【Y#23】チネイザンLevel 1(3)〜瞑想と太極拳
チネイザンのトレーニングも3日目(2015年7月29日)(1日目と2日目の模様は【氣内臓コラムVol.7】、【氣内臓コラムVol.8】に書いた)。毎回朝に行うことができるエクササイズから始まるが、今回も太極拳をベースにしたストレッチの練習から始まった。ストレッチをする際には声を出すことで伸びやすくなるとのこと。そして大内さんによるとヨガも昔は声を出して行っていたらしい(ここでいう声はマントラ、今ヨガは呼吸の音のみが主流)。
実際に、声を出す・出さないによって身体の伸び方が全くちがっていた。ストレッチを行う際に意識するのは2方向性。蛇を例にただ伸ばすのではなく、足が重くなる感じで押し上げるというイメージ。ロルフィングのトレーニングでも、2つの方向性を語っていたこと(【RolfingコラムVol.19】参照)を思い出し、身体の使い方というのは西洋・東洋関係なく共通のものを感じた。
声の出し方についても、声帯から出すというよりも、丹田から響かせるというイメージ。いい鐘は、余韻がいいという通り、いい身体というのは音とともに余韻を味わうことができるという。母音(あ、い、う、え、お)を使ってストレッチを行い、その後余韻を味わったが、本当に気持ち良かった。
チネイザンの手技については、2日目と3日目を通じて、大腸の全体をどのようにして触れていったらいいのか?を学んだ。胃や膀胱を強く押すと相手に不快感を与えることになるので、ある程度気配りが必要。どのようにアプローチしていったらいいのか?三次元の解剖図を見ながら、そのコツを学ぶことができた。もちろん、これから先練習をすることで身につくということもあるが、ロルフィングとは違った手による触れ方(もう少し手の使い方が細かい)をするので勉強になる。
授業の雰囲気を紹介したい。ロルフィングのトレーニングはドイツで受けて、海外の人たちが質問をする姿を見てすごく勉強になった。実際に日本でプラクティショナーコースを受けていることから、どうなることやらと思ったが、生徒10人近くのうち、海外から3人のため質問が多い。外国人もいることもあるが、大腸を扱ったときにも、瞑想や太極拳等様々な質問が飛び交い、それが刺激となったのか、日本人のほうからも質問が多く出ている。
幾つか質問の中のうちチネイザンと瞑想・太極拳との関係について紹介したい。
前回チネイザンのトレーニングに瞑想や太極拳の練習が入ることについて触れたが、その理由があまり説明されておらず不思議に思っていた(なぜ行うのか?という観点で【氣内臓コラムVol.8】にて説明)。
この質問について、大内さんは
チネイザンは、セッションがうまくいくときには施術者が相手の中に入って溶け込むという状態で、いわば施術者側に意図がない感が出るとのこと。いわば消えていると言ってもいい。例えば、「健康を願ってやる」、「生き生きとして欲しい」と言った意図など消えてみるというような状態。大内さんはそれを
相手が瞑想している
状態・感じと表現した。そのため、瞑想の練習が重要だという。おまけに、太極拳の身体の使い方は、チネイザンによって手を使ってへそへアプローチする際にそっくりだというのだ。
一番強調されたのが、セッションが機械化になるか?それとも人間的になるのか?そのの視点で考えることの大切さだ。機械的ということを例えて言うならば、軍隊や大企業に属しているマインドの状態。医療的に言えば、「ここを押すと治る」という一対一へのアプローチ。チネイザンというのは真逆をいくことになり、人間化へのアプローチに対して太極拳はそれに対して手助けしてくれる。なんといっても信頼感・安心感を養ってくれるからだ。これは足を通じて地球を感じるという太極拳を通じて学んだことを以前紹介した(【氣内臓コラムVol.8】参照)
相手が瞑想するようになるということは、上記の要素を意識しつつ、安心感というもの、相手とダンスするというイメージで施術者はガイド・誘導していくようなもの。最終的に、廻り始めたらガイドが不要となっていき、自ずと治ることを手助けする形となる。
自分自身が大切にしているニュートラルという状態に近い部分があると思うが(詳しくは【RolfingコラムVol.87】参照)、瞑想という観点でボディワークを知るのは今回が初。改めて瞑想の大切さを知ったと思う。
大内さんから教わっている瞑想は会陰瞑想だ。会陰瞑想については、瞑想法を含め以前紹介した(【氣内臓コラムVol.5】参照)。その際には会陰瞑想の意義について語っていなかった。
大内さん曰く、
その意義について身体を水の入った容器と例えると、下(会陰)から泉が湧いているというイメージでとらえることでわかるとのこと。
会陰が固まりすぎると泉が湧き上がらなくなり容器が硬直化。水自体が動かなくなる。会陰がゆるくなると、生命力も弱まる。会陰は、本来ならば若々しくありたいが、結局年齢を重ねることで重力の影響を受けることとなる。そのため瞑想を通じて会陰を意識を高め、結果的に生命力を高めるのだ。そのことから、自分自身の身体を整えるときに役立つ。
そして、中医学の経絡の観点から会陰をみると面白い。人間の身体でエネルギーの流れ道を全体からみて最も大切なのは小周天。その小周天には任脈と督脈の二つがあり、そのスイッチがあるのが会陰と口。そのため瞑想では、舌を上あごに触れることについても触れているが、会陰に意識を向けることでこのエネルギーが活性化されるとのこと。
そして最後に、会陰は、陰が出会う場所。陰は水であり生命力の根幹を握る。そういった意味で会陰ということばは使われている。
明日でトレーニング4日目を迎えることになる。すでにここでは書ききれないほどの深い内容をカバーしていると思う。その中でも、自分自身にとって大切と思うことは引き続き書き留めていきたい。