【J#72】松江・出雲・米子への旅(3)〜出雲大社、日御碕神社、熊野大社、神魂神社、八重垣神社へ〜5つの神社を巡り、心が浄化された参拝になった
2020年9月19日からの4連休。島根県と鳥取県へ旅するために、羽田空港からの早朝便で、米子空港へ。
空港でレンタカーを借りて移動。
1日目は、空港から美保神社での参拝、そして安来市へ。日本古来の製鉄・たたらの文化を伝える和鋼博物館を訪れた。その時の模様は「和鋼博物館を通じて日本の製鉄の文化を知る」に書いた。
昼食後、安来市にある日本一の庭園として評判な足立博物館に向かった。この旅のハイライトとなる場所ではじっくりとアート作品と庭園を堪能。博物館での日程を終えて、松江市へ移動した。松江城や城下町を楽しみ、午後7時に、宿泊先のはたご・小田温泉に到着。こちらは「日本一の庭園を持つ足立美術館と松江城近辺を散策」に書いた。
2日目は、はたご・小田温泉の宿のおかみさんからのお勧めもあり、小田市(出雲市から10キロ離れている)から、海岸沿いの道を通って、念願の出雲大社に到着した。
2年前(2018年8月)、熊野と伊勢神宮を訪れる機会があった。伊勢神宮を訪れた時のことは「伊勢神宮参拝:日本文化に触れる旅になった」に詳しく書いたが、日本の有数の神社だけあって、すごく緊張感のある参拝だったことを印象として残っている。
内宮を参拝後、くたくたとなり、伊勢神宮の周辺の神社を観光する気になるぐらい、伊勢のおかげ横丁の店でゆっくりとした思い出がある。
その時「次に神社巡りをするのなら、出雲大社だね!」と妻の亜希子と話していた。
今回の旅は、
「出雲大社を見に行こう!」
温泉に入りつつ、夜空がきれいな宿はないかな?そのために旅程を考えていくうちに、今回の順番で出雲大社までたどり着いた。
実際に出雲大社の中に入ると、伊勢神宮とは対照的に、アットホームな感じで中に入れる雰囲気があって、散策しやすかった。実感として伊勢神宮と出雲大社は違う民族によって作られた印象がある。
本殿で使われている大注連縄(しめなわ)は長さ8メートル、周囲4メートル、そして重さはなんと1500キロに及んでいて、一般の神社の注連縄とは逆向きの、左から巻き始められている。そして使われている材料は、伊勢神宮が麻なのに対して、出雲大社は、まこも(真菰)だ。
驚くべきことに、かつての出雲大社の本殿は、何と48メートルもあった!
磯崎新さんの「日本の建築遺産・12選〜語りなおし日本建築史」には、建築家の視点から、出雲大社について語っていて、面白い。
そこには、平成の遷宮の時に発掘調査が行われた際に、かつて大きな本殿があったことの証拠となる柱が出てきたことも書いている。
3本のまるたを鉄の輪でくくり合わせたもので、最も細い側柱で、直径が3メートル、さらに本殿に登階段は、長さ109メートルと途方のない距離になっている。
平安中期の「口遊」には、当時高い建物のベストスリーを「雲太、和二、京三」と表現。出雲大社本殿、大和の東大寺大仏殿、平安宮の大極殿で、今の東大寺も大きいが、それを凌いでいたのは本当に驚きだ。
その大きな柱は「宝物殿」「島根県立古代出雲歴史博物館」に展示。古代博物館の方は、巨大な本殿の10分の1のサイズの模型が展示されていて、その大きさにびっくりだった。
なんでこんなに巨大なものが建てることができたのか?
司馬遼太郎さんの「街道をゆく・7巻〜甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち」を読むと、出雲大社が作られた頃、経済的に裕福だったことがわかる。
司馬さんは、
「出雲ーというより中国山脈ーは、古代から中世、近世にかけて、さらに明治期まで及ぶところの砂鉄王国であった
中国山脈は良質の砂鉄がを蔵していたが、山陽側よりも山陰側の方が質が良く、特に出雲国が良い」にそのことを書いている。
木造建築を作るためにも、道具として鉄が必要で、想像するに朝鮮半島から職人が出雲に辿り着き、技術の高い、夢のある建造物を作ったのではないかと感じる。出雲大社の本殿を参拝後、本殿の裏へ移動した。神様が上陸する稲佐(いなさ)の浜がある。
そこから砂を採取して、スサノオノミコトが祀られている素鵞社(そがのやしろ)で交換する。
時間の関係上、稲佐の浜で砂を採取する時間がなかったので、とりあえずここで、砂を採取して、持ち帰ることにした。
出雲大社の本殿の裏は、木々がどっしりとしていて、気の流れがいい。
出雲大社の境内を散策しつつ、博物館巡りも行った。
次に、日御碕(ひのみさき)神社へ。日本は古来から岬に神社を建てており、昨日訪れた美保神社との違いを知りたいという思いで、この神社に参拝した。両方、それぞれの良さがあり、気の流れも良かったと感じた。
さらに、車で進むこと5分ほど先には、海上保安庁管轄の出雲・日御碕灯台がある。
日本一の高さを誇り、展望台(七階、階段で200段)まで登ることができる。1900年に着工、1903年に作られ、地上から頭部まで43.65mもある。しかも光が届く距離はなんと、39キロ先だという。
灯台は迫力満点で、そばが崖に面しているため、展望台から眺めると、絶景だった。
日御碕神社で昼食に出雲そばを食べた後、松江へ移動。
出雲国一之宮・熊野大社、神魂(かもす)神社、八重垣神社の3つの神社への参拝へ。
この旅の大きな発見だったのは、熊野大社。鳥居から境内の中に入った瞬間、スーと身体の力が抜けるような感覚があった。
古代の人たちが、なぜこの場所に神社を作ったのか、良く理解できた。2年前に熊野三山を訪れたが(「熊野古道、大斎原、神倉神社を巡ることで心身がリセットされた」「那智の滝、獅子岩、大馬神社で熊野のすごさを感じる」参照)。熊野大社から紀伊国に勧請されたという説があるといわれているらしい。実際、熊野で感じたものをここでも感じることができた。
神魂神社の本殿は日本最古の大社造で国宝に指定されている。
境内に入ると、熊野に行ったときに感じた、自然と一体となっている印象を受けた。
木造が美しく、昔の出雲大社の本殿に近い構造を感じることができるが、細かく一つ一つの材木を有効利用しているのが良く理解でき、日本の建築技術の凄さも実感できた。
最後に伺ったのが、八重垣神社。白い紙に書かれたおみくじを引き、池に浮かべることで、文字が浮き上がるという。
そこで、久々におみくじを引くことに。
100円玉を中央に乗せて、池の上に文字を浮かべると、「思いがけなく縁開く、東と北」が出てきた。この時点で、午後5時。
2日目の宿泊先は、鳥取県で、中国地方で最も高い大山の麓にある大山ロイヤルホテルへ。翌日、最後の1日の観光に臨んだ。最終日の模様は次回取り上げたい。