共感・創造性──社会的脳の結晶

他者の行動や内面を予測することが共感を生み、モデルの再構成が創造性を支えている。

人工知能との違い──予測だけでは“生きて”いない

AIはデータパターンから予測する能力には長けている。だが、人間の知性との本質的な違いは以下の通りである。

  • 身体性がない:感覚に基づく誤差修正ができない
  • 能動性がない:自ら環境を操作しない
  • 文脈適応が限定的:意味の多様性に柔軟に対応できない

AIには“誤差とともに生きる”能力──すなわち「能動的推論としての知性」が欠けている。

おわりに:知性とは、“ズレ”を修正し続ける力である

『脳の本質』が示すのは、脳を「入力→出力」の装置としてではなく、予測し、検証し、修正するダイナミックな存在として捉える視点である。

ここにこそ、学び・創造・感情・共感──“人間らしさ”の根がある。誤差は失敗ではない。むしろ誤差は、次なる成長への出発点である。

脳の本質を知るとは、すなわち「生きるとは何か」を深く問い直すことである。そして本書は、そのための優れた知的ガイドである。

この本がおすすめな人

  • 神経科学を“仕組み”より“原理”から理解したい方
  • 感情・学習・創造を統合的に考えたい教育者・セラピスト・コーチ
  • AIと人間の違いを、科学と哲学の観点から捉え直したい方

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