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【B#49】アメリカの教育について〜小・中学校を海外で教育を受けて感じたこと

2014年1月17日、世界一周中に幼少期に過ごしたロサンゼルスの郊外にあるサンマリノを訪れ、1977年〜1984年の7年間(学年で言えば、1〜7年生)を過ごしたK. L. Carver Elementary SchoolHuntington Middle Schoolの2箇所を見に行くことができた(「ロサンゼルス(4)〜サンマリノ(1)」参照)。
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当時、California Achievement Testというカルフォルニア州の一斉試験(記憶が確かならば、当時は、3年生と6年生)が実施されていた。結果が公表され、不動産の価格が決まってくるのが興味深かった。
東京都内では、例えば新宿区と渋谷区では同じような教育水準でバラバラということはあり得ないが、不動産価格が安いと、消費税・固定資産税が入ってこないことになり、隣接する群でも教育水準が明確な格差という形で出てくる。理由は日本のように教育が日本政府によってカルキュラムが組まれるのに対して、アメリカでは各学区に自由裁量が決められているからだ。
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ロバート・B・ライシュ:最後の資本主義」によると、教育予算のうち連邦政府が10%、州政府が45%、残りの予算は各都市によって賄われているという(参考にドイツや他の先進国では政府が5割以上負担)。州政府はできる限り、貧しい地区に分配しようとするが、不況になると一番最初に教育予算が削減されるという。政府のレポートによると、予算は裕福地区と貧困地区との間に2:1の差があり、カルフォルニア州では3:1の差があるという。
米国在住の日本人研究者も同じようなことを述べている(「「それでもトランプ支持!」が減らない理由。授業から体育や音楽がなくなっちゃうから? 米大学日本人教授の渾身論考」参照)。
世界一周でスペインを旅してた時にアメリカの小学校の校長を務めた先生に出会うことができた。アメリカの教育が知識の軽視や他人への尊重が欠けていることに嘆いていた点に驚きを感じた。
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自己主張や創造力の教育は確かにいいが、それだけだと、他人への尊重が欠ける。その上、基本的な知識を習得するための、忍耐強さや暗記が軽視されるということも。
そういえば、私が住んでいたサンマリノ市は、比較的教育水準が高く、英語、数学、社会、科学、体育、音楽などを受けたが、当時通っていた週一回の補習校(あさひ学園)での数学のカルキュラムに比べ、2〜3年ほど遅れていた。
それよりも、読んだ本や自分の考えについてクラスの前でプレゼンテーションする機会はすでに3年生から与えられていた。例えば、プレゼンテーションについては、各回違った課題が与えられるが、15回行うと賞状、30回行うとトロフィーが授与される。
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サンマリノ市では、6年生から中学になり、6〜8年生が一緒になって授業を受ける機会が増え、自分で授業を選択することもできた。例えば、スピーチについて学ぶことのできるPublic Speakingも選択できたので、受講。
どのように自己主張するのか?どのようにプレゼンテーションするのか?原稿を予め先生に提出した上で、クラスの前でどのように立つのか?細かく指導された。
そう考えると、私は幸運に思う。基礎的知識を日本の教育を受けることで身につけることができた上で、創造性・自己主張については、アメリカで受けることができたからだ。
テクノロジーが飛躍的に進む現代で、どういった教育を受けることが大切なのか?今後とも考えていきたいと考えているので、本コラムでも気になった本があれば紹介していきたい。
 

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