【B#192】エマニュエル・トッドに学ぶ:家族構造・教育・歴史から読み解く
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はじめに
東京・渋谷でロルフィング・セッションと脳科学から栄養・睡眠・マインドの脳活(脳科学活用)講座を提供している大塚英文です。
今回は、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドの「我々はどこから来て、今どこにいるのか? アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」をもとに、各国の家族構造と教育、そしてその歴史的影響を整理していく。

特に、イギリスとスコットランドの家族構造の違いが産業革命にどのような影響を与えたのか、日本とドイツの教育熱心さはどこから来ているのか、アメリカのイノベーションが起きる理由、中国、ロシアが社会主義の考え方が強いこと。最後に、人類学的に見て、どう家族観は変遷しているのか?まとめたい。
トッド理論の要点──「家族」は社会の深層構造である
エマニュエル・トッドは、国家の宗教、政治制度、経済体制といった表層的な変化よりも「家族構造」に注目した歴史人口学者である。彼は、家族の在り方が、その社会の思想、価値観、制度に決定的な影響を与えると主張する。
トッドは、家族構造を以下の4類型に分けた:
絶対的核家族(Absolute Nuclear Family)
親の権威は強いが、成人した子は親元を早期に離れ、自立することが前提となっている。継承や家の存続よりも、「個人の自由」と「早期の独立」が重視される。この家族形態は、イングランドやアメリカの支配的なモデルであり、個人主義・競争・自由市場といった近代的価値観の温床となった。
平等主義核家族(Egalitarian Nuclear Family)
親子関係や兄弟関係において上下関係がなく、平等が重視される。教育や対話を通じて価値観が共有され、家の継承よりも個々人の能力と選択が尊重される。スコットランド、北フランス、北イタリアなどがこのモデルであり、啓蒙思想、識字率の向上、近代的教育制度の発展と密接に関連している。
直系家族(Stem Family)
父親や祖父が家長として権威を持ち、長男などが家を継ぐ「継承の制度」が重視される。他の兄弟姉妹は家から出て自立するが、家との関係は維持される。ドイツや日本、韓国などがこのモデルに該当し、伝統・秩序・教育熱心さ・国家主義と親和性が高い。
共同体家族(Communitarian Family)
複数世代が同居し、家族という単位で経済的・社会的機能を果たす。親の権威は強く、個人よりも全体の調和と維持が優先される。中国やロシア、インドの一部などに見られ、集団主義・安定志向・権威主義的政治体制を支えやすい構造である。
以下、理解を深めるため、事例を挙げたい。
スコットランドとイングランド──産業革命を分けた家族構造
イングランドとスコットランドは、しばしば同じ「アングロサクソン圏」と括られるが、家族構造には本質的な違いがある。
イングランドの絶対的核家族では、個人の自由と自立が最優先され、経済的にも政治的にも「自己責任・自由競争」の原理が家庭内から育まれた。この構造は資本主義と非常に親和性が高く、近代国家としての統治機構や市場経済を強化する土台となった。
一方、スコットランドでは直系家族が主流であり、親の権威が強く、財産は家を継ぐ者に集中する傾向がある。しかし同時に、カルヴァン派的な宗教倫理のもと、聖書読解を目的とした教育が重視され、早い時期から識字率が高かった。
これが18世紀における啓蒙思想と産業技術革新の基盤を築き、アダム・スミス、デイヴィッド・ヒュームなどの哲学・経済学の巨人を生んだ土壌となった。このように、産業革命の「思想的基盤」は、スコットランドの直系家族の制度によって準備されたといっても過言ではない。
日本とドイツ──教育熱心さの源泉は「継げない者」にある
日本とドイツは、いずれも直系家族に分類される。ここでは「家」という単位が長子に継がれ、それ以外の子どもたちは別の形で自立を求められる。この構造が、教育を通じた上昇志向を生む最大の動因となる。
長男は家業や土地を継ぐが、次男以下は学問や技術を習得して他の分野で成功する道を歩まねばならない。この「継げない者のモチベーション」が、両国において職人制度(ギルド、職人訓練学校)や官僚制、エリート教育の充実を支えてきた。
日本においては、明治維新以降、父系の直系家族が「国家制度」として強化された。天皇制が父系に再編されたのもこの一環であり、天皇は「家父長国家日本」の象徴となった。トッドはこの変化を「制度的な直系化」と呼び、日本の国家形成の根底にこの家族観があると分析している。
また、教育熱の裏には「家を継ぐことができない者」の焦燥と努力がある。これは東アジア全体に共通する現象であり、韓国や台湾も同様の傾向を示している。
中国とロシアの社会主義はなぜ生まれたのか?──共同体家族が生む平等と権威の矛盾
中国とロシアにおいて20世紀に社会主義革命が起きた背景には、経済的・政治的条件だけではなく、家族構造に内在する価値観の影響が強く存在していたとトッドは分析する。両国に共通するのは「共同体家族」という家族観であり、これは複数世代が同居し、親の権威が強く、家族全体の統合を重視する家族モデルだ。
この構造は、「全体のために個が犠牲になること」や「平等と安定の維持」の価値観を生み出しやすく、個人の自由や競争よりも、集団の統制と再分配に適応しやすい文化的土壌をつくる。ロシアにおける農村共同体(ミール)や、中国における宗族制・父権社会が典型的である。
興味深いのは、この構造が「平等」と「権威」の両方を同時に受け入れるという矛盾を内包。社会主義は表面的には「平等」を掲げながら、実質的には一党独裁や国家権力の集中といった「強権体制」になっていく。
トッドによれば、これは家族構造に深く根差した「命令に従いながら、すべての人が同じであるべき」という心理的傾向に繋がっていく。したがって、社会主義体制の成立と維持は、単なる政治イデオロギーの産物ではなく、共同体家族という文化的・無意識的構造の延長であるといえる。
なぜアメリカとイギリスはイノベーションを起こすのか?──核家族が生む不安定性と創造性
アメリカやイギリスが近代以降において、次々と科学技術・経済・文化の分野でイノベーションを生み出してきた背景には、絶対的核家族という家族構造の持つ“開放性”と“流動性”が関係している。
この家族構造では、親の権威は強いが、子は成人後に親から早期に自立し、自分の価値観や進路を切り拓いていくことが当たり前になる。「親の期待に応える」のではなく、「自分で自分の道を切り拓く」という人生観が奨励されるのだ。
このような文化では、社会的ネットワークが一代限りで再構築されやすく、固定された価値観や役割に縛られにくい。結果として、柔軟な思考、独立した判断、新規事業への挑戦、失敗の受容といったイノベーションに必要な心理的条件が育ちやすい。
家族の結束が弱く、社会におけるセーフティネットも限定的であるため、「成功するか、失敗するか」の極端な環境が、逆説的に高い創造性を刺激する。不安定さの中に、可能性が広がる。
したがって、アメリカやイギリスにおけるイノベーションの土壌は、資本主義的市場制度だけでなく、むしろその背後にある「流動性と競争を是とする家族構造」にこそ根ざしている。
家族の形は歴史的にどのように進むのか?──環境とイデオロギーが交差する進化の系譜
トッドは、家族の構造が普遍的な進化段階を経るのではなく、「地理的・気候的・経済的・宗教的な環境によって、多様に分岐してきた」と主張する。家族類型の原点には「起源的な核家族」(狩猟採集民等)という形があり、そこから農耕や土地所有、遊牧といった経済活動の違いによって、家族構造は次第に分岐していく。
起源的核家族 → 遊牧民・農耕社会
- 遊牧民や移動型共同体社会では、比較的対等な兄弟関係と緩やかな親子関係が維持され、平等主義的な共同体家族に進化する。
- 一方で、定住農耕社会では、土地や財産の継承の必要性が高まり、「家」を維持するための父権制・同居型の家族構造が発達していく。これが直系家族の基盤となる。
直系家族 → 絶対核家族・平等主義核家族への分岐
農耕社会における「家の維持」の論理が直系家族を生み出したが、やがてこの構造に対して反動的に登場したのが、ヨーロッパの絶対核家族(イングランド型)と平等主義核家族(フランス型)である。
絶対核家族(イングランド・アメリカ型)
- 子は早期に親元から独立し、親子関係は非同居・非権威的である。
- しかし兄弟間の相続は不平等で、そこに競争原理が生まれ、資本主義と自由主義を後押しする精神構造を形成した。
- 女性の地位は比較的高く、女性識字率も早期から上昇し、出産調整(少子化)も他地域より早く始まる。
平等主義核家族(フランス・スペイン型)
- 親子の分離はイングランド型と同様だが、兄弟間の関係は完全な平等が原則。
- そのため、相続は均等分割され、兄弟間の競争は生じにくく、無政府主義・小党分立的な政治文化が育つ。
- 教育熱心さは低く、女性の地位も相対的に低いとされる。
外婚制共同体家族(ロシア・中国型)
- トッドによれば、中国やロシアに見られる共同体的家族構造(大家族+外婚制)は、共産主義の温床となった。
- 父親の権威が極めて強く、兄弟は平等に財産を分割されるという二重構造が、「支配されながら平等を望む」というマルクス・レーニン主義の心理構造を可能にした。
- 一方で、教育と秩序の維持には強い関心があり、識字率の向上は国家的目標となる。
まとめ:家族構造と国家
家族構造 | 主な地域 | 特徴 | 社会的影響 |
---|---|---|---|
絶対的核家族 | イングランド、アメリカ、オーストラリア | 親の権威は強いが、子は早期に独立。兄弟間は不平等 | 個人主義、自由市場、資本主義、民主主義 |
平等主義核家族 | フランス(パリ盆地)、スペイン中部、イタリア南部 | 親子・兄弟が対等、相続は均等分割 | 啓蒙思想、無政府主義、小党分立、大きな政府 |
直系家族 | 日本、ドイツ、韓国、スコットランド | 家父長制、長子継承、家制度が重視される | 権威主義、教育熱心、国家主義、社会的秩序の重視 |
共同体家族 | 中国、ロシア、インド、フィンランド、ハンガリー | 複数世代の共住、父の権威が強く、兄弟は平等 | 集団主義、安定志向、共産主義、一党独裁、権威容認 |
家族構造の歴史は「進化」ではなく「分岐と反応」である
家族の構造は直線的に進化するものではない。むしろ、「環境への適応」「既存構造への反動」「宗教と国家の介入」などによって、複雑なフィードバックのなかで枝分かれしてきたのである。
たとえば:
- イングランド型は、家族の開放性と不平等を通じて、資本主義やグローバル化を推進した。
- フランス型は、兄弟の平等を基盤に、共和主義と社会主義の精神土壌を育んだ。
- 中国・ロシア型は、大家族の集団性と強権性を内包しつつ、全体主義を容認する心理構造を形成した。
- 日本・ドイツ型は、家制度と教育を結びつけ、国家と家族の秩序を高度に連携させた。
こうした家族構造の違いは、戦争、革命、国家制度、イノベーション、少子化、宗教観まで含めた「文明の方向性」そのものを決定づける力を持っているとトッドは考える。
まとめ
私たちは、つい目の前の政策や出来事に目を奪われがちだが、エマニュエル・トッドの理論は、もっと深い「家族構造」から社会を見直す重要性を教えてくれる。個人の選択や国家の方針すらも、根底には「家族という文化的無意識」が横たわっていると考えても良い。
日本という国が、これからの時代にどのような教育を重視し、どのような家族の在り方を目指すのか──それは単なる制度設計の問題ではなく、家族制度を見つめることで、新たなことが見えてくるのではないかと思う。