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【P#27】西洋医学がどのようにして今の地位を築いたのか?〜医師の地位と画期的な薬の出現

19世紀末から20世紀の始めにかけて米国では民間医療が主流。医師は力や富もなく地位も低かった。2年間の見習い期間を経て、出来のよい機械工と同じ程度の給与しか得られず、自分で勝手に名乗れば医師になることができた(「代替療法と対処療法」に詳しく書いた)。

状況が一変するのは、1910年頃。
石油で財をなしたジョン・ロックフェラーは、石油を材料して作られる薬(低分子化合物、人工的な方法で作られる物質)の可能性を信じて、投資。
米国医学会(American Medical Association、AMA)と組んで、
「法的に定められた医学会によって認定される薬を処方、販売したり治療法を施すこと」
ができる体制を作るために、ロックフェラー医学大学を設立する。
後に、4年間の学部教育を受けたのちに、さらに4年間の大学院の医学部教育を受ける体制へになる。
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医師は独占的な職業となり地位も上がっていった。AMAはアメリカで最大のロビー団体となり、医学教育・医師免許・治療法・治療費は全て、AMAが独占する形へと変貌を遂げる。
米国の医学教育を作る際、参考にしたのが、ドイツの研究室体制と産学連携の仕組みだった。

第二次大戦前、科学の最先端を走っていたのはドイツ。大学は実験室の成果を重視。潤沢な企業の資金も入ってくることで、様々な技術が発展していく。例えば、肥料や染料に使われる化合物が世の中に出ることで、経済が潤った。
ドイツの大学は、実験を通じて、科学的に証明することを重視していた。当時の最先端だったので、一流の研究者は、ドイツに集結した。
あまりにも優れていたので米国は、ドイツをモデルに1876年に研究機関としてのJohns Hopkins大学を設立。Johns Hopkins大学の仕組みを他の大学が参考にして取り入れていく。
薬の処方の仕組みに大きな影響を与えたのが、1930年代に実用化されたサルファ剤=抗菌剤だ。

サルファ剤の開発の経緯は、「サルファ剤、忘れられた奇跡 – 世界を変えたナチスの薬と医師ゲルハルト・ドーマクの物語」(原書:’The Demon Under the Microscope: From Battlefield Hospitals to Nazi Labs, One Doctor’s Heroic Search for the World’s First Miracle Drug‘)に詳しい。

この本は、医学の歴史を知る上で、興味深く、製薬業界に勤めている方や西洋医学がなぜ今の地位を築いたのか?を知る上で良書だ。
この本を参考に、サルファ剤についてまとめたい。
ドイツ人研究者のパウル・エーリッヒ(Paul Ehrlich, 1854年〜1915年)は、当時の染料の技術を使って、微生物の「染める」技術を追究。微生物は、透明に近いため、詳細を調べるために、染色必要があったためだ。
面白いのは、エーリッヒは、特定の微生物を染めることができる性質=特異性を使って、微生物に効果のある薬が見つかるのではないか?という発想で、薬を探し始めたことだった。

事実、第一次大戦を通じて、もっとも大きな問題だったのが感染症で、ドイツだけで10〜20万人の命を奪った。そのため、微生物に効果のある薬が開発されることが社会的に求められていた。
1904年に日本人の留学生の秦佐八郎さんと一緒に、梅毒に効果のあるサルバルサンを発見する。しかしながら、サルバルサンは実用化されることがなかった。
やがて、1930年代に芽が出る。
ロックフェラー財団によって支援を受けていたドイツのIGファルベン社のゲルハルト・ドーマク博士が、アゾ色素(赤色)の薬剤であるプロントジル(=のちにサルファ剤と呼ばれるようになる)に抗菌作用(連鎖球菌)があることを示した。
この薬は、画期的な効果があったので、世界的に普及。第二次世界大戦では負傷者の命を救うことになる。
不運なことにサルファ剤の薬害事件が発生する。サルファ剤を飲みやすくするために混合された有機物質による死亡事故があいつぎ、何十人もの命が奪われた。
米国のFDAが調査に乗り出し、安全性のデータを含めた形で、薬の審査と承認の仕組みを作っていく(「FDAと審査」参照)。
サルファ剤は、化学構造が単純だったため、1938年頃には、サルファ剤に対する効果の出ない耐性菌が出現し、現在は使われなくなってしまった。その後、ペニシリン、ストレプトマイシン等、多種多様な薬が世の中に出ることで、医師は様々な治療の選択肢を手に入れることになる。
1951年には、連邦議会は医学の専門知識なしに、安全な薬を購入するとき、医師の処方せんが必要だという法律によって、医師によってのみ扱うことができるように法律が強化。地位が高まっていった。
簡単に、西洋医学と医師の地位の歴史についてまとめてみたが、画期的な薬の実用化に伴って医師の地位が高まっていったことがお分りいただけたかと思う。代替医療が注目されている今、西洋医学の歴史について、知った方がいいと思い、今回取り上げた。

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